挫けそうな時の心構え、復活キーワード回答受付中
初めて質問します。よろしくお願い致します。
ここ数年、会社の後輩の言動に悩まされてきました。後輩といっても彼女も30代後半、いい大人です。
彼女は自意識過剰気味・承認欲求強めで、自分は出来る人間という意識が強い人です。
他人下げで自分上げが基本で、私に対してはマウント・嫌味も多く、私に間違いを指摘されると大変ご機嫌斜めになります。また、周囲に注目されたい・心配されたいような言動も目立ちます。
なぜか私ばかり何度も彼女と同じチーム、しかも2人だけのチームにさせられ、離れるに離れられません。
彼女に関してしんどいことは挙げたらキリがありませんが、書けば書くほど心が汚れる気がするのでこの辺にします。
私はというと徐々に精神が削られて食事と睡眠がままならなくなり…そうこうしているうちにこのハスノハに出会い、つい最近ですが自分を変えようと一念発起しました。
始業前、昼休み、寝る前…ハスノハのお坊さんやweb上のブッダの言葉を読み、
・怒りは煩悩、苦しみの原因
・慈悲の心
・悪口は受け取らない
などなどを繰り返し頭にインプットして過ごしています。
長くなりましたがここからが本題ですm(_ _)m
この習慣を付けてからだいぶ気持ちが楽になりました。これからもこのプチ修行を続けていきたいです。
ただ、やはり不意に嫌味などを言われるとついつい怒りが顔を覗かせます。余裕があればかわせるのですが、憤りで心がざわつくこともあります。そして少ししてから自己嫌悪に陥ります…
「お坊さんが修行して会得していくようなことを、私が一朝一夕で出来るわけがない。また地道にやっていこう」と自分に言い聞かせるのですが、やはりどうにも挫けそうな時があります。
こういう時の心構えとか復活に効くキーワードなど、おすすめはありますでしょうか?お知恵を拝借できたらと思います。何かお坊さんにお言葉をもらえたらもっと頑張れそうです。よろしくお願い致します。
お坊さんからの回答 1件
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変換ボックス
こんばんは。とても考えさせられる…よい質問をいただきました。
そこで、「怒りを笑いに包む」変換ボックスを考えましたよ。上から目線の人って、「提案」に「どやぁ」とプラスしちゃうんですよね。その「どやぁ」を無効化するためのキーワード、そしてあなたが気づいた「お坊さんたちも同じ」ということを活かすと「凡夫」という言葉が浮かびます。
普通の、とか平凡な、という意味ですが、仏教的には「自分中心の、欲や怒りに播かれてグラグラしてしまう自分です」という自己認識の言葉です。自分にも当てはまるはずですが、他人のそれは目に付きやすいんですよね。そこで変換ボックス。
「うっせえわ」という歌がありましたが、それの替え歌で
「ぼんぷー ぼんぷー ぼんぷです あなたが思うより凡庸です」という言葉を使ってみては如何でしょうか(真面目に答えています)。
彼女も私も、そして坊さんだって同じ凡夫。違いがあるとすれば「凡夫としての自覚」です。「ああ、提案だけすればいいものを、余計な飾りをつけちゃった」を感じ取ったときに、変換ボックスに入力しましょう。あなたが怒りやモヤモヤを感知する時は、大概その原因の方にも、怒りや「どやぁ」が含まれています。そして「欲や怒りから発してしまった言葉はどれだろう」と見つけ、それを排除して提案だけにする。そうすれば(それ以前より)おちついて検討できる…はずです。
欲に駆られた飾りに引っ張られると、本質である提案を見誤ります。「ここは本人の凡夫らしさが出ちゃってる」を検出できれば、価値ある話として取り扱えそう…な気がします。
そして、この「どのような人間観を持つか?」は、意外と宗教の中核なのです。「凡夫」とは、自分中心で欲や怒りに振り回される存在という意味ですけれど、浄土宗では、まさにそんな凡夫であるからこそ阿弥陀仏の救いにあずかれると説きます。ですから凡夫であることを自覚するのは、卑下ではなく仏さまに近づく一歩なのですよ。自覚つまり心の問題が大切なのです。
実のところ、私自身もあなたの質問に触発されて、この変換ボックスを思いつきました。私も使っていこうと思うので、ぜひ使い心地を試してみて下さいね。