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座禅や読経の作法について

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有り難し有り難し 12

毎朝、自宅で5分くらいの座禅と
読経(般若心経、観音経、懺悔文、開経偈、普回向、光明真言)
を行っています。

でも、誰かに教わったわけではなく、素人了見でやっているので、
かえってばちが当らないかと思ってしまいます。

そもそもお寺以外で座禅や読経を行ってもよいものでしょうか。
また、自宅で座禅や読経を行うとしたら、
その順番や方角など、作法はありますか。

ちなみに我が家は真言宗豊山派です。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

菩提寺を訪ねてみましょう

お寺以外の自宅などでも坐禅をしたり読経をするのは大変素晴らしい事だと思います。

出来れば、ご自宅の菩提寺を訪れて、「在家勤行次第」というお経本をご購入してはいかがでしょうか?(価格は高くはないはずです。千円くらいではないかと思います)
「在家勤行次第」には、お経を読む順序も内容もしっかりしているので、安心して読経出来ると思います。
真言宗には「阿字観」という瞑想法もありますよ。
菩提寺を訪ねてお聞きになってみてはいかがでしょうか?

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有り難し
おきもち

仏道に入門して39年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...
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質問者からのお礼

悟東様、ご回答ありがとうございます。

「在家勤行次第」、菩提寺に尋ねてみます。

「坐禅について」問答一覧

アドラー心理学と禅

法律事務所を経営しています。 顧客も案件もたくさんあるのですが、儲からず忙しいばかり。儲からない案件もお金を取らないで受けてしまうからです。 結果、大量の仕事に追われ、催促の電話に怯え、無力感や罪悪感で死にたくなる毎日です。月に1~2回、本当に自殺しそうになって思いとどまるようなことが1年くらい続いててかなりツラいです。 そんなときに、ベストセラーになった「嫌われる勇気」(アドラー心理学の本)を読みました。そのなかに、 「自分がした善行に相手の配慮を期待するのは筋違い」 「受けた善行に返報しないことに罪悪感を覚えるのも筋違い」 「助けを求められてそれに応えないことに、罪悪感を覚えるのも筋違い」 「自分が何をすべきかは「自分の課題」であり、それを相手がどう感じてどう対応するかは「相手の課題」だから」 「自分の課題と相手の課題を混同してはいけない。相手の課題を勝手に自分の課題にするから苦しくなる」 というようなことが書かれてました。 自分は誰かの役に立つことは好きなのですが、そのことでお金を請求するのが苦手です。一方で、役に立つことをしてるのに相手から配慮して貰えないと苛立ったりします。また、何かを頼まれて断ることに罪悪感を覚えます。断ったら「嫌なヤツ」と思われるかもしれないという恐怖もあります。 アドラーの指摘するように、自分の課題と相手の課題を切り分け、「お金を請求して、支払うかどうかは相手の課題だから、気にせず請求すればいい」「相手の役に立つことをしても、それにどう応じるかは相手の課題だから、相手の配慮を期待するほうがおかしい」「頼まれ事を断ったとして、それをどう感じるかは相手の課題だから、どう思われようと気にすることはない」と考えれば確かに楽なんですが、お坊さん的にはこうした考え方ってどうなんでしょうか? そう考えると楽なのは分かるんですが、なんとなく腑に落ちないのです。 以前聞きかじった禅の思想(教え?)で、「一時の結果や他人の評価など気にしても仕方ない(どうせ本来無一物/諸行無常)」「自分は自分。他人は他人(主人公)」みたいなのがあった気がします。うろ覚えですが。 禅にも似ている考え方があるんじゃないかと思い質問してみました。 実は人に相談するのもとても苦手です。 ご回答頂ければとても嬉しいです。

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