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自分自身を完全に燃やしつくすとは

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鈴木俊隆師の「禅マインドビギナーズ・マインド」を読みました。その中に、「自分自身を完全にもやし尽くすのです。... 禅とは、常に完全に燃やしつくして、灰しか残らないことをいいます。」
これは、「只管打坐」ということでしょうか。それとも、他にこの意味合いの語句がありますか。教えていただけたら大変嬉しいです。

2022年7月8日 11:19

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

禅は実践、言葉では無い

その本の著者では無いので、真意はわかりませんが、想像するに自分というものが初めからなかったということに気づき、捨てるようさえもなくなるということでしょう。
握っている自分さえも捨て去る。手放しであるがまたで座る。
しかし、「捨て去る」といっても「手放し」と言っても、「あるがまま」といっても能動的に働きかける自分という存在が残る。だから違う言葉で燃やし尽くすと表現されたのでは無いかと。実際には燃やすものさえも無い握ることもできない様子が今、ここにドーンとあるという事実のみで生きているのでしょう。
只管打坐もただの言葉。
言葉では表現できない体験を言葉にするから色がついたりずれたりするのです。言葉や本を探ることではなく、実践の中で自らが気づかないとわからないことです。

2022年7月9日 4:27
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有り難し
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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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アドラー心理学と禅

法律事務所を経営しています。 顧客も案件もたくさんあるのですが、儲からず忙しいばかり。儲からない案件もお金を取らないで受けてしまうからです。 結果、大量の仕事に追われ、催促の電話に怯え、無力感や罪悪感で死にたくなる毎日です。月に1~2回、本当に自殺しそうになって思いとどまるようなことが1年くらい続いててかなりツラいです。 そんなときに、ベストセラーになった「嫌われる勇気」(アドラー心理学の本)を読みました。そのなかに、 「自分がした善行に相手の配慮を期待するのは筋違い」 「受けた善行に返報しないことに罪悪感を覚えるのも筋違い」 「助けを求められてそれに応えないことに、罪悪感を覚えるのも筋違い」 「自分が何をすべきかは「自分の課題」であり、それを相手がどう感じてどう対応するかは「相手の課題」だから」 「自分の課題と相手の課題を混同してはいけない。相手の課題を勝手に自分の課題にするから苦しくなる」 というようなことが書かれてました。 自分は誰かの役に立つことは好きなのですが、そのことでお金を請求するのが苦手です。一方で、役に立つことをしてるのに相手から配慮して貰えないと苛立ったりします。また、何かを頼まれて断ることに罪悪感を覚えます。断ったら「嫌なヤツ」と思われるかもしれないという恐怖もあります。 アドラーの指摘するように、自分の課題と相手の課題を切り分け、「お金を請求して、支払うかどうかは相手の課題だから、気にせず請求すればいい」「相手の役に立つことをしても、それにどう応じるかは相手の課題だから、相手の配慮を期待するほうがおかしい」「頼まれ事を断ったとして、それをどう感じるかは相手の課題だから、どう思われようと気にすることはない」と考えれば確かに楽なんですが、お坊さん的にはこうした考え方ってどうなんでしょうか? そう考えると楽なのは分かるんですが、なんとなく腑に落ちないのです。 以前聞きかじった禅の思想(教え?)で、「一時の結果や他人の評価など気にしても仕方ない(どうせ本来無一物/諸行無常)」「自分は自分。他人は他人(主人公)」みたいなのがあった気がします。うろ覚えですが。 禅にも似ている考え方があるんじゃないかと思い質問してみました。 実は人に相談するのもとても苦手です。 ご回答頂ければとても嬉しいです。

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