自分自身を完全に燃やしつくすとは
Be Happyその他/40代
鈴木俊隆師の「禅マインドビギナーズ・マインド」を読みました。その中に、「自分自身を完全にもやし尽くすのです。... 禅とは、常に完全に燃やしつくして、灰しか残らないことをいいます。」
これは、「只管打坐」ということでしょうか。それとも、他にこの意味合いの語句がありますか。教えていただけたら大変嬉しいです。
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お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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禅は実践、言葉では無い
その本の著者では無いので、真意はわかりませんが、想像するに自分というものが初めからなかったということに気づき、捨てるようさえもなくなるということでしょう。
握っている自分さえも捨て去る。手放しであるがまたで座る。
しかし、「捨て去る」といっても「手放し」と言っても、「あるがまま」といっても能動的に働きかける自分という存在が残る。だから違う言葉で燃やし尽くすと表現されたのでは無いかと。実際には燃やすものさえも無い握ることもできない様子が今、ここにドーンとあるという事実のみで生きているのでしょう。
只管打坐もただの言葉。
言葉では表現できない体験を言葉にするから色がついたりずれたりするのです。言葉や本を探ることではなく、実践の中で自らが気づかないとわからないことです。
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有り難し



ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。
◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。
◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。
◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。