言ってしまった後悔
いつもありがとうございます。
先日、初めてお会いした女性の方がいます。(今後、再びお会いする機会があるかどうかわかりません。)
後々、お話しした内容を思い返すと、その方を傷つけるようなことを言ってしまったのではと考え、日々悩むようになりました。
言ってしまったことは取り消せませんし、この気持ちとどのように向き合えばよろしいですか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
やってしまった事実は消えない。しっかり埋合せしましょう。
「覆水盆に返らず」という諺がありますが、あなたが発した言葉は取り消したいと思っても、取り消すことは出来ません。国会で議員が失言しても、「撤回します。」「取り消します。」と言えば通用するようですが、あれば国会と言う特定の「ムラ社会」のルールが適用されるから糾弾がマッチポンプで終わり,マスメデイアの追及も尻すぼみで終わります。
ところが、実際の地域や学校や会社というコミュニテイーに於いて、「ごめんなさい。」と言ったくらいですべてが許されるわけではありません。
悪業を犯した時、仏教徒は懺悔(さんげ)を行います。懺悔とは、自ら犯した罪過について、仏や僧侶の前で告白して許しを乞う行法のこと言います。懺悔を行うには、懺悔文(さんげもん)という偈文を唱えます。日々、仏前で懺悔文(さんげもん)を唱え、欲望が肥大化していくことを抑えましょう。
宗派によって若干語句の異同があり、唱え方も異なっているようです。曹洞宗の場合は、
下記のように漢字を音読みで唱えます。
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
我、昔より造る所の諸の悪業は
皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち)
皆、無始の貪瞋痴に由り
従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)
身口意従り生ずる所なり)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
一切を我、今皆な懺悔す
意馬心猿(いばしんえん)ということわざがあります。「意(おもい)は馬のように奔走し、心は猿のように騒ぎ立てる。そのように、煩悩とは実に抑えがたいものである。」という意味です。馬や猿は抑えが利かない。そして、我々人間も、同様に、貪瞋痴の三毒という煩悩に振り回され抑えが利かなくなってしまう危険をはらんでいます。
煩悩のコントロールに努めてこそ、人間です。あなたの場合、自分自身の危うさを自覚しているようです。今回の失言に気付き反省してます。そういう自覚を日々忘れず、日々懺悔文を唱えて自分の心と行動を点検・反省し、暴走を防いでください。
お互い頑張りましょう
拝読させて頂きました。ご自分の言ってしまったことで相手の方を傷つけてしまい後悔なさっておられるのですね。
既に言ってしまったことは消すことはできません。そして相手の方を傷つけてしまったのであればそれも消えることはありません。ご発言の内容がどのようなことなのか定かではありませんが、やはりご自分の中でしっかりと反省頂き、これから相手に対してお話しなさる言葉を相手の方の身になってお話しなさる様心がけて頂くことかと存じます。なかなか相手の身になって発言するということは大変難しいです。でも常日頃からお心がけ頂ければあたた自身もお変わりになるかと存じます。私も自分に言い聞かせて参りたいと思います。どうかこれから人を尊重し、人の痛みが分かる人格を持つことができるように私と共に努力精進しましょうね。
またもし相手の方にお会いすることができたのならば真摯なお気持ちで謝罪なさって頂ければと存じます。
あなたが人のことを思いやり周りの方々と共に苦楽を分かち合う素晴らしい人格をもった方となられていかれる様にと心から仏様にお祈りさせて頂きます。お互いに誠心誠意がんばりましょうね。
質問者からのお礼
丁寧なご回答ありがとうございます。
言ってしまったことはしまったことは取り消せませんが、今後このような事がないように努めます。
本当にありがとうございました。