心の苦しさは全て煩悩なのか
諸説あるのかも知れませんが釈尊の説くところ、全ての苦しみは煩悩と執着から生まれ、文献によっては流れに任せ何も気にせず考えない事が良し言われたともあります。
自分も宇宙の現象の一つとして動物のように木のように水のように空気のようにただ有りたいと思っています。
しかしながら、災害や戦争、とくに幼い子供の悲しい事故や死のニュースをみると胸が張り裂けそうになります。これもまた仏教的には煩悩や執着であり、無視するべき感情という事になるのでしょうか
嫌な気分になることは全て煩悩だと思います。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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慈悲の心かと思います
人が心に感じる痛み苦しみは、求めても得られない、叶えられないということから生じます。
人から誉められたい、◯◯が欲しい、いつまでも若くいたい、死にたくない、‥‥これらの欲求が満たされないために苦しみます。
戦争、災害、事件で子供や罪の無い人が傷ついたり亡くなったりすることみて心が痛むのも、形としては同じように見えます。
子供には安全に楽しく育って欲しい、皆が安心安全に生きて欲しいという願いが損なわれるために苦しくなるのです。
ですが、自分が、自分がと苦しむ場合と、他のために苦しむ場合と、その方向と長さは違っています。
自分に向けられた欲は、もっともっと、と際限がありません。対して、他に向けられた欲は「では、自分は何ができるか」と関わりの度合いを考えることができます。募金であったり、ボランティアであったり、選挙の投票であったり。
ただ祈ることだけしかできないこともあるでしょう。ですが、他のために何かしら自分の力を分かち伝えることが人にはできます。この心の働きを慈悲の心というのだと思います。
執着を離れて、また慈悲の心を持って生きるように、仏は教えられていると思います。
質問者からのお礼
百目鬼洋一様、
早々のお応え有難うこざいました。
仏教ではよく全ての苦しみから救われるという言葉が使われますが、自分には全く無関係のことでもとても辛い気持ちになってしまいます。自分の力ではどうすることも出来ない事は考える必要がないともよく言われますが難しいです。
有難うございました。