最大の気掛かり。曹洞宗、中卒の場合の安居年数
私はおよそ1年前、曹洞宗にて在家より得度しました。
子供の頃より佛の道を志しており、僧侶としての道程に足を踏み入れ、僧籍となった得度式はいつまでも私の良き思い出です。
さて、とはいえ私の僧侶生命も始まったばかり。坐禅も正法眼蔵も法式もサッパリ、曹洞宗の組織や寺格も分からないことばかりです。
そんな宗門に無知の私には今最も気掛かりなこと、不安があるのです。それこそが本質問の表題、安居の年数です。
私は色々な事情、因縁から高校を中退、最終学歴は事実上の中卒。安居となればその期間は学歴に応じるものと云うことは流石に承知しています。私は財も時間も与えられなければこの中卒のまま、安居に入ることとなります。
私は長い期間の安居でも構わないと思いたいのですが、何処か思いきれない、雲水の雲水たるに成りきれない愚か者です。度々制中の期間が変わっていると聞いては、今日の中卒の身の安居は、一制中何ヵ月で何制中なのか、と日々気に掛けています。
達磨大師に問えばあしらわれる様な愚問ですが、どうか師の皆様に、私の、中卒の安居の現在の状況について教えて頂きたく思っております。説教、警索でも喜んでお受けします。
合掌低頭。
一般家庭に生まれ、10代の終わりに曹洞宗にて出家。 一般職と納僧職を兼業する繰り返しを経て、現在は関東の田舎にある檀家100件足らずの小さなお寺に身を置き、副住職まがいのことをしております。 とは雖も、法要随喜や派遣法務のほか、托鉢や坐禅会の指導、各地の師家への拝登などで各地を転々としており、年間の殆どを寄る辺のない立場で過ごしております。 現在は特に澤木興道老師、内山興正老師らの提唱する禅を軸にしております。
煩悩とは「煩わしい悩み」と書きます。 足ることを知り、心身脱落することこそが、煩しい悩みを手放す特効薬ではないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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資格は結果としてついてくるもの
曹洞宗僧侶 邦元です。
安居年数というのは資格の事ですよね。すみませんが私にはよくわかりません。どの資格をとるかによって年数は変わると思います。宗務所や宗務庁に問い合わせるのが早く一番間違えがないと思います。
修行についての考えですが、私も恥ずかしながら資格をとるために修行に行きました。しかし、本来はそうではなく志をもってあなたが出家されたように、尊敬する指導者のいる僧堂で仏道を極めるべく納得いくまで何年でも行くものであると思います。作法がなどを覚える事が全てではなく、自己を追求し人々を救える自信がつくまでは帰らない というぐらいの決意が必要だと思います。
是非菩提心をもって全うしていただきたいと存じます。
質問者からのお礼
お礼遅れてしまいまして申し訳ございません。質問をさせて頂いて以来、縁あってとある方丈御寺院(普通の御寺院です、他に役僧はおりません)に勤めさせて頂くこととなりました。
その御寺院では日々、役僧としての役を果たせる身になるため法式を研鑽しつつ維那や受所、作務等を勤め、そして方丈の情により余裕を持って安居に入れるようにと厳しく御指導頂いております。
勿論これは安居歴に含まれません。その中でこの一ヶ月、邦元師の御告諭を思い起こし、教師資格などを越えた佛道修行の意義を考えておりました。
惜しくもその真髄にたどり着く前に、お礼の期限が来てしまいましたので、思慮中程で御礼の言葉を挙げさせて頂きます。
既に受け難き人身を受けたるのみにあらず、会いがたき仏法に会い奉れり-。拙小僧、僧伽ならぬ伽藍に叢林を感ず。
合掌。