身内の怪我の治癒を祈ってほしい回答受付中
詳細は控えますが、身内が怪我をいたしました。
その時はどうなることかと肝が冷える思いをいたしました。
いまは大丈夫そうにしておりますが、まだ様子を見る必要があり、心配が続いております。
どうか、怪我が回復し、また同じようなことが起こらないように、お祈りいただければ幸いです。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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一度止まって「正しく」みつめる
わかりました。
ご身内の方がケガが回復され、難事のなからんことを祈念して災いを消し去るお真言をお唱えしておきます。
人間の活動、人生とは車の運転、自転車の運転と同様で、よそ見をしたりブレーキをかけるべきところでブレーキをかけませんと思わぬ事故やけがにつながるものですね。
よくよく世界を見渡せば、自動車や自転車を乗りこなす達人であっても、街中ではきちんとみんな安全運転を心がけているものです。
よって、家の中にいるときも、外出先でも心の安全運転が第一であります。
心を何かに奪われて自分の一番の安定した状態を見失ってしまうことこそが一番危険だと思いますので、心をおさめることを大切にいたしましょう。
はすっこ様ははすっこにおられてもそこがはすっこ様にとっての世界の中心地であり、ご自身の生命のアドレスのありかです。
いまいるところ、そこがいつでもだれでもどこでも生命存在と人生のド真ん中であるということをきちんとよくわきまえて、疎かにならないように丁寧に行なうようにお勤めください。
はすっこさんがそこをきちんとおさめることで、ご身内の方にもその穏やかな安全運転の心がつたわり、今後の危険な運転や事故やケガも無くなることと思います。
心を乱さないための方法をお伝えしておきます。
その方にもタイミングが合えばお伝えしてあげてください。
こころをおさめるには、
心でもって、この心に目をむけて、この心が今まさに「何に」触れているか。
何と関わっているかをよく見つめます。
そして、そのモノやコトとのかかわりの中で、自分流の考え方や不安が介入されていないさまをよく見つめて、今触れていることはまだ私的な考え方が添えられていないまっさらで清らかなさまをしていることを一度止まって見届けることです。
正しいとは一と止まると記しますが、心が浮ついた時こそ、一度止まって正しく物事を見つめるという姿勢を持つようになさってください。
そうすれば、ご身内の方のお怪我もお怪我としてはショックでしたでしょうが、今は快方に向かっている、治療中であるということがちゃんと見えてくるはずです。
みなさまの無事、安全、安穏をご祈念いたします。
落ち着いて足元を確認しながら
拝読させて頂きました。
あなたの思いや願いを読ませて頂きました。
お身内の方のおケガが速やかにご回復なさいます様に心より仏様や神様や皆さんのご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌
人生は一寸先は闇、です。
どうか決してあわてずに先ずは落ち着いてしっかりと目の前を見ていきましょう。
脚下照顧、という言葉があります。
自らの足元にしっかりとお向き合いなさり、照らし出して確認することがとても大切だと教えている言葉です。
それにより様々なことを回避することができると思います。
あなたや皆さんがこれからの未来にしっかりと落ち着いてお向き合いなさり、一歩一歩確認しながら進んでいかれ健やかに安心なさって生きることできますように切に祈ってます。至心合掌