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死にたくなってきた③

回答数回答 2
有り難し有り難し 10

→②の続き

⑤終わりに
  今回は今日の中(今日までの中)で特に話したいと感じたものを話させて
  頂きました。
  バイトに過度に仕事を任す上司の話だったり、物凄く不愉快な高校生の
  話だったり、余り楽しくない友人達との関係だったり、不愉快で最低最悪
  の友達(?)の話だったり、励ますだけのお母さんの話だったりと私の周り
  には常に死にたい原因が沢山あります。
  お坊さんの前でこんな事を言うのは失礼かと思いますが言わせて貰いま
  す。
  この世に神も仏もない・・・。
  私がこう感じた理由は今私がストレスだらけで自殺を図ったりしている為
  です。苛めっ子などがのうのうと生き苛められっ子が耐え切れなくなり死
  ぬ。
  こんな可笑しい世の中に矛盾を感じた為、あの言葉を言わせて頂きまし
  た。
  長文でしたが見ていただき本当にありがとうございました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

神も仏も無いと思った。でも それに近い人間はちゃんといた。

私もあなたと同じく死んじまおうか、と思っていたころは本当にそう思ったですよ。
ところがどっこい、こうして生きて、かつての私みたいなアナタに生きて欲しいよって言っている。
確かに寺や神社なんかに神も仏もいねえよ。
でも神さまやら仏さまってのは、こうやって出会いによって見つけていくもんなんですよ。
そこらに平和やら愛があるんじゃなくてね、それを作ろうと思った人間の中に平和やら愛が生まれるんです。
傷付いた分だけ、アンタ、絶対やさしくなれるって。
あなたは今、愛に枯渇している。孤独だ。孤独なんだ。
だからこそ、人間の寂しさを誰よりも深く分かってあげてください。その寂しさを埋めてあげてください。
まず、お父さん、お母さん、友人、感じの悪い人間たち。
自分の周りを赦して、愛してあげると、あなたは変わる。
だって世界のどこかに、愛とか真実だとか、神だとか仏がころがっているだろうか。
私は図書館だとか、お寺であちこち探し回ったけど、見つからなかった。
今になって気づいた。
この世は神様だらけホトケサマだらけだってことに。もちろん悪党もいる。
この世を地獄にしてしまう、地獄に感じてしまうのは自分。
このよを極楽、天国にするのも自分の力。
100人の人がいて、同時に同じ体験をしたとする。
20人は怒る、20人はよろこぶ、20人は泣く、20人はシカト、20人は傷つくとする。
私は、その100人には属さない。まず、そのものを味わう。感情や評価の先に。
先日知人が30代で死んでしまった。ガンで。
彼は亡くなる前に言っていました。
「人間は考えでは絶対に救われない。事実によってのみ救われるんだ」と。
100人に属さず、考えや評価に振り回される前を生きる事が仏道です。
私は本当に地獄の底から這いあがらせてもらいました。ちゃんと救いはある。
私はそれをきちんと伝えることができる。よかったらもう少し、生きてみてもらえませんか。
そして、自分を救ってあげて欲しい。そして、多くの人を助けてあげて欲しい。
御連絡をお待ちしております。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

心配性ですね。

 全文読んだ感想は一言でいえば心配性かな?!人生経験が足りない10代特有の悩みですね。地球はあなた中心に回ってはおりません。同じような経験はワシはしました。恐らくは同じ気持ちになったこともあります。
 これ以上長々と回答しても誤解や偏見が生じてしまいますので、一言、10代の内に良い経験しましたね。ただ、同じことを他人にはしないこと。これだけ注意していれば大丈夫。成人し、働くようになるとこの経験が生かされる日が必ず来ますよ。あなたは立派な方です。この経験を伝道する気持ちで自信を持って生きましょう。

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有り難し
おきもち

目指せ!となりのお坊さん あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのではありません あなたの悩みを解決するお手伝いを私がするのです ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
ここだけの話し  どんな些細な質問でも回答します! ・私の目指す僧侶は一休さんのようなちょい悪坊主です。時には常識にとらわれずとんでもないことを言いますが、しっかり受け止めて下さい。私もしっかりとあなたの質問を受け止めたいと思います。 ・先ずは30分からで、システムに慣れたら時間を延ばしたいと思います。

質問者からのお礼

回答して頂きありがとうございます。
私は先日友達と遊びに行ったのですが、そこでまた死にたい気持ちに陥ってしまいました。
しかし、私はこの世には救いは必ずあると言う事を信じ、良い事を経験したと思い頑張ってまだもうちょっと生きてみたいと思います。
長くなりましたが、ちゃんと悩みを見て頂き回答して頂きありがとうございます。

それでは、また。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ