人間関係で嫌われやすい自分を変えたい回答受付中
はじめまして。初投稿です、拙い所ありましたらすみません。
私は現在、とあるサークル活動に参加しています。その中で一部のメンバーから良く思われていないようで、特に数名からは明らかな悪意を感じる発言をされます。自分にも悪い点があると思うので「お互い様だ」と納得している部分もあります。元々人付き合いが得意ではなく口下手なため、何気ない発言や態度が相手の気に障ったのかもしれないと考えています。
困っているのは、その悪意を持つメンバーが活動中によく絡んでくることです。私は自分から話しかけることはなく、名指しされたら最低限返事をするだけと決めていますが、それでも集中できなくなり、周囲に気を遣わせてしまうこともつらいです。「わざと集中を削ぐ嫌がらせなのか?」とまで考えてしまい、善意か悪意か判別できなくなります。嫌われていないと思っていた人にまで疑心暗鬼が及び、「味方はいないのでは」と被害的に考えてしまい、自己嫌悪に陥ります。
活動自体は大好きなので、こうしたこじれで辞めたくはありません。ただ10代の頃から、グループの中で浮いたり良く思われなかった経験が多く、「きっと自分に原因があるのだろう」と漠然と感じていました。その都度「仕方ない」と自己完結してきましたが、この歳になり「自分を変える良い機会、好機なのでは」と考えるようになりました。
そこで伺いたいのは二点です。
①今のような状況でどう立ち回ればよいのか。
②人に悪く思われやすい自分の欠点をどう直していけばよいのか。
どんなご意見でも構いません。ご指摘いただければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。
私は20代後半です。 学生時代に2度、新社会人の頃に1度、人生を投げ出しかけた経験があります。その過程で人間関係に強い疑心暗鬼を抱くようになり、数年前、自らの意思で友人関係をすべて絶ちました。その選択自体は正解だったと感じていますが、孤独感が残っていることは否めません。 家族との関係は特に悪くはありませんが、良好とも言い切れません。母とは普通に会話できますが、それ以外の家族や親戚に対しては気まずさを感じることが多いです。ただ、姉とはとても親しく、心強い存在です。 現在では自身の趣味を通じて新たな人付き合いが増えてきましたが、まだ深い仲になれる人はいません。 性格は不器用で口下手です。人の言葉を悪い方に受け止めてしまい、自己嫌悪に陥ることも多い一方で、自分の興味のあることや好きな活動には真剣に取り組むタイプです。 今は、過去のように「諦める」ことでやり過ごすのではなく、人間関係の中でどうすれば自分を良い方向へ変えていけるかを学びたいと思っています。
他人と比べては自己嫌悪に陥り、「誰も自分を理解してくれない」と殻に閉じこもる。人の目を気にしすぎ、孤独と疑心暗鬼に苦しむ。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたが変わるためのアドバイス
すこし厳しいお答えになるかもしれませんが、どうかご容赦ください。
どのようなサークル活動かはわかりませんが、サークルと名がつく以上、ほかの皆さんはお互いに活発なコミュニケーションを取りながら、和気あいあいとその活動を楽しもうと思っているはずです。
その中に最低限返事をするだけのメンバーがいたら、サークル全体の雰囲気が悪くなりますし、そんなメンバーに反感を覚える人たちも当然でてくるでしょう。
あなたに悪い点があるとしたら、その一点だけであり、口下手かどうかかは根本的な問題ではありません。
その上で、あなたが変わるための実践的なアドバイスを差し上げます。
まずは、人には必ず笑顔で接してください。
コミュニケーションを円滑にする上で、笑顔は最大の武器となります。
楽しくなくても、無理にでも笑顔を作ってください。
不思議なもので、笑顔をつくると、気分も自然と明るくなるものです。
続いて、あなたが、あなたの周りに巡らせている垣根を取り払ってください。
すぐに取り払うのが難しいのなら、垣根をできる限り低くしてください。
あなたが母親の前で見せている、気取らない本当の自分の姿を、ほかの人たちにも見せてあげてください。
自分の裸の姿(もちろん多少の衣服と化粧は許されます)を晒すのは勇気のいることですが、それを目にした人間はあなたを信頼し、あなたの仲間となるでしょう。
親しい友人も、そして彼氏もきっとできるでしょう。
人間は変わろうと思えばいつでも変わることができますが、あなたにとって今がその好機となることを願っています。
「人に悪く思われやすい自分」と向き合うために
ご相談を拝読いたしました。サークルという大切な場で、悪意を向けられているのではと感じる苦しみ、疑心暗鬼から自己嫌悪に至るお気持ち、胸に深く響いてまいります。
仏教の教えには「縁起」という考え方があります。すべての出来事や関係は縁によって生まれ、変わり、やがて去っていくものです。相手の発言や態度も、自分の内側の不安や過去の経験と交わることで「悪意」に見えることがあります。けれど、それは固定した「真実」ではなく、縁によって変わりゆく「仮の姿」とも言えます。
まず①について。「立ち回り」においては、無理に取り繕う必要はありません。相手にどう思われるかを気にしすぎるほど、自分の心は乱れてしまいます。真言宗では「阿字観」という瞑想がございます。自分の呼吸に意識を向け、いまここに確かに生きる自分を感じることで、心が少しずつ整います。嫌な言葉や態度に触れた時も、「これは雲のように流れていく縁」と捉える習慣を持つと、過剰に心を揺らされずに済みます。
②「欠点をどう直すか」について。仏教には「自他一如」という言葉があります。自分と他者は本来一つであり、相手を理解しようと努める心が、そのまま自分を成長させます。人に悪く思われやすいと感じるなら、「私は何を伝えたかったのか」「どう言えば届きやすかったか」と自分の意図を振り返ることは大切です。ただし、それを「欠点だから直す」とはせず、「学びの機会」と受け止めてください。欠点は責めるものではなく、磨けば光る石のようなものです。
また、誰からも好かれる必要はありません。仏さまですら、すべての人に理解されることは難しかったのです。ご自身の誠実な心を大切に、少しずつ言葉を丁寧に選び、相手の立場を想像してみる。それだけで十分に尊い修行であり、あなたが人として深まっていく歩みです。
どうか「私はこの場を愛している」という想いを信じて、焦らずに歩みを続けてください。その真心こそが、やがて周囲の人にも伝わり、良き縁を結んでいくことでしょう。
合掌
あなたを心より応援してます
拝読させて頂きました。
あなたがこれからの人付き合いについてどうすればいいのかと悩んでおられることを読ませて頂きました。詳細なあなたや周りの人達とのことや関係性はわからないですけれども、あなたが悩んでおられることはとても伝わってきます。あなたのお気持ち心よりお察しします。
あなたが人との関係を良好にしたいと思っておられるのであれば、あなたが信頼できる公正な方々にあなたのことを客観的にどう見えるか伺ってみてはいかがでしょうか?
あまり全て改善しなければならない欠点とは受け止めずに、他者からそう見えているんだ、そう感じているんだと思う程度でいいと思います。
自分の性格も考え方も性分もそうそう簡単に変えられるわけではありませんから、あなた自身が少し気になることを意識しながら変えたいところを少しずつ改善なさっていけばいいと思います。
決して無理矢理変える必要はないです。人それぞれに欠点もあれば善いところもあります。一概に良し悪しは言えません、その時々によって変わりますからね。
またあまり敵味方と見ない方がいいと思います。一見とっつきづらい方でも知り合ってから実は自分に合っている方もいますし、お互い信頼し合うことできる方もいらっしゃいますからね。
まだまだ人生は長いのです。あわてることなくじっくりと腰を据えてあなたの生きる道に向き合っていきましょう。
あなたがこれからの未来に壁を作らず様々な方々と出会いご縁を深めていきますように、あなたが目指す生き方を志し心から豊かに充実した人生を沢山の方々と一緒に生き抜くことできますように切に祈っております。
そしてあなたを心より応援させて頂きます。
またぜひあなたのお気持ちやお考えをお聞かせ下さいね、あなたを心よりお待ちしてます。至心合掌