これからの生活習慣回答受付中
ネット依存でした。
音楽とか動画とか。
グループホーム勧められたけど、断ってしまった。
怖かったのだと思う。
実家出たかったな。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
逃げた自分を責めないで
あなたの短い言葉の中には、
とても大きな孤独と、そして深い自己理解が滲んでいます。
「ネット依存でした」という告白も、
「実家を出たかった」というつぶやきも、
そこには“自分を守るためにそうするしかなかった”という
切実な祈りが込められています。
1. ネットの中にあった「居場所」
人は孤独なとき、心が疲れたとき、
静かに寄り添ってくれる場所を探します。
あなたにとって音楽や動画は、
「責められない」「比べられない」「否定されない」場所だったのでしょう。
それは依存ではなく、心の避難所だったのです。
依存を責める必要はありません。
仏教では「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」
苦しみの中にも悟りへの種があると説きます。
ネットに逃げた時間さえ、あなたの心を守るための
大切な“修行の一部”だったのです。
2. グループホームを断ったあなたへ
「怖かった」と書かれましたね。
その“怖い”という感情には、
自分を守るための直感が働いています。
知らない場所で、知らない人たちと過ごすのは、
誰にとっても勇気のいることです。
断った自分を責めるよりも、
「まだその時期ではなかった」と受けとめてください。
心の準備ができるまでは、
動かないこともまた“行(ぎょう)”なのです。
3. 「出たかった」という願いは、生きる力
「実家を出たかった」と思うのは、
逃げたいからではなく、自分の足で立ちたいという
健やかな願いの表れです。
真言宗では「歩くことも祈り」といいます。
たとえ今すぐに出られなくても、
“自分の居場所を作りたい”という想いを
持ち続けることが、祈りの第一歩です。
4. あなたへの言葉
逃げた自分も、立ち止まった自分も、
すべて“生き延びた証”です。
何も間違っていません。
あなたの心はまだ途中にあります。
どうか焦らず、少しずつ、
“怖かった”その感情の奥にある優しさに気づいてください。
そこには、確かにあなたらしい光が宿っています。
合掌
あきらめなくていいと思います。
思い立ったが吉日ということわざもあります。
今、実家を出てみたいと思うのでしたら、今からでも勇気を出して勧められたグループホームをお願いしてみてはどうかな?
心配しないでも合わなければ実家に帰ってくればいいのですから。
他人と交流することによってネットを見る時間が減ってネット依存からの回復にもなると思いますよ。
勇気を出して一歩踏み出してみてくださいね。
ハスノハもネット。ちょうどいいバランス。ゆっくり見つけよう。
ネット依存。「依存」って、日常生活にまで影響を及ぼすってことですが、今や生活に切り離せないものでもあるから、私もネット依存かも。AIが関心のある情報をどんどん見せてくれるものね。一度見たら、離れられないよね。スマホのバッテリーが切れるとか、そんな強制的な状況でないと、なかなか手放せないものですよね。
グループホームって、スマホ使用の制限がある場合もありますし、ネット無しでどうやって過ごしたらいいのか、不安にもなったんじゃないかしら。
ハスノハに繋がるのも、ネットだものね。必要でもあるよね。
ちょうどいいバランス。ゆっくり見つけていきましょう。