虫の知らせ
昨年、父が急逝しました。
亡くなる前日の午前3時まで、徹夜で仕事をしていた私の前に、薄く透明な姿で父が現れました。
何か言いたげな感じで、右往左往して消えてしまいました。
翌日、母から父が冷たくなっている!すぐに来てほしいと連絡がありました。
落ち着いた今、すぐに電話なり、会いに行っていればと後悔しています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お父様から頂いた「思い」を人生に活かしていく。
先ずは、お父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
お父様がお亡くなりになられる直前に虫の知らせがおありだったとの事…。
もしかすると貴女に自分の最期を見せたくなかったのではないでしょうか?
貴女の悲しみに暮れる姿を見たくなかったのてはないでしょうか?
だから逆にお父様の方から最期のお別れの気持ちを遺す為に、貴女の前に「虫の知らせ」として現れたのではないでしょうか?
「頑張れよ」かもしれない…。
「有り難う」かもしれない…。
「元気で」かもしれない…。
「お母さんの事頼むよ」かもしれない…。
その時お父様が何を伝えようとしていらっしゃったのかはわかりませんが、最期までお父様は貴女に
「優しさ」
「思いやり」を遺していって下さった。
父親としての役目を全うしていかれたのではないでしょうか?
その様に受け止められた方が、これからも人生を送られる貴女にとってお父様が最期に遺して下さった「思い」を生きる原動力に変えて行くことが出来るのではないでしょうか?
人間はいつの時代においても大切な人を喪ってしまってから「あの時~しておけばよかった」
「もっと~しておけばよかった」「もっともっと親孝行しておけばよかった」と後悔の念を抱いてしまう生き物です。
しかし、何も悔いる事はありません。
お父様からちゃんと生前中~亡くなるその時迄、「優しさ」「思いやりの気持ち」貴女にしかわからないお父様から譲り受けた「思い」「意志」を受け継いでいらっしゃるのです。
貴女の中にお父様のスピリットは宿っているのです。
これからは「行(ぎょう)の供養」と言って自分の生き方を亡き人に見て頂く、亡き人にお供えすると言う「生きざまの供養」がございます。
先の山口老師も仰られていますが身近にいる家族や友人、知人の方は勿論の事、何事にも「優しさ」「思いやり」「感謝」の気持ちを忘れずに日日を過ごして頂ければ、それが行の供養になっていく事でしょう。
又、その様にお父様から頂いた1つ1つの「思い」の種を周りに対して色々な形で蒔いていくことが亡きお父様への「親孝行」の1つにもなりましょうし、亡きお父様を活かし(生かし)て行くことにも繋がっていくのではないでしょうか…。
想定外の「まさか」想定内の「やっぱり」この世はやっぱりかも
先ずもつて急逝なさったお父さんのお悔やみとご冥福をお祈り申し上げます。
急な事でその時は考えなかったけれど今落ち着いて来た処で頭に浮かぶののがあの時ああしとけば!こうしてけば!との思いに駆られた方は案外多い事に気付きます。
死の受け止め方には二つあります。一つには自分自身。二つには自分以外。ですが共通する点は逃げられない!いずれは必ず来る意識から想定内にしてなくてはならないんですが、分かってはいるけど恐怖心、不安感から避けて通ろうとします。すると心構えが出来てないので「まさか」の思いが出てきます。
この世は全ての事がらは想定すれば想定内です。人の死の予定や予想はできません、想定は出来る心が「やっぱり」です。想定外は「まさか」です。
あ貴女にとっては今回の出来事は想定外であり「まさか」でした。
仏教では覚悟の心が肝心なんですが覚悟は想定内の心構え「やっぱりの思い」を作る事でもあるのです。
貴女は幸せ者です。虫の知らせがありお父さんと会えてたんです。誰もが経験出来ないんです。お父さんは貴方の事が心配だった、親は子供の事は死ぬまで心配もしり安心もしてみたり心は何時もあるのです。あなたにしか分からないお父さんの最後の姿だったんです。感謝しましょう。死ぬ間際まで貴女の事を気がかり会いに来てくれたお父さんに!
今は後悔するより仏となられたお父さんへお悔やみの心が供養の心に替えて
仏様に成られたお父さんを自分の胸の中に何時も抱き忘れる事無きよう何時でも心で合掌して感謝の心を教えてくれたお父さんへまた感謝して下さい。
質問者からのお礼
丁寧なお答え有難うございます。
『最後に父に会えた』とのお言葉には、はっとする思いです。
そうですね。この世は『まさか』の連続ですね。
私も『まさか』の毎日を一生懸命、生きたいとおもいます。
必ずくるこの世を去る日まで。
寄り添ったお答え有難うございます。
『あの時~しておけば…』でも、あの時はもう存在しないのに、『もしも…』と有り得ない事をふっと思ってしまいます。
有り得ない『もしも』ではなく
『今』を精一杯生きて、私の中にあるであろう
『父』の教えを子供に受け継いでいきたいと思います。
不器用な父が、『人様には親切に、思いやりと感謝の気持ちを忘れないように。』
『自分のしてあげた事は、くどくどと思わない。だけどしてもらった事は、しっかりと覚えていて、おまえができる事があれば、快く行いなさい。』と言われたことを思い出しました。
鬱陶しいなと思って、忘れていた私へ
最後のメッセージだったのかもしれません。