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喪中についての疑問

回答数回答 2
有り難し有り難し 11

はじめに、私は現在高校生でまだまだ未熟な身です。
あやふやな質問になる可能性がありますが、ご了承下さい。

私は先日友人とこんな会話をしました
私「年末皆んなで集まって年越ししよーよ!」
友人「いいよー!あっでも私今年喪中だからあけおめって言えないわ、ごめん皆んな〜」

私はとてももやもやしました。
私の中だと、喪中というのは亡くなった親族を思って悲しみ、乗り越える期間ではなかったか?
それを理由に本来お祝いしたいところを我慢して祝わないというのは少し違うのではないか?と

文化というより強制的な感覚がしました。

あくまで期間内に乗り越える事を目的として、その期間中はお祝い事は避ける、
そして自分の中で死を乗り越え、決別がしっかりついた時、そこを持って喪中は終わりではダメなのですか?

2025年12月20日 0:40
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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

服喪は個人の中だけではなく、社会的なものです

服喪の習慣はお話の通り亡くなった方を悼み、それによって悲しみの感情と折り合いをつけるために必要な時間を過ごすものです。
これは、それぞれ個人の内面についてだけではなく残された家族、親族、知人も含めた社会的な広がりの中にあるものです。個人の中で決着がついたと思っていても、友人、知人の中には「○○さんはおばあちゃんが亡くなったばかりだから、あんまり騒がしいところに誘っちゃ悪いね」と心配して下さる場合もあるでしょう。逆に、自分の中では到底決着がついていなくても、「いつまでメソメソしてるんだ、もういいだろう」とズカズカと自分のペースに巻き込んでくる人もいるかもしれません。
こうしたあれこれの食い違いを調整するために、共通の基準として服喪の期間を定めて、その間は儀礼的に華美な振る舞いは控えましょうと決めたということです。
昔は、身分などによって期間と内容は異なっていて法令で決められていましたが、現在では期間も内容もはっきりと決められているわけではなく習慣としておよそ一年くらい晴れがましいことは避けるとされているだけです。
習慣ですから、まったく無視するわけにもいきませんが、どの程度になるかは個々の判断です。また、逆に個人の尺度で他の人の振る舞いを間違っているとか正しいとか簡単に判断することもできません。
そもそも人間の感情は揺れ動くもので、Aから非Aに決着がついたら二度とAに戻らないというようなものではありません。悲しさが落ち着いたり、ぶり返したりしながら次第に全体に平穏に向かっていくものです。
何か資格試験のようなゴールがぴったりときまったもののように考えなくても良いのではないでしょうか。

2025年12月20日 6:17
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有り難し
おきもち

新潟県上越市、龍興山宗恩寺住職。

人それぞれですが

悲しみが癒えるまでの時間は人それぞれですし、少なくとも49日くらいで日常生活は支障無く明るく暮らせる人が多いと思います。
ただ、丸1年経過していない場合、
去年のクリスマスはお父さんが生きていた、
前回のお正月はお母さんが生きていた、
前回のゴールデンウィークはペットと一緒だったなど、
前回(去年)の記憶に故人が出てくるので、淋しくなる人もいるかもしれません。
そこに、友達がテンション高く「おめでとう!」とやって来ても、気分が乗らないどころがムカつく人もいるかもしれません。
例えば、流産した人が、友達の妊娠を素直に喜べないという相談もありますからね。
ということで、1年というのはある程度理にかなっているのかもしれません。

2025年12月23日 12:59
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

あーなるほど。ちょっと納得いったかもしれません。まだもう少し考えてはみます。
しかし何かキーはハマった感じがするのでとても有り難いです。
ありがとうございます!

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