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念仏が選ばれた理由回答受付中

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称名念仏について疑問があるのでお考えをお聞きしたいです。法然上人や親鸞聖人は、凡夫が救われるには念仏しかないと、教えを説かれました。

御二方とくに法然上人は万巻の経典を読まれた学僧として知られた方だったそうです。学問もなく、戒律も守れず、行もできない庶民が苦から逃れるには、極楽往生というゴールいわば方便を示し、念仏という行をすることしかないという結論に至られたのでしょうか?

それとも純粋に阿弥陀様の救いを実感されていたゆえに説かれたのでしょうか?いずれにしても後世の私たちにとって、とてもありがたい恵みであることは間違いないと思いながら質問させていただきました。

2026年1月4日 20:10
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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人が救われること、救いの働き、救いの力そのものを念ずる。

長年仏教を学んできた中で最近思うことがあります。
「人間の救われ方」というものは本質的には同じだということ。
宗派によって違うということがない。
阿弥陀、薬師、ほとけ、如来、大日、毘盧遮那、廬舎那、その名は多くあれども皆仏の働きであり、救いの働きです。
今の時代のは、しばらくは「宗派」というものや隔て、区分けがあって、それが垣根になって、見る人たちからすれば救いや教えに違いがあると思う人はまだまだ多いでしょう。
人間の救われ方というものは、同じ仏教で、同じ人間で、同じ日本で、異なるものなどありましょうか?私はあるとは思いません。
よって、
あの人は阿弥陀様に救われた、あの人は薬師様に救われた、あの人はお釈迦様に救われた、あの人はお大師様に救われた、あの人は坐禅に救われた、あの人は法華経に救われたといいましても、表面上は異なるように見えても、本質は同じで、救いの働きをそれらの行によって、各個人がそれぞれ見出されたのです。

よって、救いの発動の在り方、救いの形とは、みんな同じではないでしょうか。
異なるというのは表明だけ、言葉だけでしかありません。
ですから、念仏が良い人にとっては、念仏にまさるものはありません。
人間というものを人間個人が深く見つめて、見極めていく。自己の真実、この世の真実を見極める、ということを念仏や坐禅や瞑想、仏道の修行を通して進めていく中で、万人共通で見えてくることがあります。
それは、人間の心の中の本当の静けさというものには、宗派も国境も年齢も男女の性別も無い。
当時の方も、現代の方も、救いの姿は同じだということです。
だから、念仏で救われる人は、確かに念仏で救われる。
一方で念仏宗でも念仏でピンとこない人がいる。
坐禅宗でも坐禅でピンとこない人がいる。
救いを求めてはいるものの、自分のエゴや自分のものの見方や考え方、いわゆる自己脳内の主張が強すぎて、自分の心理活動が強すぎて、仏の救いが見えてこない人は多い。
それでも、きちんと我を鎮めて、わがことファーストにならないように救いを求め続ければ、ちゃんとみんなが救われるのです。
その手段、手法、方法が表面上は異なっているように見えても、覚者からすれば、人間の持つ元々の内なる仏の救いの働きをその人が見出されて救われた、というだけのことです。
南無阿弥陀仏
南無法界蔵身阿弥陀仏

2026年1月4日 23:37
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有り難し
おきもち

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時代背景、三学非器、二種深心、二尊教

法然上人が専修念仏の道に入られた直接的な原因は、善導大師の著作の文章でビビッと来たことでしょうね。
「順彼仏願故」(かの仏の誓願に順うのだから正しいに違いない)というお言葉です。
当時の時代背景としては、末法思想(正しい悟りも正しい修行も失われた末法の時代に突入した)という考え方が広まっていたそうです。
そして、智慧第一の法然房と呼ばれ、円頓菩薩戒を授ける師としても有名だった法然さんですが、法然さん自身は、「三学(戒・定・慧)の器ではない(仏道を修める才能がない)」と嘆き暮らしていた。
そこに、善導大師の文書との出会いがあり、
二種深心(詳しくは検索を)に落ちつかれたのでしょう。
浄土三部経をはじめとする大乗経典に依るなら、念仏往生の道、難行の自力聖道門ではなく易行の他力浄土門は、お釈迦様と阿弥陀様の二尊がともに選び取られた道であり、六方諸仏も賛嘆されている教え、誰にでも実践し易い道なので、爆発的な人気を得たのでしょう。
つまりは、「あ、こんな私にでも実践できて救われる道を二尊がちゃんと示してくださっていたのか!」という発見ですね。

2026年1月5日 12:39
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

その両方だと思いますよ。信じる人は信じるままに、信じてない人も信じてないままに、念仏を唱える人は誰でも救われるということですね。
そしてそこから生まれる安心感が目の前の現実を歩んでいく一助となるのですね。
南無阿弥陀仏

2026年1月5日 15:50
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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

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