取り返しがつかないかもしれない失態
私は、TwitterというSNSサービスを使用しています。
私はそこで、とても酷いことをしてしまいました。
私の学校のクラスに、同じ部活の人が居ます。その子とは前にいざこざがあり、距離を置いている関係です。
ですが、以前の部活中に私はその子に対してささいな怒りを感じてしまいました。
その時の私はとても浅はかで、一時の感情でTwitterに、こういうことがあって嫌だったと呟いてしまいました。
もちろん、本名や個人情報などは出していないのですが、知っている人から見るとやはりその子の事だとわかってしまったようでした。
その子は先生に相談し、私は先生とお話ししました。
内容を詳しく伝えられたとき、私はまた怒りを感じてしまいました。
それは、私のTwitterは非公開でその子にも教えていないからです。
その後、また先程のように悪口のような事を呟いてしまいました。
しかも、相当その子の事を貶し不快な気持ちを与える内容を。
そしてこの呟きもその子が見て、その内容についても先生に話が行きました。
そして先日、また先生とお話ししました。
プリントアウトされた私の呟きを見て、先生のお話を聞いて、私は始めて事の大きさに気付きました。
私は、その時の怒りでなんて事をしてしまったのだろう。
どうしてあんな酷いことを、不特定多数が見れる場にコメントしまったのだろう。
それからは、後悔と申し訳無さでいっぱいでした。
その子とはまだ直接この事について話してなく、相手がどう思っているのかはわかりません。
ですが、不安だったり辛かったり、怒っていたりして当然の事だと思っています。
もちろん、そういうコメントはもう削除し、Twitterもなるべく控えコメントする内容にも気を付けていますが、まだ解決はしていません。
その子に謝っても謝りきれない事だと思っています。
これから、私はどうするべきか。その子に対してどういう心構えで対面するべきなのか、どうか教えて頂けないでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
怒りは一時の狂気である
腹を立てて、つい、twitterにその気持ちをぶちまけてしまったのですね。
仏教の戒に「不瞋恚戒 (ふしんにかい)」があります。
腹を立てて激しい怒りで自分を見失ってはならないという戒めです。
古代ローマの詩人ホラティウスの言葉に「怒りは一時の狂気である」とあります。「だからこの感情を抑えなければ、怒りが諸君を取って押さえることになる」と続きます。
怒りの気持ちというのは、どこまでも暴走してしまいます。怒りの気持ちは仕方ないですが、うまくコントロールして、他の方法で発散できるようになると良いですね。
twitterのツイートは、削除することができます。あなたのツイートを削除すればリツイートも原則表示されなくなります。もう削除したそうなので、大丈夫。だから安心して。
あなたはもう十分に反省している。今はネットに載せる言葉を気を付けている。やってしまった事は仕方がない。若気の至りだったと思って、これからは気を付けよう。
本人とまだお話をしていないのですね?学校でその子が先生に報告して、あなたが先生に怒られてそのままになっている、と。なるほど。学校の先生方は、もしかしたら、あなたたちはお互いしばらく距離をおいて、時間の解決を待とう、クールダウンさせよう、と考えているのかもしれませんね。相手の方も、先生に言いつけてしまった事で後ろめたさを感じているのかもしれません。特に話をしなくても支障がなければ、学校の意向に従い、そのまま静かにしていましょう。もし謝りたいと考えているなら、一度先生に相談してみるのも良いかもしれませんね。
質問者からのお礼
とても丁寧な回答、本当にありがとうございます。
ネットでの事なので取り消せないのだとずっと悩んでいましたが、自分の気持ちとこれからの行動次第で人間って変われるのだと思うとまた頑張ろうという気持ちが芽生えました。
まだ先生との話は終わっていませんが、正直な気持ちを先生に伝え、今後このようなことがないよう十分に気を付けていきたいと思います。
いかりは一時の狂いである。これからも心の中にしまって生きていこうと思います。
本当にありがとうございました。