いらない人間として生き続けたくありません
以前、30歳で死ぬつもりで投稿をし、ご回答をいただいてから、再度考えました。そのうえで、わたしの結論は変わりませんでした。
理由はおおきく2つです。ひとつは、いかに考えても、わたし自身が世の中にとっていらない側の人間である事実に、変化の見込みがないこと。もうひとつは「できるなら海に骨を沈めたい」という意向が、自殺以外の手段で叶いそうにないことです。
後者から説明をします。自殺以外に、死後に海に骨を沈める方法には2つあります─遺言に「海洋散骨を希望する」旨を記載し、実行してくれる家族・親族を持つか、生前に業者に有償の依頼をするか、の2択です。そしてわたしの人生においては、その両方が困難であると感じています。
現状、親戚付き合いは非常に希薄で、わざわざ散骨などしてくれるとは思えません。親は先に死ぬだろうし、弟も内臓疾患を持っており、姉であるわたしより長く生きる可能性は低いと想定しています。収入も低く、ちょっとずつ貯金をする余裕もありません。
また、これは死ぬべき理由の両方に関係しますが─結婚して夫と子供をもうけることも、どうやらブスのコミュ障に生まれたわたしには実現が難しそうです。弟も障害者雇用で低収入の非モテですから、親族が増えることもまずありえないと思われます。
加えてわたしは仕事もできません。職場のチャットでは、スタンプの反応に同僚と差をつけられます。喋りもうまくないので、ランチにも誘われません。つねに気づいた時には時遅く、無能なぼっちになって過ごしています。
こんなわたしでも、2月にひとつ挑戦をしました。職場で年上の異性に、バレンタインのお菓子を贈ってみたのです。結果は、ホワイトデーに社交辞令程度のお礼を返され、DMでひとつ話を振っても広がらずに終わりました。無能で、コミュニケーション能力が低く、友達も彼氏もいない。わたしは仕事においても私的な面においても、どうやら必要とされる機会がないようです。
このような状況においては、自殺は時間の問題です。長い人生を不良品として過ごすのは苦痛であり、寿命まで生きた先にわたしの意向は叶わないのだから、端的に生き続ける理由がありません。
わたしは、死ぬ前にソロウェディングを行うつもりです。なるべく若く綺麗なうちにドレスを着るのです。そして両親にはウェイトベアを贈って死ぬ。それがわたしにとって、身の丈に合った最後の夢です。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたは不要な存在ではない
ご相談読ませていただきました。ご自身なりに深く考え抜かれた末の結論なのだと思います。その真剣さが、文面からひしひしと伝わってきました。しかし僧侶として、はっきり申し上げます。「いらない人間」という結論だけは、そのまま受け取ってしまってよいものではありません。
仏教では、人は誰一人として単独で存在しているのではなく、無数のご縁の中で生かされている存在と見ます。これを「縁起」と申します。あなたがここに生きておられること自体、すでに数え切れない関わりの中にあるということです。「必要とされていない」という思いは、周囲の反応からそう感じてしまっているだけで、存在そのものの価値を決めるものではありません。
職場での出来事や、バレンタインの勇気ある行動も、結果だけ見れば報われなかったように感じるでしょう。しかし、そこに踏み出した心は決して「無能」ではありません。むしろ、人と関わろうとした尊いはたらきです。仏教では、結果よりもその「心の動き」を大切に見ます。
また、「海に骨を沈めたい」という願いも、死を急ぐ理由に結びつける必要はありません。現代では少しずつでも費用を積み立てたり、自治体や支援制度を調べたりと、時間をかけて叶える道もございます。今すぐに叶わないことが、すぐに人生の終わりを意味するわけではありません。
そして何より、「不良品として生きる」というお言葉がとても悲しいのです。人は物ではありません。優劣や出来不出来で測りきれる存在ではないのです。親御さんにウェイトベアを贈ろうと考えるその優しさ、その心こそが、あなたの確かな価値ではないでしょうか。
どうか、結論を急がないでください。今は「そう思えてしまっている状態」にある、と少し距離を置いてみてください。苦しみの中で出した答えは、苦しみが和らいだ時には変わることもあります。
あなたの人生は、まだ「結論を出し切った」と言い切れるほど単純ではありません。どうかその歩みを、もう少しだけ先へとつないでいただけないでしょうか。合掌
追伸、前回の相談に対して僧侶が何人か回答してますね、その回答に対してあなたは意見を述べてますね。それでもまたここに投稿されました、それはあなたが死を選ぶ以外の道を模索している心の声と受け止めさせて頂きます。
https://bouzsanga.org/とことん付き合いますよ。
生きなさい
前回に続き回答させていただきます。
海洋散骨にソロウェディング、両親へのウェイトベアのプレゼント。
それが悪いとはいいませんが、聡明なあなたが商業主義に毒された情報に踊らされているのが不思議でなりません。
前回のご相談で、あなたを取り巻く環境や不満の理由が今一つわからなかったのですが、少しずつ見えてきました。
仕事ができない、チャットのスタンプで差を付けられる、ランチに誘われない。
こんな汚い言葉を使いたくないのですが、まるでひがみ根性の塊のようです。
これも聡明なあなたには似合いません。
あなたは何もせずに周囲の人間から愛され、ちやほやされたいのでしょうか。
世の中でそんなことが許されるのは赤ん坊くらいです。
気になる男性にバレンタインのお菓子を贈ったあなたの勇気には敬意を表します。
ホワイトデーに社交辞令程度のお返ししかもらえなかったことは、あなたに限らず、世の中の女性のほとんどが経験していることです。
落ち込む必要は全くありません。
自分は社会に必要とされる人間ではないから死ぬというのは、一見正しいように聞こえますが、間違っています。
自分は社会に必要な存在であると思っている人間などほとんどいません。
みんな、自分が不良品で、社会にそれほど必要のない人間であることを知っています。
それでも死のうと思わないのは、そんな自分が可愛いからです。
あなたはあなた自身にとって、誰よりも愛おしく大事な存在であるはずです。
どうか自分の命を大切にしてください。
追伸
あなたの返信は私宛てのものではないですが、お答えさせてください。
結論が、底辺として生き続けることにはなりません。
あなたは時間をかけてでも、そこから這い上がってください。
お釈迦様が認めている通り、世の中には質の悪い人間が少なくありません。
あなたの職場がそんな人間ばかりなら、思い切って転職しましょう。
給与は低くても、やりがいのある、気持ちの良い仲間たちに囲まれた職場で働きましょう。
見た目だけにこだわる馬鹿な男性に相手にされなくても、気にする必要はありません。
行動範囲を広げ、出会いの場を増やして、本当の恋人を見つけてください。
そして子供を産んで幸せな家庭を築いてください。
せめてもう十年、頑張ってみましょう。
結論を出すのはその後でも遅くはありません。
あなたはどうしてハスノハに相談したんですか。
あなたが様々な恵みを受けて生きています
拝読させて頂きました。
あなたは自分がいらない人間だと思っておられ生き続けていたくないのですね。詳細なあなたや周りの方々とのことはわからないですけれど、あなたのその思いとても伝わってきます。あなたのその思いを心よりお察しします。
あなた自身は自分のことをいらない人間だと思っておられるのかと思いますが、もしも別のところに生きていたらどうでしょうか。すこしゆっくりと思いを巡らしてみてはいかがでしょう。また桜の花々が今咲いています。桜の花々は今北上しています。あなたがお出かけなさってみるとあなたに花々が微笑みかけているのではないでしょうか、或いは田舎に行くと豊かな新緑があなたの目に入ってくるのではないでしょうか。或いは美しい海があなたを優しく受け止めて下さるのではないでしょうか。
あなたは様々な巡り合わせの中で今も沢山の恵みを受けながら生きておられます。あなたが生きることはとても尊いことです。それに変わりはありません。
あなたの未来はこれからも開けていきます、あなたはこれからも多くの出会いやご縁に恵まれていくでしょう。あなたの人生を結論付けるのには早いように私は思います。
あなたがこれからの未来を本当に素晴らしい出会いやご縁に恵まれてあなたが自らの価値を見出され心からおおらかに豊かに生きることできますように切に祈っております。そしてあなたを心より応援させて頂きます。至心合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
本当にわたしの心が素敵なら、必要とされうる存在であるのなら、今ごろ友達も彼氏もいたでしょうし、職場でも孤独ではないのではないでしょうか。なんならもう既婚者でもまったくおかしくない年齢なので……現実はわたしの心が素敵ではないことをわかりやすく証明しています。何の縁も持っていないことも。
やはりわたしは「普通」を望んではいけないのでしょうか。友達も彼氏も夫も子供もいるのに、辛い辛いと言っている恵まれた側(それこそわたし以上に足ることを知らない欲まみれで傲慢です)になりたかった、と思ってはいけないのでしょうか?
視点を変えれば、わたし以上に足ることを知らない傲慢な人間たちが、わたし以上にあれもこれも得ているのが現実です。であれば、わたしが現状に満足してニコニコしている必要などないはずです。
それじゃあ結論は「底辺は底辺として生き続けろ」でしかないでしょう。要は「いらない側」に甘んじるしかない。他者に何も提供できないから愛されない(これがつまり無能ということでしょう)。
他者がわたしを愛さないのは、とどのつまり他者の自由です。世間には、わたしのようなカスを相手にしない権利があるかもしれない、とも思います。このことで世間を恨むのはお門違いかもしれません。
しかし、それで最後に孤独死なんてこちらもごめんです。わたしをいらないと言ったのは世間様の側なのだから、睡眠薬を飲んで海で死ぬことくらいは許されたいものです。愛される価値のない無能がわざわざ自主的に消えてあげるのだから。
わたしは中高生の頃から近々死ぬべきだと考えていたし、すでに10年以上普通を目指して(何かしらの形で)足掻いてきました。その結果がこのザマです。世間様の「自殺はいけない」という価値観に付き合い続けて、何ひとつ得たものはありません。
したがって、これ以上期間を延長する意思はありません。「生きてればいいことがある」などという大嘘に騙されて苦しむアホでい続ける気はありません。
自殺を止める人間がわたしの人生に何も責任を取らない以上、最終決定はわたしが下します。ご回答いただいたところ申し訳ないのですが、わたしは無根拠かつ責任の取れない意見で考えを曲げることはしません。



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