死ぬという選択肢回答受付中
就活失敗しました。
大学院にも全く行けていません。
たとえ就活に成功し、大学院に進学できたとしてももう将来に希望はありません。
ここまで育ててくれた親に顔向けできず、周りのレベルについていけず、死ぬしかないです。
でも勇気が出せません。
どうか僕に勇気をください。
お坊さんからの回答 3件
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死ぬ勇気ではなく生きる勇気を
おつらいお気持ちの中で、ここまで言葉にしてくださったこと、その苦しさの深さが伝わってきます。
就活がうまくいかなかったこと、進学の道も思うように進まないこと、ご両親や周囲に対する申し訳なさ…。それらが重なって、「もう先がない」と感じてしまうのは無理もないことです。けれど、その「勇気」は、本当に死に向かうためのものであってよいのでしょうか。
仏教では、人は思い通りにならない現実に出会うとき、苦しみが生まれると説かれます。これを「苦(く)」と申します。しかし同時に、その苦しみの中にこそ、人が本当に大切なものに気づく縁があるとも教えられています。
今のあなたは、「うまくいかなかった自分」「期待に応えられない自分」を責め続けておられるように感じます。しかし、その評価は、あくまで一時の結果に過ぎません。あなたという存在の価値が、それで決まることは決してありません。
親御さんも、あなたに完璧な成功を求めてここまで育ててきたわけではないはずです。本当に願っているのは、「生きていてほしい」という一点ではないでしょうか。たとえ遠回りでも、不格好でも、生きていてくれること、それ自体が何よりの願いです。
「勇気が出ない」とおっしゃいましたね。それは、あなたの中に「まだ生きたい」という心が確かに残っている証でもあります。どうか、その小さな声を否定しないでください。
死ぬ勇気ではなく、「もう少しだけ生きてみる勇気」を持っていただきたいのです。今日一日だけでも構いません。「今は結論を出さない」と決めてみてください。
人生は、思い描いた通りには進まないものです。しかし、思いがけない縁によって、まったく別の道が開けることもまた、数えきれないほどあります。
どうか一人で抱え込まず、身近な方や、話せる窓口にも少しだけ頼ってみてください。あなたの苦しみを受け止める人は、必ずいます。
あなたは、失敗した人ではありません。今、苦しみのただ中にいる人です。そしてその苦しみは、決してあなた一人のものではありません。
どうか、ここで命を終わらせる決断だけは、急がないでください。あなたのこれからに、まだ見えていないご縁が、きっと待っています。合掌
残念ながら、、、、
仏教が与えられるのは智慧と慈悲です。
親への思い
将来への不安
周囲との比較
どの点が希望を邪魔してるのか教えてくださいませんか。。。
生死ともにわずらいなし
浄土宗では、南無阿弥陀仏と念仏していれば誰でも臨終時に極楽浄土へ往生できると説かれます。
ですからいつ死んでも問題ありません。
また、生きながらえて念仏生活できれば、その分だけ念仏の功徳(くどく:悟りやすくなる善の癖)が積もると考えられます。
ですから、運悪く生きながらえてしまった場合でも、毎日念仏すればその功徳が積もるので、生きてしまった場合でも問題ないのです。
つまり、死んでも生きても、どちらに転んでも思いわずらう必要はないのです。
人生の節々で思い通りにならないことがあってお辛い状況だと、打ち明けてくださりありがとうございます。
そのような人にこそ、「生死ともにわずらいなし、不運にも生き永らえてしまえば功徳が積もり、幸運にも早く臨終が来れば往生極楽」というお気楽極楽思考を体得していただきたいのです。
そのための方法は、「南無阿弥陀仏」
「なむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶ」
と、お好みのテンポで念仏を口ずさみ、阿弥陀様の力で極楽浄土に往生できることを願い、喜ぶことです。
どうかこれからは、
なむあみだぶなむあみだぶ
と功徳を積んでください。
功徳を積むと、極楽浄土に転生してから悟りを開くのが早くなる、つまり成仏(仏様に成る)のが早まるのです。
また、念仏以外の善い行いをしても功徳になります。
なお、念仏しているときに、様々な妄想雑念(過去や未来や自分や他人のこと)が頭に浮かんでは消えていきますが、それはただの脳の体操みたいなものなので、あまり気にしないでください。
妄想雑念があるまま念仏しても、往生極楽はゆるぎませんのでご安心を。
質問者からのお礼
はい



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