両親が毒親で幼少の頃から我慢してきました回答受付中
両親は今も健在で2人共80を超えています。
自分は両親の元のお墓に入りたくありません。
無縁仏を希望しています。
無縁仏に入ると駄目な事やあの世でのデメリットはあるのでしょうか。
もしあるのなら、嫌々ながら両親のお墓に入った方が宜しいでしょうか。
自殺願望が絶えないくらいに生きている事が凄くツライです。 子供の頃から人間関係に悩み、両親が毒親で味方が一人もいません。 自分なりに頑張っても、何もかもが空回りで、行動した分だけ失敗や後悔ばかりしています。 外面の良い、中身の性格の悪い人ばかり会います。 そういう人は、世渡りが良くて周りから好かれて人気者‥それなのに、自分ばかりキチガイ扱いされて生きる希望もありません。 こんな自分ですが、宜しくお願いしますm(__)m
お坊さんからの回答 2件
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どのお墓に入るかよりも、そう思ってしまうことに注意して下さい
今生の生命を終えた後、次の世界にどのような姿で生じるかは、あくまでも亡くなった時点での、個人本人の業によります。次の生命は、ほぼ瞬間的に生ずると考えられています。一定の期間をおくという見解によっても、遅くとも49日後には次の生命として生ずることが決まると考えられています。
ですから、亡くなった後でどのお墓に埋葬されるかという事によって影響されることはありません。
逆に言えば、亡くなった後で特定のお墓に入りたくないと思うような、今現在の心情や言動が次の世界での生命の形に影響するということはできます。
釈尊の教えに「この世において、うらみはうらみによって止むことは決して無い。うらみを捨てて、はじめて止む。これは永遠に不変の真理である」(ダンマパダ第5偈)という有名な句があります。
うらみは、自分がうけた害や困難に自分の都合に合うように決着をつけてやりたいという煩悩を指します。
昔、先妻の嫌がらせによって子供を流産した後妻が、そのうらみによって猫に生まれかわり鶏に生まれかわった先妻の生む卵を全部食べてしまった、うらみを抱いた鶏は豹に生まれかわり鹿に生まれかわった猫を食い殺した、うらみを残した鹿は食人鬼に生まれかわり人に生まれかわった豹を食い殺した、、、とうらみがうらみを呼ぶ連鎖は止まることがなく、釈尊の教えによってようやく止んだという物語によって説明されています。
最初にお話ししたように、亡くなった後でどのお墓に埋葬されるかという事によって次の生命が影響を受けることはありません。
むしろ、それを知らずに特定のお墓に入らないことが何かの決着であると間違えてしまう事の影響の方が大きいといえるのではないでしょうか。
デメリットはありません
遺骨は髪の毛や爪と同じ、ただの物体です。
遺品の一つだと思ってください。
一方で、お釈迦様は、仏様(悟りを開いた指導者)や立派な国王などの偉人の死後に、その遺骨を納めた場所にストゥーパ(卒都婆)を建てて拝むなら、拝んだ人々の心が清らかになると説かれました。
これは、遺骨に不思議な力があるとか、死者の霊が宿っているとかではありません。
遺骨を納めた塔を拝むとき、私達は拝む対象の立派な人徳を思い出して、尊敬したり見習いたいとイメージするでしょう。
そのような意識が心を清らかにする修行の一種となるのでしょう。
無縁仏であっても、日本では「仏様」として扱い拝みますから、無縁仏の遺骨も、漠然と「見習うべき偉人」の仲間、仏様として拝まれ、人々の心を清らかにするでしょう。
いずれにせよ、それは遺骨や塔や墓石や位牌を拝む人々(生存者)の側の問題です。
亡くなった本人は輪廻転生により、新たな場所で新たな生命として生きていますから、前世の遺骨がどう扱われてもデメリットはありません。
ただし、前世の親類縁者があなたの幸せを祈って修行(法事も修行の一種)してくれるなら、その功徳(修行の効果)があなたにも回向(えこう)される、つまり善い効果があなたにそっとおすそ分けされ、あなたの悟り(成仏)が早くなるというメリットはあるかもしれません。
ということで、遺骨は遺品の一つにすぎず、どのお墓に入ろうとデメリットはありません(髪の毛がゴミ箱に入っても痛くないのと同じ)ので、ご安心ください。
もちろん、嫌いな親族と同じお墓でもデメリットはありません。
なお、怒りや憎しみは悪の心であり、修行とは逆に、悪い業(悟りを邪魔する効果)になるかもしれませんので、怒りや憎しみを伴う妄想残念は、できるだけ短時間でストップした方が良いです。(怒りを減らす方が悟りやすくなります。)


