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浄土真宗 大谷派の僧侶になりたい!!回答受付中

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有り難し有り難し 1

修験道に興味があり、山伏的な実践を続けながら、真言宗の僧侶になりたいという思いを何年も抱いてきました。
社会人として働きつつ、自分なりの信仰を続けてきたつもりです。

そんな中、ある法要で出会った浄土真宗 大谷派僧侶の方のお話を伺い、「すべての人を必ず救う・仏の絶対的な力にお任せする」という他力本願の考え方こそ、自分が福祉の現場で支援している方々が求めている姿なのではないか、と感じるようになりました。

その僧侶の方に「真言宗と浄土真宗のどちらで得度すべきか迷っている。山伏的な活動も続けたい」と正直に相談したところ「登山は修行と切り離して趣味として続ければいいのでは?」と言われ、自分の考えの浅さを痛感しました。確かに浄土真宗だからといって山に登ってはいけない理由はありません。

その上で師僧になっていただけないかお願いしましたが「医療法人の院長や役員を兼務しており、弟子を育てる責任を負える状況にない」と丁寧に断られました。
ただ、教区内のお寺のリストを渡してくださり、「総当たりで回ってみては」と助言をいただきました。

実際に回ってみると
- お寺の家系ではない
- 檀家でもない
という理由で門前払いに近い対応も多く、話を聞いていただけるお寺はごく少数でした。

志望動機として「仏の教えを通じて、悩んでいる人や困っている人を救いたい。将来的には寺院を持ちたい」と伝えましたが、多くの住職から「それは僧侶にならなくてもできるのでは」という反応が返ってきました。
「現世的なカウンセリングと、仏の力による救いは違う」と食い下がりましたが、あまり響きませんでした。

最後に訪れたお寺でも同じような反応だったため、思わず「では住職はどのような動機で僧侶になられたのですか」と尋ねたところ「お寺の長男として生まれたので、住職になるのは決まっていた」というあまりにも浅はかな答えで、思わず「は?」と言ってしまう程に呆れてしまいました。
世襲で何となく住職になった人が「仏の力を借りて人を救いたい」という考えの人間を否定するのか?と...

僧侶の皆さまは、出家・得度を志す者にどのような動機を求めておられるのでしょうか?
「救い」という宗教の根幹を否定されたように感じ、困惑しています。
ご教示いただければ幸いです。

2026年6月18日 21:22
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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

山伏から浄土信仰ですか。

 こんばんは。それはなかなか悔しい思いをされましたね。ただ、私から拝見すると、まだまだ道心半ばと感じられます。
 「仏の力を借りて人を救いたい」は、人生経験を積んでこられた中で生まれたあなたの願いなのでしょう。それ自身は尊いことと存じます。その上で。
 山伏的な修行は、自らの力を高めるものです。それは「救いたい」に通ずる。しかし「仏の力を借り」は他力的な思いでしょう。しかし(恐らく)真宗の「絶対」に辿り着いていない。私は浄土宗ですが,「救う」の主語は必ず阿弥陀様です。私たちがしているのは「お取次」であり、「阿弥陀様、この方をお救いください」と念じる(浄土宗ですので)ことはあっても、「私が救ってあげます」とは言わない。浄土系の眼目は「自身の凡夫性を見つめること」であり、自身が救われる(と認識する、感じる、信じる)ことを通じてしか、他の人には作用しないというのが構造です。
 また,「救われる」というのをどのように捉えておいでですか?浄土系の「救われる」は、「この世でのあなた終えてからは極楽へ往生します(阿弥陀様の力によって)」であり、南無阿弥陀仏で病気が治るとか嫌いな人がいなくなるのではないのです。あなたの提供したい「救い」は、どんなものなのですか?
 こういった、(口はばったいながら)人間の成長するというのは,あなたもご覧になってきたように、立場によるものではありません。お念仏を称え続けた先にしか、掴めないのだろうとわたしは考えています。
 もちろん、「まず資格を取る。まず入るお寺を見つける」と形を整えてから,念仏行に入るというのもアリだとは思います。つまり信者とか信徒としてスタートする。いきなり「弟子にしてくれ」はハードルが高くとも、「お念仏の会に参加させてくれませんか」は、まだまだ開かれた門であると考えます。ご自身の予感は素晴らしいものですが,私から言わせていただければ、まだ「飛びついた」感じです。
 実のところ私も寺の長男として生まれましたが,「救いとは」「僧侶とは」といったことは、お念仏の実践と共に深まりました。ですからもしかすると…ご住職方が渋ったのは「入口の熱意は大事だが,より大事なのは実践を重ねることなのだ」というメッセージなのかもしれません。
 自信教人信。自信偈と呼ばれる私たちの戒めです。

2026年6月18日 23:52
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

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