何も求めない気持ちが出て来ました。回答受付中
度々お世話になっております。
以前から変化がありました。
SNSで求められ、絵と小説という世界にも求められ、自分なりの道が誰かに何かを与えています。
でも、あまり心境に変化はありません。
どこか現象的に見ているだけです。
仕事だけが人生ではありません。
社会の中に組み込まれたとしても、僕にはあまりしっくり来ない。やはり欲がない。
生きる事に執着がなくなって来ました。
職業ではなく、無償であるからこそ言える言葉もあると思います。
与えられるものは僅かで充分です。
返事のない言葉であってもいい。
僕は仏門に向いていると思いますか。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人は皆、世の中の善玉菌マン。(⚈ ̍̑⚈ ̍̑⚈)発菩提心
人の世に影響を与える力を持った方が為すと良いとされることで最高最上のものは人に幸せを与える、人にやすらかな心を与える、良き智恵を与えること。さらには「私たちもこういう活動をしてみたい」「していこう!」と思って頂けるような、そういう精神・ココロを広めることです。
アンパンマンで言うならアンパンマンを世の中に沢山産みだし…いや、むしろジャムおじさんを沢山産みだす精神です。
世の心の善玉菌作用となる良き心は、アンパンマンが一人で頑張っても時々顔が濡れ力が出なくなります。無償だとジャムおじさんも新しい顔の材料が買えずチーズもドックフードにありつけずバタコも栄養失調で倒れバタコ👼です。
仏教の宗教精神とは道心、菩提心。
菩提心とは悟りや涅槃を超えて大事にされるべき精神。
今や仏教業界でも菩提心が乏しいため仏教も形式儀礼的なものばかりが尊重され、善玉菌を広めるジャムおじ、アンパンマン的人材が不足しております。
葬儀や法事に菩提心が無ければどうなるか。
法要も只の形式儀礼になり、参列者に菩提心が生まれずアンパンマン(僧侶)任せになります。
そもそも釈尊、祖師たちは菩提心をおこして、真実の仏法を求め自己の内部、自己と周りとの関係性の内に人が見落としていた大真実を見い出されたわけです。さらには、その救いのありかを多くの人に説き広めて、人々の身心の中にある仏の働き、救いの働きを見つめさせ、見出させて、人生における聡明な智慧、安穏なる心を会得せしめて世に善玉菌を広めた訳であります。
ところが、あなたも時に虚しさを感じませんか。無償、無償。大事なことでしょうが、受け取る側に回向(報謝・ひろめ)の発動がない。良いことを廻らし向ける精神が生じない。ただいいものをもらって本人たちが向かうべき方向を見出し得ない。ただのイベント、ただのお祭、ただのお楽しみ。その後の人生に善き影響とならない。
地域の祭りも昔は神仏を敬う精神があったのですが、昨今、無い。神仏をお祭して感謝し、分かち合い、おまつり、お祀り、お政、奉り、お祭りする精神が無いのだ。ただのフェスティバルと化してゆく…。
よって、この今の世界に必要なのは血の通った新しい顔、心の善玉菌、そしてそれを生み出し、実効性あるものとして広める精神なのです。
そう。あなたもわたしも善玉菌マン。
善玉菌マン!あたらしい顔(ネタ)よ!
(⚈ ̍̑⚈ ̍̑⚈)



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