生き方回答受付中
生きるうえで必要になる必要最低限の条件とは何か教えてください
(個人的な思想でも構いません)
個人的に私は勉強と労働だと思っています
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご自身の信じる「勉強と労働」に存分に精進なさってください
ご相談ありがとうございます。「生きるための必要最低限の条件」が「勉強と労働」であるというあなたのお考え、とても素晴らしいと思います。
仏教には「八正道」という、安らかに生きる(苦を滅する)ための8つの実践方法があります。あなたが大切にされている「勉強」は正しい努力を意味する「正精進」、「労働」は正しい生活を意味する「正命」に重なります。これらは人生の基盤となる尊い心がけです。
一方で、「これさえあれば」という絶対的な条件は無いとも言えます。この世は「諸行無常」、常に移り変わり、人間は弱い存在だからです。時には勉強や労働といった努力(自力)がどうしてもできない時も訪れるでしょう。全てを完璧に実践しようとすると、かえって苦しくなってしまいます。
私たち浄土真宗では、自分の力(自力)のみに頼るのではなく、阿弥陀如来の本願力(他力)にお任せするという考えを持ちます。これは「努力しなくても良い」という意味ではなく、「自分の限界を知り、大きな力に生かされていることに感謝する」ということです。
今はどうぞ、ご自身の信じる「勉強と労働」に存分に精進なさってください。そしてもし、頑張ることに疲れたり立ち止まりそうになった時は、「完璧でなくてもいい、私はすでに生かされている」と思い出してくださいね。あなたの歩みを応援しております。
拝
縁起寺 釋聴法
ここだけ いまだけ 自分だけ
壮絶な体験をされましたね。
許せないと思うのは、至極当然のことだと思います。
傍若無人とは、まさにこのこと。
周囲の人を、ひとりの人間として見ていなかったのではないか。
そう思ってしまいますよね。
「ここだけ」
「いまだけ」
「自分だけ」
まさに三拍子そろった生き方だったのでしょう。
私自身も、親族間の係争を抱えています。
まさに泥沼です。
他人であれば、距離を置けば済むこともあります。
しかし親族となると、簡単には避けられない。
そこに大きな苦しさがありますね。
さて、私がそのような思いにとらわれそうになった時にしていることがあります。
ふと怒りや恨みが湧いてきたら、
「ああ、もう考えるのはやめよう」
と思うようにしています。
思い煩っても、問題が解決するわけではありません。
考え続けるだけ、私の大切な時間が失われていきます。
私の人生は、私のものです。
相手のことを考え続け、煩わされるということは、
自分の気持ちと時間を、相手に奪われ続けることでもあります。
「地獄の果てまで追いかけたい」と思うほど傷つけられたのです。
その感情まで、無理に消そうとしなくてよいと思います。
ただ、その思いが浮かんだ時には、
「これは私の人生を、またあの人に奪わせることになる」
と、さっと我に返ってみてください。
「頑張ったのだから、いつか良いことがあってほしい」
そう願うことは、決して醜いことではありません。
それほどまでに、あなたは今まで必死に耐え、背負ってこられたのです。
カルマを消そうとしなくても大丈夫です。
これ以上、養父の人生まで背負わないこと。
ご主人とともに、ご自身の人生へ戻っていくこと。
それが、いちばん大切なことではないでしょうか。



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