他宗への参詣や祈願はエゴなのでしょうか
はじめまして。今回、施餓鬼やご供養についての悩みがあり、ご相談させていただきます。
私の実家は浄土宗、母方は浄土真宗と、いずれも「南無阿弥陀仏」のお念仏を大切にする家庭で育ちました。現在は実家を離れ、一人暮らしをしております。
数年前、御朱印を集めるのをきっかけに通い始めたお寺さまがあり、そこで護摩やご祈願、さらにはご供養をお願いするようになりました。当初は深く気に留めていなかったのですが、次第に他のお寺さまへも参詣やお願いをするようになり、また自分自身で家系図を作るようになってからは、ご先祖様や命への意識がより強くなっていきました。
しかし近年になり、「自分のしてきたことは、本当に正しかったのだろうか」と頭を悩ませるようになりました。本来であれば「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えて生きていくべきだったのではないか、自分のエゴ(自力や欲)が肥大化して他のお寺さまや仏さまに手を合わせてしまったのではないか、という思いが拭えません。
「これは自分のエゴなのではないか」「他のお寺さまや仏さまに手を合わせることは正しかったのか」という葛藤の中で、自分を責めて苦しくなっております。
お坊さま方より、この心のありようについてご示教をいただけますと幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
考えすぎて あらぬことを考えてしまったり 他人と自分を比べてへこんだりします また自分を強く責めてしまいます 思い出したくないことを思い出してしまったり 考えたくないことを考えてしまいます
お坊さんからの回答 5件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
エゴと受け取らず、仏様の御心(お導き)にお任せして参ろう。
様々な縁に恵まれて、ご熱心に参られているのですね。そのおかげで、先祖様や命への意識がより強くなっていかれたのですね。尊いことですね。
先祖代々の教えもお導きであり、あなた自身の信仰も自由なのです。護摩やご祈願で供養をなさりたいなら、その想いも大事になさったらいいと思いますよ。信仰とは、自分の生きるいのちの拠り所となり、後生への問い・望みを求めていくものですから、自分に合ったもの、安心できるもの、実践していけるものの仏道を進んでいかれたらいいのですよ。
エゴと受け取らず、仏様の御心(お導き)にお任せして参りましょうね。
合掌
ご自身を精神的に追い詰めて苦しんでしまっては本末転倒です
はじめまして。ご自身の行動を深く省みられ、真摯に命やご先祖様と向き合っておられるお姿が文面から伝わってまいります。
ご実家の教えである「南無阿弥陀仏」を大切に思うがゆえに、「他宗への参詣や祈願は自分のエゴだったのではないか」とご自身を強く責めておられるのですね。結論から申しますと、そこまで深刻に思い悩む必要はございません。
仏教の目標は「さとり」であり、宗派の違いはそこに辿り着くための「登山道の違い」のようなものです。私ども浄土真宗では、阿弥陀様のお力にすべてをお任せするため護摩祈祷や追善供養は行いませんが、他の道を否定するものではありません。
ここで立ち止まって考えていただきたいのは、仏教には「抜苦与楽(苦しみを抜き、安らぎを与える)」という根本があることです。教えに真面目に向き合うあまり、ご自身を精神的に追い詰めて苦しんでしまっては本末転倒です。まずは「間違っていた」と自分を罰するのをやめ、心の負担を下ろしてください。
相談者様はまだ20代です。御朱印をきっかけに寺院に足を運び、家系図まで自作されたという「現実の行動力」は、決して単なるエゴではなく、ご自身のルーツや生き方を模索する大切な経験です。
今は無理に「どの教えが正しいか」と頭で答えを出そうとせず、まずは日々の生活を健やかに送るという目の前の現実に目を向けてみてください。色々な経験を重ねながら現実をしっかり生きていく中で、自然とご自身に最も馴染む心の在り方が見えてくるはずです。
拝
縁起寺 釋聴法
仏さまはそんな小さくない
神様も仏さまも人間が「きっとこうだ」と考えるから人間ルールなカミサマ、ホトケサマになってしまう。そっちがエゴなのです。
神や仏というものはそんな人間世界のルールに縛られた小さなものではありません。
人間が内の仏さまはこんなものだろう、きっとこういうものだろうというその思いは何処まで行っても「そっちがエゴ」「こっちがエゴ」なのだと知ること。これは、神仏に対するエゴに気づく良いきっかけです。
地元に創価学会の幹部クラスのおばちゃんがおりましてな。
石原さとみが東京メトロのCMで神社のお詣りをしているCMがつくられたことがありましてな、そこで当時の創価学会員の人たちが結構ブーイングだったそうです。
それも小さなことではありませんか。
本当の宗教心というものはそんな態度では困りますナ。
その幹部クラスのおばちゃんはこう言ってました。
「いいのよ、さとみちゃんは、仕事でやってるんだから。」と。
いくら神様を崇める、仏さまを崇める、日蓮上人を崇める、阿弥陀様を崇めるといいましても、度量がどうか。
宗教というのは人間が主役というよりは人間の中の神様、仏さまがメインであるべきなのに、人間のエゴが勝るようでは宗教とは言えないでしょう。
本当の信仰心、本当の宗教心というものは、アイツは他宗だから寄せ付けまいとする姿勢とかァ、要らんのでは?
私は創価学会も、ものみの塔も、顕彰会も、信仰こそはしませんが、同じ人間のありさまだと思っております。
阿弥陀様も薬師様も浄土宗も浄土真宗も西も東もみんな隔ての無い心が仏心でございます。
チューリップはチューリップでいいのです。
ヒマワリはひまわりで。
タンポポはタンポポ。
菊は菊。
蓮華は蓮華。
蓮の葉っぱは蓮の葉っぱ。
レンコンはレンコン。
誰もがいつでもどこでも、いま、そこを、そのように生きていることに、正しいとか間違っているとか、無いです。
それが仏法です。
南無阿弥陀仏。
南無妙法蓮華経。
南無釈迦牟尼仏。
南無帰依三宝。
浄土宗における「助業」
浄土宗で大切なのは、念仏だけで往生できると信じることです。
念仏以外の善行や修行は尊いことですし、その功徳によって極楽浄土に生まれてから悟る(成仏する)のが早くなるでしょう。
しかし、極楽浄土に往生するためには、そのような善行・修行は必須ではなない、そう信じることが大切です。
阿弥陀仏以外の仏・菩薩を拝むことも善行であり功徳があります。
戒(道徳的な生活)、禅定(精神集中の修行)、智慧(現象を観察して真理を悟る修行)も尊い修行です。
ですから、この世でそれらをやることは功徳になります。
しかし、それらをやっている善人でも、罪深い悪人でも、どちらでも念仏だけで往生できるのです。
一方で、それら善行をきっかけに念仏を思い出して念仏の励みになるなら、それら善行は念仏の「助業(じょごう)」となります。
念仏の力(阿弥陀仏の本願力)を助ける必要はないのですが、私達が念仏できるように助けるのが「助業」です。
ということで、様々な神仏を拝んだときに
「南無阿弥陀仏」
を思い出していただけたら、それも「助業」になりますね。
ご仏縁を大切になさって下さい
拝読させて頂きました。
ご質問ありがとうございました。
あなたが他宗のお寺や仏様にお参りするのはあなたのエゴではないのかと疑問を抱いておられるのですね。詳細なあなたのことはわからないですけれども、あなたのお考えとてもわかるように感じます。お気持ち心より受け止めてさせて頂きます。
生きている中では様々な巡り合わせやご縁があります。ですから神社仏閣とのご縁もあります。
様々な巡り合わせの中でお寺や仏様や神様に巡り合ったのですから、敬意を持ってお参りなさり手を合わせて下さいね。
御施餓鬼会もあまたのものに供養を捧げていく善行ですからどうぞ進んでご参加なさり、仏様に手を合わせお勤めなさって下さいね。
御施餓鬼会については以下の解説をご参照下さいね。
https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%96%BD%E9%A4%93%E9%AC%BC%E4%BC%9A
そしてこれからも心を込めて「南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」とお念仏おとなえなさり、阿弥陀様を信じて日々お勤めなさって下さいね。
阿弥陀様はいつでもどこでもどんな状況でもあなたのことをあたたかくお見守りなさっていて下さいます、そしてあなたを必ずお救いになさって下さいます。どうかご安心なさって下さい。
あなたがこれからも素晴らしいご仏縁に恵まれ毎日を穏やかに安心して生きることできますように、あなたが信仰を持たれて与えられた人生を健やかにおおらかに生きることできますように切にお祈りさせて頂きます。
そしてあなたが天寿全うなさった時には必ず阿弥陀様やあまたの仏様神様があなたをお導き下さり、先にいかれた親しい方々やご先祖様があなたをあたたかくお迎えなさって下さいますように、あなたが仏様のお浄土に救われますように切に阿弥陀様にお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
質問者からのお礼
アドバイスを拝読いたしました。温かいお言葉をいただき、本当にありがとうございます。
「登山道」に例えてくださったお話がとても分かりやすく、拝読しながら心がふっと落ち着いていくのを感じました。
いまは頭で色々と悩みすぎず、自分の家の教えを大切にしながら、他宗のお寺さまや仏さまも尊重しつつ、ゆるやかに心を休めて回復する時間を作っていきたいと思います。
不安で押し潰されそうだった心にそっと寄り添っていただき、本当にありがとうございました。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。
◆個別電話ってドキドキして勇気のいることだけれど、声が届くから、聞こえてくるから、ちゃんと繋がっているようで、そばにいるように安心出来ることもあります。
◆ 終末期ターミナルケア、看取り、希死念慮、自死、グリーフケア、トラウマ、PTSD、子育て、産前産後うつ、不妊、傾聴、手話、要約筆記者 としても、サポート
◆出来るだけ希望時間にお応えしたいと思いますが、午前中は毎日 法務があります。
(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )