辛いです。
私は病気が3つあります。メニエール、潰瘍性大腸炎、不安神経症です。
それぞれ薬がありますが、毎月々だと、かなりお金が出ていってしまいます。
仕事も、副業でアルバイトをしていますが、失敗ばかりで、今はバイト仲間に言葉足らずのメールを送ってしまい彼女からくるメールには「読んでくれたら返信はいりません」「読んだらスルーしてください」など、私の言葉など受け入れてくれる感じではありません。
これからバイトが始まる(シーズンのみなので)ので、気が重いです。
副業のバイトはいくつかやりましたが、必ずイジメにあったり、病気を理由にクビにされたり、見せしめにされて怒られたり(これもイジメでした)します。
先日病気やバイトのせいで自傷行為をしてしまいました。
また、医療費が去年は26万円で、この分健康な人より損をしてる気がするし、東京で暮らしたい夢だって早く叶うのにと、悲しくなります。
買うときにトラブルがあった財布に八つ当たりしてしまい、投げたり踏んだりしてしまいました…。お守りも入っていて、泣きながら謝り、今はお守りは身につけて、財布は塩と一緒に袋にいれていたのを出して朝日に当てています。どちらもまた使えるでしょうか…?
どうして病気ばかりするのでしょうか。
どうしてお金がまわってこないのでしょうか。
どうしてイジメばかり受けるのでしょうか。
なんだか疲れました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
雨にも負けず、追記
病になるのは命と共に産まれ持ったからだと思います。
ですから、病は憎むべき敵ではなく、許してあげるべきあなたの一部ではないでしょうか。
その病が無ければあなたは産まれてきていないのではないでしょうか。
そういえば、先日テレビを見ていたら宮沢賢治の詩が映っていました。
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい
宮沢賢治はこの様になりたいと思いながらも、残念ながら病で37歳で亡くなりました。
私もこうありたいものです。
改めて思いました。
あなたも思うでしょう?
これからもあなたの持つ力で高齢者の人達を元気付けてあげてください。
追記
「たられば」は私もあります、宮沢賢治さんにもあったでしょう、おそらく誰もが持っているのだと思います。
30歳で亡くなった私の弟も病さえなければと思っていました。
仏教、お釈迦様の教えは、考え方を変えることで苦を楽に変える、ということです。
「たられば」を無くすことは出来ませんが、それに囚われないようにしましょう。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。「雨にも負けず」小学生のときに暗記しました。
もしかしたら、私は少し欲張りだったのかな…と思いました。音楽療法の対象者さまで、お元気で「アラ100」な方が数名いらっしゃいますがいつも笑顔で穏やかで、周りには逆らわずまさにこの詩のような方がほとんどです。「私もあの方みたいになりたい」といつも思っていますし「今日もアノカタニ逢いたいなあ」と思うんです。そういう方は、いてくださるだけでも、ありがたいんです。でも、順風満帆で100年もいきていらしたわけではないんですよね。
宮沢賢治の代わり…というと大きいですが、イジメられても、待っててくださる方がいて、逆に癒されて、そこから発生するお礼で生活できていることに感謝していきます。
本当にありがとうございます。
「雨にも負けず」を自分でも書いてみました。「そういうもの」になれたらすごいなと思います。
「病気を許す」とのことでしたが、私の欲が深いのか「病気がなければ去年は20万はたまっていた(医療費がそのくらいでした)」とか「お薬をたくさん飲まなくてもいいのに」「どうしてお金がないのに…」と思ってしまいます。「そんなに病気があったら貰い手がいなくなるだろ」と言われたこともありますが、こちらは理解のある人が見つかれば、また理解のある人だったら素晴らしい人だと思うのであまり気にはしていませんが、やはり「たられば」で「病気がなかったら」「病気がなければ」と思ってしまいます。
追記、ありがとうございます。
「たられば」は、なんだかいけないものだと思っていました。自分の欲なのかなあ、いけないなあ、とも。
でも、誰でも持っているものということで、安心しました。
あれから、病気のことも、お金がないことも、辛いは辛いですが、私に必要だから起こったことなのかなあと、思えるようになりました。「病気になっていなれば」と思っても、病気になった事実は変えられないので、やはり、病気を許して受け入れられるようになれれば、かなり楽になれる気がします。
本当に、ありがとうございます。