なぜ、真面目な人ほど苦しい思いをするのか回答受付中
人の心に無頓着で、気に入らない相手をけなしたり、平気で切り捨てられる人ほど楽しそうに飄々と生きてますよね。
一方で、私のように宗教の教えを信じて、相手を許し、愛そうとする人ほど苦しくなります。1度、彼彼女らの真似して相手を欺こうとしたことがありますが、後から罪悪感で苦しくなりました。
根が真面目な人は、苦しい思いを抱えて生きるしかないでしょうか?
お坊さんからの回答 2件
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無数の背景をもつ人を簡単に判断できない
ご相談拝読しました。
>人の心に無頓着で、気に入らない相手をけなしたり、平気で切り捨てられる人
が楽しそうに飄々と生きているように見えるのは、そう「見える」だけで実際は違うかもしれない。
表面と内実は違う。複雑な存在である人はそう簡単に判断できません。
楽しそうにしているのははったりかもしれない。そうでも見せないとやり切れない何かを抱えているかもしれない。
もちろん他者を傷つけることを承認できるわけではありません。でもそういう振る舞いをしてしまう人にもそうさせる縁がある。その人の思いを超えた無数の背景がある。
そう考えると人を軽くは見れない。簡単に判断できないものです。
>相手を許し、愛そうとする
のが苦しいならば、それは見返りを求めているからかもしれない。自分の思いがお思うような実を結ばないことに納得がいかないということかもしれない。
真面目・・・真剣な顔つきにはなれても、内面まで真実でいられることは難しい。
だからこそあらゆる人に向けられた真実のはたらきである仏の願いを拠り所として生きていきたいものです。
お釈迦様は言いました。
「他者がしたことを見るな。自分がしたことを見なさい。」
他社と比べる必要は無いのです。
隣の芝生は青いのです。
ある日、お釈迦様は托鉢に行って法を説いて帰りました。
托鉢の器は空っぽでした。
空腹のお釈迦様は思いました。
「法を説いた喜びを今日の食事にしよう。」
自分のしたことに満足して生きていきましょう。
たとえそれが苦しい道であっても。



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