中国語辞書で悟りを一つ開きましたが二つ目
中国語辞書で悟りを一つ開きました。辞書に載っている単語で日本語とは若干違う意味がありそこからその単語の意味として反対のことを考えそこからその単語とは何かという確信的なところを閃き悟りを開きました。でもそこから二つ目以降が閃けません。悟りがひらけそうな単語が中国語の、信、意味は手紙とか英、意味は花とか安、意味は取り付けるとかが悟りがひらけそうですがなかなかうまくいきません。
どうやれば悟りが開けるでしょうか。
また、真言宗の空の思想や曹洞宗の無の思想で悟りを開くにはどうしたら良いでしょうか。
長文になりましたがよろしくお願いします
今年七年勤めた会社を退職しました。今は転職活動をしています。性格は真面目な方だとよく言われます。
教義を習っていません。浄土真宗なら浄土三部経、日蓮宗なら法華経、真言宗なら般若心経などを読むべきか悩んでいます。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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体験としての仏教に触れていくのもいいんじゃないかしら。
仏教において、執着や迷いを断ち切り、迷いの世界を超えて、苦しみから解放され、目覚めの状態、境地に達する(真理を体得る)ことが、悟りを開くということです。
どうでしょうか。開けましたか。意味を理解したということでしょうか。
「悟りを開く」って凄いことなのですよね。それを求めて、私たちも仏道を歩んでいます。
坐禅・瞑想、聴聞など、体験としての仏教に触れていくのもいいんじゃないかしら。解放され、目覚めていく感覚を味わっていきませんか。
ご質問ありがとうございます。
私は浄土宗なので真言宗や曹洞宗のことは詳しくないので省略します。
漢字の「信」は一般的には「信じる」や「手紙」の意味になります。
しかしその漢字が生まれた成り立ちを見ると、「人の形+刃物の形+口の形」からできています。意味は「人に口から嘘を言えば刃物で罰を受ける」と言う意味から「真実」と言う意味になり、さらに「(真実だから)信じる」「(真実を知らせる)手紙」という意味になりました。
「信」という漢字はそれを意味する形の集まりから生まれたということです。
このように漢字にはその漢字が生まれた理由があるということです。
また同様に、この世の中の出来事はすべて複数の原因が集まって生まれるということでもあります。
今起きていることは過去に原因があり、未来に起きることは今起きていることが原因になるということでもあります。
全ての物事には原因がある。
望む未来があるならそうなる原因を今始めないといけない。
それが理解できたときに悟りに一歩近づいたと言えるんじゃないかな。
(私は悟ってないので偉そうなことはいえませんが)
悟りへの誤解 悟りは思想ではない
事実は万人共通の大真実。
そこに個人が思想で着色をする、お手つきをする。
するとそれは事実ではなく、人の考えになる。
文字や言葉の意味も、意味として読み取っていくということは脳の中でも意味としてそれを味わっている感覚という事にもなりましょう。
人が文字や言葉を通して感知、感受、思う世界というものは一面的、一側面的であり、しかも事実ではない頭の中での感覚。
仏教の悟りとはそうした意味のお風呂にドボンして漬かることではない。
人間が好む事実に意味を添えて色付けするペイント、意味づけペイント温泉♨に浸ることから出て事実♨そのものにドボンするのです。
すると仏教学者さんが頭で考えて言葉で説明する処の無常とか、学校の歴史の教科書で出てくるようなわびさび的な無常観、ネガティブでペシミスティックな無常観という人間が頭で考えて意味づけした無常❝観❞ではないところの本当の無常ということを体感することができるようになる。
それは悟りではなく、無常という道理を言葉を超えて身心ではじめて実感することができたということ。
水が流れている光景だって、今から理屈を申し上げれば、
A あちらから流れてくる水
B ここにとどまっている水
C あっちへ流れ去っていく水
D それを眺めて「水だ」と思っている私
そして、その水のその後……
E ぬるま湯になる
F お湯になる
G 湯気になる
H 霧になる
I 雲になる
J 雨になる
K 雹になる
L 雪になる
M 川になる
N 海になる
O 地下水になる
P 天然水になる
Q ペットボトルの水になる
R 生物に飲まれて、尿になる
S 下水になる
T 濾過される
U また川へ流れる
V 海へ帰る
W 蒸発する
X 空へ昇る
Y 雲になる
Z そして、また雨になる。
水の真実の姿、見ず(水)や否や?
見方や立ち位置は無限にあるのです。
禅とか曹洞宗というものは、思想ではないので、事実、実物を相手にいたします。
すると、どんなものでも仏でないものがない。
ほとけのさまではないものがないということが見えてくる。
人があれこれお手つき、お手添えをする前のさまをしているということです。
こういうことを頭で知ってわかった、悟ったという気になってしまうことと、心底仏の眼が開いて❝わかる❞❝明らかになる❞ということとは違うものです。
質問者からのお礼
解答ありがとうございます。
これだけでは悟りは開けませんが精進します。
ありがとうござきました。



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