どのような経緯でお坊さんになりましたか?
どのような経緯でお坊さんになられましたか?
いろんな方がおられるとは思いますが、
自分の意思でそうされたのでしょうか?
それとも強制的にならざるを得なかったりしましたでしょうか?
というのも自分の場合、何をやっていても途中で必ず道が途絶えてしまうからです。
なので仕方なく親のしている仕事を手伝うことになるのですが、どうにもそれだけでは自立した生活がままならず、やりたい事でもないのでさほど気ものらず。
ただ人生を歩む中でどうも運命には抗えないのだなと感じています。
因縁だとは思いますが、人生には既に決められていて歩まざるを得ない道があるものなのでしょうか?
スピリチュアル的なことを勉強すると「人間には自由意志がある」なんてよく書かれていますがあれは嘘なんじゃないかと思います。全て決められているように感じて窮屈で苦しくて仕方ありません。
お釈迦様のようにつまらない繰り返しのゲームからログアウトできれば良いんですが、まあ自分には無理だと思います。
どう考えれば楽になりますか?
僧侶の方って毎日幸せですか?
人生詰みましたさようなら
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたは、あなた。誰にも、決められるものではないのですよ。
「毎日幸せか」と問われたら、幸せだと答えるでしょう。なぜなら、縁や恩に恵まれてきたから。そしてそれを実感しているからです。
欲をいうとキリがありませんし、自分の与えられた環境から、生きる場所・意味を見出すしかありません。
私がこうして、僧侶として生きる縁は、寺に嫁いだから。ですが、僧侶になれと言われたり、強いられたわけではありません。ただの恋愛結婚です。もともと教育現場で働いていましたし資格もある。働く自分に誇りがあった。結婚してもその道で働き続けることができた。それでも、お堂の前に座り、阿弥陀如来のみ教えを聞かせてもらう中で、「私がこうしてここにいること。求められること。出来ること。その縁が揃っていること」この不思議を、良縁と思いたかった。それほどの温もりを感じたから、学びを深め、今こうして新たな生き方を歩んでいます。
ハスノハで、あなたの出会えたことも、不思議な縁。それをどう意味づけていくのか。きっと私にとって生きる力・支えにもなるだろうと思っているのですよ。あなたの一言一言にも、私は学びをいただいているのですから。
「途中で必ず道が途絶える」「やりたいことじゃない」と感じても、それは運命ではありません。初めから決められた人生を与えられているものではないのです。天皇陛下でも、世界や政治、国が変わってしまえば、その立場も危ぶまれます。
「全て決められている」と思うと、自分で立つことすら馬鹿らしくなるでしょう。自分の意思も存在も、決まったまま、変化を喜ぶこともなくなる。
途中で道が途絶えるのは、誰かの(何か)仕業ですか。そんなの、あなたが望むことじゃないのなら、自分を世界を自ら手にしていきましょうよ。
勝手に向こうから、与えてくれるものに、満足はできません。もし満足できるのならば、それは そのように喜びとなるよう、自分の志が乗っていくからです。そう向かっていくのは、自らの力でもあるでしょう。
あなたが、やりたいことは何か。それを言える自分がいるのか。
あなたが、どのような人生・経験をなさってきたのか。抗ってきたのか。そこに、あなたの力となったものもあるのではないでしょうか。
あなたは、あなた。誰にも、決められるものではないのですよ。
拝読させて頂きました。
ご質問ありがとうございました。
私は本来僧侶になりたいとは思いませんでした。お寺も好きではありませんでしたか、修行も行きたくありませんでした。ですから嫌々修行に行きました。仏教の教えも興味ありませんでしたから仏教の大学も行きませんでした。
修行が終わって社会に出てもお寺には一切近づきませんでした。そして東京でサラリーマンを20年くらいしてました。
しかしお寺の住職である父が心臓病で突然亡くなり急にお寺に戻りました。サラリーマンを辞めて住職になりました。
最初はとても嫌でしたね。しょうがないからやっていたという感じでしたね。
しかしお寺で勤めている間に少しずつですが僧侶として生きることはとても大切だと感じるようになっていきました。周りの人達も一生懸命に応援して下さいましたし、沢山の方々が助けて下さいました。
そしてハスノハや沢山のお悩みなさっておられる方々や苦しんでおられる方々がいらっしゃることを知って自分にも少しずつでも役にたつことや助けることができるのではないかと実感するようになりました。
今私は僧侶として生きることにとても有意義だと思っていますし、仏教の教えを伝えて実践していくことはとても尊いことだと思っています。
人生はどうなっていくのかわからないですが、それでもそれぞれの人生はとても尊いものだと思っています。
あなたの人生はいかがでしょう。きっとあなたの人生も様々な出会いと巡り合わせが待っていると思います。
あなたがこれからの人生を充実なさってあなたらしく生きることできますように、様々な出会いの中で与えられた命を生き抜いていかれますように切に祈っております。
そしてあなたを心より応援させて頂きます。
人生の主人公は自分
ご質問、拝読しました。
私は少し変わった経緯で坊主になりました。
子どもの頃、交通事故に二度遭い、火遊びでボヤを出し、高熱で入院を繰り返し、扁桃腺の手術までしました。
まあ、かなり危なっかしい子どもだったのでしょう(笑)。
近くの拝み屋さんから行者の老師を紹介され、「このままだと危ない」と言われ、5歳から行者の真似事を始めました。
もちろん、自分で選んだわけではありません。
「修行すれば超人になれるかもしれない」と言われ、すっかりその気になっていました(笑)。
それから真言を唱え、印を結び、読経し続けました。
そして30年。
悟りませんでした(笑)。
そこで、
自力ではどうにもならんな
と、ようやく分かりました。
それで他力の教えに向かったのです。
自力で救われないなら、阿弥陀さまにお任せするしかない。
ただし、娑婆世界ではそう簡単でもありません。
仕事も、人間関係も、経営もあります。
「ここは自分で決めるしかない」
という場面も山ほどあります。
だから私は、
阿弥陀さまをよりどころにしながら、娑婆世界では自力で生きている。
そんなものだと思っています。
人生が全部決まっているのか。
完全に自由なのか。
私は、どちらとも言い切れません。
親も、時代も、身体も、生まれる場所も選べません。
でも、その中で、
どう受け止めるか。
どちらへ進むか。
何を手放すか。
そこには、自分で選べる余地があります。
坊主は毎日幸せか、と聞かれれば、
そんなわけありません(笑)。
腹も立つし、悩みます。
ただ、
「全部自分で何とかしなければならない」
と思わなくなった分、少し楽になりました。
自分でできることはする。
できないことは、お任せする。
そのくらいでよいのではないでしょうか。
5歳の行者も、会社員も、経営者も、坊主も、最初から予定していた人生ではありません。
振り返れば、縁に押されながら、その都度選んできただけです。
あなたも、まだ途中ですよ。
選択肢はある
誰でも、選択肢の中から選ぶことはできます。稼業をなげうって違う道に進むことも可能です。
私は経済的な理由もあり、仏教の大学に進学しました。
確かに、社会を知らず、親の経済力に左右される高校生に思い付く選択肢はたかが知れています。
当時の私は、「お金さえあればもっと他の道も選べたのに」と考えていました。
しかし、それもひっくるめて、結局は自分が無難な道を選択したのです。
結果的に、仏教を学べたおかげで私は毎日幸せです。仏教を学んでいなければ、悩み苦しみストレスを軽減するテクニックなしで社会に飛び出していたでしょうから、メンタルヘルス不調になっていたかもしれません。
まぁ、いずれにせよ、あなたにも仏教を知っていただきたいとは思います。
仏教は、どんな道でも幸せに生きる力をくれますから。
質問者からのお礼
ありがとう御座いました。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
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(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )