死の淵にいる母の心を救いたい
以前にも相談し、温かいお言葉を頂戴しまして、本当にありがとうございました。
私の母は髄膜腫を患っているのですが、先日医師より余命2〜3ヶ月と告げられました。
父が3年前に60歳で癌で亡くなり、その後家も火事で失くなり…途方に暮れながらも母や姉弟と何とか3年間やってきました。
歳を追うごとに母の病状が悪くなっていき、先が長くないということは理解していたつもりですが…いきなりの医師からの宣告に、目の前が真っ暗になって毎日泣き暮らしています。
母も日々意識が保てなくなっていることに恐怖を抱いているのか、たまに自我がはっきりしているときはひたすら呻き泣いています。
既に動けず、話も出来ませんが、恐らく自身がそう長くないことも感じ取っているようです。
なるべく自我がはっきりしているときには傍にいてあげたいと思い、余命の宣告があってからは毎日病院まで通っているのですが…
母が呻き泣いていても「頑張って元気になって家に帰ろうね。皆で頑張ろうね」としか言ってあげられず…
どうしたら母が心穏やかに最期の時を迎えられるのか…私がしてあげられることはありますか?
祖父母も亡くし、父も亡くし、家も失くし、自身ももう10年以上病と闘ってきました。まだ母は64歳です。
いつでも明るく前向きだった母が、痛み苦しみ絶望しながら最期を迎えるなんて余りに酷すぎます。
死の淵で絶望に覆われている母の心を、何とか救ってあげることは出来ないでしょうか。
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思い出とありがとう
たくさんの困難を、家族みんなで乗り切ってこられたんですね。
楽しいことばかりじゃなかったと思いますが、それでも家族の絆があったからこそだと、読んでいて感じました。
病気のお母さん、とにかく残念です。
帰りたい気持ちはまみさんと同じと思います。
どうでしょう、お見舞いにいって、今までの家族で過ごした何十年かを振り返って、お話してみることは。
あれが嬉しかった、あんなケンカもした、あの時はああだった…
困難を乗り越えてこられたからこそ、思い出の深さはあるでしょう。
そうしてを振り返っていると、きっと「ありがとう」の言葉が沸いてくると思います。
死は無常で理不尽で、でも誰にでもいつでも訪れるもの。
その時に「ありがとう」と言われることほど嬉しい言葉はないのではないでしょうか。
私は死んでも終わりと思っていません。
祖師が説かれた「同じ浄土で再会する」という言葉、お経に説かれた浄土の世界(華が舞い、天女が音楽を奏で、苦しみのない世界)に帰っていくということを信じて、送っています。
お母さんとご家族と、まみさんの心の平穏を願っています。
臨終へと向けて・・
まみ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
色々とご苦労なされてこられたお母様のこと、誠におつらいことでございます・・
生老病死・・誠に無常の理を痛切に思うところでございます。
お母様・・できるだけ身体、心の苦しみも取り除いて頂いて、最期をお迎えできると良いのですが・・
臨終へと向けて大切となるのは、悲観や絶望、不安、恐怖など、悪い煩悩にあまり支配されずに、穏やかに安心して心が落ち着いた状態を保てるようにとして、看取る者たちも、優しく温かい言葉を掛けてあげること、感謝や報恩の気持ちを伝えること、後顧の憂いを無くしてあげれるようにすることなどを通じて、できるだけ安らかに逝かせてあげれることが必要であるかと存じます。
身体の苦しみにつきましては、医師ともよく終末期ケア、緩和ケアについてご相談なされて頂きまして、心の方につきましては、できれば、お家のご宗旨、帰依されておられるご宗旨における簡単なものでも構いませんので、仏典やその分かりやすい解説書などの読み聞かせ等による仏法の真理への気付きの促しや、三宝(仏法僧)への帰依、菩提心(悟りを目指したいという強い志)の生起、来世におけるご仏縁と智慧と福徳(功徳)の修習へと向けた志などへの滋養を頂けましたら、大変に有り難いことであると存じております。
お母様の来世へと続く心の連続体(心相続)へと向けて、仏様、仏法とのご縁の深まりによってのより善き赴きがございますようにと、心から祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
日顕様
川口英俊様
私の問いに温かくお優しいお言葉をありがとうございます。
大好きな母が日に日に母で無くなっていくこと、逢えなくなることに私自身も取り乱しておりますが…お言葉を頂いて少し落ち着けたように思います。
出来るだけ母の傍に寄り添い、最期まで母と一緒に過ごそうと思います。
本当にありがとうございました。