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人を許す事

回答数回答 1
有り難し有り難し 16

過去にされた嫌な事、過去に言われて傷ついた事、どうしたら許す事ができます?

また、過去にこちらを裏切った人がいるのですが、その人を許し整理しないと次に進まない事があります!

頭では、わかっていて許そうと思っているのですが、いざ本人を前にすると怒りの感情がでてしまいます!


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし

よう様はじめまして、ご相談拝見しました。

タイトルの言葉は歎異抄という書の中で、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人がこのように語ったとされている言葉です。

「人間の行いは思い通りにはならない、縁によってはどんなふるまいもしてしまう」ということですね。

よう様を裏切ったという方と同じ境遇に自分が立った時、自分はけして同じようなふるまいはしないと確実に断定できるのかどうか、ということです。

例えば、悲しいことに殺人という大きな罪を犯してしまう人がいますが、その方は殺したくて殺したわけではないのでしょう。しかし殺さずにはおれない縁がととのってしまったのではないでしょうか。
「私なら同じ境遇でも絶対に殺さない」と、言い切れるのかどうか・・・私には自信がありません。
殺すなと言われてもそういう縁なら殺すかもしれないし、殺せと言われてもそういう縁が整わない限り殺すこともできないのではないでしょうか。
実際に殺人を犯した人もけして望んではいなかったのだと思います。しかし現実には殺人はおきているのです。
まさに、縁にもよおされれば人間はどんな行いをもしてしまうということを表しているのではないでしょうか。

さて、ではどうしたらよいかというところです。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉もありますが、憎まずにおれないのもまた人間なのかもしれません。何か憎しみをぶつける先がないとやり切れないのも事実でしょう。
そういう中で仏教的にできることは、

①自分の憎しみの心にとことん向かい合って、憎しみの原因を見つめること。なぜ憎いと思ってしまうのか自分の心の内に尋ねていくこと。

②慈悲の心。憎むのではなく、ともに悲しみあわれむということ。どうしようもない縁にもよおされてしてはいけないことをしてしまったという事実に思いを馳せて考えること。

ではないでしょうか。

よう様ご自身も許そうと思っているとのことですし、相手の方のご縁(境遇・状況・心情)にご自身も身を照らして考えることができればその時が訪れるのではないかと思います。

許せないと次に進めないとすでにお気づきです。憎しみは憎むことでは解決しないのです。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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質問者からのお礼

ご丁寧な回答ありがとうございます。
相手の状況や気持ちに自分を照らし合わせれば、その時が来るような気がしました!

憎しみは憎しみでは解決しないですよね、響きました。

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