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友人と大喧嘩して

回答数回答 2
有り難し有り難し 26

一か月前に友人とメールで大喧嘩してしまい(友人の友だちが土砂災害に巻き込まれて死亡)そのことを友人から聞いて何もできなくてごめんとメールで言った。けど友人はそっとしとくこともできないの?誰かが何をできるわけじゃない
いてもいみがないわけじゃない。そのメールの返事が夜中3時ごろに来て私はブチキレてしまって(よく読めば意味がないわけじゃないをあるわけじゃないと誤解した私)大喧嘩友人に対する不満を本音を言ってしまって激しく後悔しました。私は必死で謝った。でも相手は二度もそっとしといてほしいと長々文章のメールを送ってきた。あと私がたまにメール待ってるねと言うのが気に食わない寂しいから早く返事よこせと聞こえていたらしい。私はさよならした返事は「お元気でこちらこそいろいろありがとうございました」あっけない最後だった悔しさと怒りがあったでも私はもう一度仲直りしたい..


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分の気持を押し付けてはいませんか?

お友達との関係は、お互いに思いやる事が大切ですよね。 

あなたは真剣に、お友達を心配してメールをしたのだと思いますが、
「そっとしておいて…」というメールが来たのであれば、
そっとしておいてあげるのが一番なのだと思うのです。

まず、お友達の気持ちを考えてあげるのが大事なのだと思うのです。

たとえ心底心配していても「自分は…」「自分は…」という思いが
先立ってしまうと、相手の心や気持ちが見えなくなってしまうのではないでしょうか?

もし、あなたが彼女の立場で、大切な友人を自然災害で亡くしてしまい、ショックを受け
少し一人で亡くなった友人の事を考えていたいと思ったとします。
そんな時に、他の友人からメールが来て、
たとえ心配しているという内容であったとしても
辛くはないでしょうか?
もし、あなたは辛くは思わない人だとしても、その友人はそういった事が辛いと感じる人なのだという事をちゃんと受け入れて気を使って上げるのも友人であれば必要な事だと思います。

自分の言いたい事もあるでしょうけど、まずお友達の言葉をちゃんと聞いて上げるのが良いと思います。
「そっとしておいて」
というのであれば、向こうから何か言って来るまで待つべきだったのではと思います。

そこらへんをちゃんと気をつけないと、たとえ仲直りしてもまた大げんかで絶交になってしまう可能性もあるかもしれません。

まず、人の気持ちが自分とは全く違う思考回路で出来上がっている事を理解して、
人それぞれの違いに応じて思いやる事ができたら…素敵だと思います。

お友達と仲直りする前に、
まず、自分がお友達に一方的に気持ちを押し付けていなかったか…
少しだけ考えてみて…今後のあなたの行動に役立つように心に受けとめてみて下さい。

時間が経てばきっと仲直りできるのではないかと思います。

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個別相談可能
仏道に入門して40年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さんだと思っております。 法昌という法名で、和歌山県の高野山の西禅院が所属寺院ですが、 普段は東京都町田市のマンションで手作りの密壇でひたすら修行を続けている  はぐれ行者です。 伝法灌頂も中院流の一流伝授も授了させていただいております。 娘を持つ母であり、一家の主婦でもあり、親の介護もあったりします。 エッセイや文章、そして漫画家として漫画も描いております。 イーハトーブクリニック萩原医師の指導をいただきヒプノセラピスト(催眠療法士)でもあります。 基本的に隣のおばちゃん的な、でも変わった尼僧です。
ご相談可能な時間はその日ごとに違うので、いくつかご都合を書いてくださいね。 人生で悩んだ時に、最善の答えを与えてくださるご神仏と、あなたは心の奥で必ず繋がっています。ご自身の心の中からご神仏のお答えが受けられるようにアドバイスをさせて頂きます。 ◆著書:「神さま仏さまがこっそり教えてくれたこと」「迷いをすっきり消す方法」「幸せを呼ぶ仏像巡り」

まぁ、せめて、人生にも、読点くらい、つけま、しょう。 

おそらくアナタは結論急ぎ過ぎお姉さんですね。
まず、せっかちを無くすとイイと思います。
せっかちであると早とちりもします。
質問内容をご自分で読み直してみてください。
文にも乱れがありますでしょう?句読点すらないほどに。私も時々ありますが。
せっかちであるということ、早とちりをするということってどういうコトだと思います?
おそらく、自分の想定している結果がすでに先にあるのでしょう?
自分の求めている姿が事前に決められているのです。
そしてそうでないと、腹を立てる。
私の回答がまさにそう映るかもしれません。
それは物事を正しくみていないからです。
自分の考えをオプションとして付随させてばかりで、その事の実際の真意ではなく、自分の思いの方ばかり、ばかり、ばかりを優先させているからなのです。
あなたの考えよりも正しいことってあるのです。読み間違える前の文章そのものもそうであるように、自分の考えを付け加える前の世界です。
おそらくあなたはこれを読むときも、せっかち(ゴメンネ)であると思います。
私がここでいうところの「せっかち」とは、きめてかかること、自分の頭越しに物事を観ている事です。
「あ、私のこと悪く言っている嫌な奴だ、こんな奴の回答など聞くもんか見るもんか」と守り、防衛反応越しに観てしまう。
それって、ものすごーく、あなたのフィルター越しに観ているのです。そのフィルターONをいったんOFFにしてください。
これはあなたではなく、私の独り言だと思ったり、他の人に向けて書かれたものだと思って、ゆ・る・や・か・に・ゆ・っ・く・り・と受け止める事です。この回答だけでなく、普段の事全てを。
親の影響かもしれませんが、それでもあなたの人生だから、あなたの自己責任で、早とちりやせっかち、妄想フィルター越しに世界を見る事をOFFにしていくべきです。そうすれば人生は明るい。
仲直りだってたやすい。何故なら、自分の妄想フィル―ターがOFFになるから素直になれる。
チャンと謝れる。和解ができるはずです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

皆さんお返事が遅くなってしまい申し訳ございませんでした。あれれから2カ月になり私は一生懸命謝罪の手紙を書きましたでもたぶん相手は受け入れてもらえないと思います。

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