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今回は猫を保護しましたが・・・

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度々の質問、申し訳ありません・・・
3週間前に、屋根裏で野良猫が出産をしました。
4匹ぐらい生まれたみたいなのですが、母猫が独り立ちをさせています。
そのうちの一匹が、突然、私の寝室の窓を叩いていました。
ずっとノックするので手を伸ばすと自然に抱っこされました。
とりあえず食事をと思い、ミルクを与えてみましたが、まだ自力で排尿や、ミルクも飲めない状態でした。
一旦保護し、昨夜の3時ごろ、啼いて起こされましたが、ようやく少し自分でミルクをお皿から飲んだところです。
正直言って、途方にくれています。私は、最後まで猫のお世話をすることは恐らくできないと思います。
前回は保護せず後悔しましたが、保護をした今も、自分のしたことの重大さに、後悔しています。
この国は野良猫が多く、また多産です。
そして、生まれたばかりの猫が次々死んでいっています。。
恐らく、猫だけではなくて、人間もそうなのでしょう。
発展途上国とは、そのような場所なのだと思います。
私は、基本的には自然の生態系に関わらない方針です。食事もヴィーガンで、できるだけ、生命体の大切な場所(根菜)を避け、再生可能な実(果物など)を、非加熱で可能な限り少量だけ食べて暮らすようにしています。
それは、私の生命を維持するために、犠牲をできるだけ少なくしたいという気持ちからなのです。
猫を助けるということは、他の生物(魚)を消費させることです。どちらの命が尊いということはなく、私が関わるべき事ではないと思うのです。
私はどうしたらいいのでしょうか?
今後、どのように生きていったら良いのでしょうか・・・

2014年10月11日 10:32

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

同情だけでは生きていけません。

 ある水族館の経営に携わった方が「水族館は悪行である」といいまいした。これは海の生き物は生態系が明らかなものが少なく、水槽に放すといくら海に近づけても短命な生き物が多いそうです。
 あなたがこの猫たちを飼いたいというなら最後まで責任を持つというならいいかもしれません。しかし、野良犬、野良猫という概念は人間が作ったエゴではないでしょうか?ヘビやトカゲに野良は付けますか?犬や猫も人間に飼われるために生きているわけではありません。
 ワシはいわゆる田舎に住んでおりました。子供のころは朝になると靴の中には虫や陸蟹(雨の日)がおりました。小学生のころは野良犬に追いかけられ、草刈りするとヘビがいました。夜になると毒虫や害虫が家を這いずり回り、猫の鳴き声がうるさく夜も寝られないこともありました(そのお蔭か今ではちょっとした騒音ではびくともしません)。蜂の巣もどこかにありました。蜘蛛の巣にも良く引っかかりました。今では開発が進み、ほとんど見かけなくなりました。
 個人の見解になりますが、あなたのように自問自答するのは大切なことですので、このことに悩まないで下さい。もっと生命に関して悩み正解を求めないでその都度判断するのが良いと思います。ワシはどんな判断をしようが責めたりはしません。お釈迦様の教えを引用すれば「自も他も害さない。」判断が究極の判断ですので、そのことを踏まえて、ワシも状況が分からないとその時には判断できません。あなたの生き方は続けてもいいと思います。ただ、このようなこともあるとアドバイスをさせて抱きました。
 余談になりますが、日本では狂犬病、猫ひっかき病、オウム病はほぼ絶滅しており馴染みのない病気ですが海外では流行っております。うかつに可愛いからといって触りに行かない方がいいですよ。
 野良猫に餌を与えると飼っていることと同じと思われ、その猫が近所のお宅に侵入しものを倒して壊したりすると莫大な慰謝料をとられる場合がありますので、気を付けて下さい。日本やアメリカでは訴訟になっているそうです。

2014年10月13日 10:24
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有り難し
おきもち

ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。

いのちの願いに立ち返る

まりかさん

本当に深く深くいのちと向き合って
おられるという印象を持ちました。

いのちの尊さと向き合うということは

正しい答えを出すことではなく

命を尊ぶとは一体いかなることなのか

問を見出し、迷い悩みながら歩んでいく

分かったことにせず、私はどうすべきなのかと

いのちの願いに絶えず立ち返っていく姿勢に
あるのではないかと思います。

起きた事実と向き合い、歩んでいただければと思います。

まりかさんの生き方から
いのちへの問を見出す人が生まれるのでは
ないかと思います。

また恵心僧都という方の
お話を思い出したので紹介します。

昔恵心僧都、一日庭前に草を食する鹿を人をして打ちおはしむ。時に人有リ、問ウテ云ク、「師、慈悲なきに似たり。草を惜シンで畜生を悩マす。」僧都云ク、「我れ若シ是レを打タずんば、この鹿、人に馴れて悪人に近づかん時、必ず殺されん。この故に打つなり。」ト。鹿を打ツは慈悲なきに似タれども、内心の道理、慈悲余れる事是のごとし。 『正法眼蔵随聞記』

私訳
(昔恵心僧都が、庭で草を食べている鹿を叩いて追い払った
弟子「師匠、思いやりがないように見えますが?草を食べられるのを惜しんで鹿を叩くなんて」
恵心僧都「私が叩かなければ、この鹿は人になれて、誰とも構わず近づいて、結局殺されてしまうだろう。生きてほしいから叩いているのだ」
鹿を叩くことは思いやりがないように見える、ただその行動の真意は思いやりなのだ。)

正解を求めるのでなく
絶えずいのちの願いに立ち返って、
考えていただければと思います。

2014年10月14日 0:22
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

大鐵様

ご返答有難うございます。おっしゃるとおり、私も野良犬や野良猫などという呼び方は人間のエゴだとかんじていました。
コメント投稿後に知ったのですが、こちらでは猫の出産で、親猫が間引きをするのは普通のことなのだそうです。
生後三週間ではやはり独り立ちするのには不十分で、親猫は無理を承知で、しかし、全部の猫を生かし育てぬくことは無理だと判断して、三匹捨てました。
今、屋根には兄弟の猫が一匹だけ残り、親猫に大切に育てられています。それと同時に、屋根で、また生まれたばかりらしい猫の赤ちゃんの鳴き声が聞こえ始めました。

私は、積極的には自然の動物には関わりません。
自分自身が、「土」とか「空気」とか、そういう地球の一部として存在していたいのです。
ですから、自然の摂理を乱すような「思い」や「想念」による行動を起こしたくないのです。

動物を飼いたくはないのです。猫はやはり自然の中で生きるべきだという思いがあります。
しかし、確実に死んでいくであろう猫を見捨てられませんでした。

私の気持ちとしては、屋根の仔猫が親猫に保護されているのと同じ期間は保護してあげたいのです。
そして、巣立っていくのと同じ時期に、自然にかえしてあげたいのです。それは無責任なことですか?猫にとっては不幸なことなのでしょうか?

どうしたらいいのか、結局今もわからないのですけれど、「どんな判断をしようが責めたりはしません。」とおっしゃっていただいて、もう一度、思ったようにしてみる勇気が出てきました。
ありがとうございました。

中根信雄
ご返答有難うございます。恵心僧都のお話を読んで、改めて、自分の稚拙さを感じました。「情に流されず、冷静に判断する」ことをずっと意識していて、でも、8月に自分で出した「冷静な判断」の結果を受け入れられず、「諸行無常、今を生きよう」そう思いながらも、気がつけば罪の意識に心が囚われていました。
仏教の教えに沿っているかどうかは勉強不足でわからないのですが、私は意識は形として具象化するという実感を持っています。そしてまた、自分の周囲は、潜在下の自分を映し出す鏡のような気がしています。
なので、これではいけないと思い、頭の中を空っぽにしたくて真言を唱えたり、瞑想をしたりしていました。
しかし、神様に祈りを捧げていると、気がつくと8月に出会った猫に会いたい、という思いが沸いてきてしまいました。
今回の猫に会ったとき、本当に顔も模様も8月の猫にそっくりで、笑われるかもしれませんが、祈りが通じたと感じたのです。それで、転生させてしまった責任を取らなきゃ、と感じてしまいました。

行動してみて、浅はかだったと反省しています。放っておけば淘汰される命だったかもしれないけれど、それが神様の作られた法であるなら、従うべきだったのかもしれません。
助けたくて何か行動を起こすのですが、しかし、自分が助けることができる、という思いこそエゴなのだと思います。
失敗ばかりですが、「悩む」という経験を大切に積み上げていこうと思います。
ありがとうございました。

中根信雄様

すみません、お名前に「様」が消えてしまっていたことに気がつかず投稿してしまいました。コメントの文字数が多くなってしまい、文章を削除しているときに、うっかり消してしまいました。大変失礼いたしました。

「動物・ペットについて」問答一覧

生き物を売る仕事

ホームセンターでパート従業員として働いています。 夏になり、カブトムシとクワガタムシの生体が入荷してきました。 私は、ペットショップなど、「生き物(いわゆる愛玩動物)を販売すること」に疑問があり、反対もしています。 生体の販売が無い職場を選んで、今の会社に就職したつもりでしたが、「季節商品」として、生き物が入荷する事を予測できませんでした。 昆虫が入荷してきて、愕然としたのは、世話をする従業員が一人もいなかった事です。ペット担当の社員は、昆虫が苦手で触ることもできません。 去年はどうしていたのかと話を聞くと、「餌やりはしていたものの、マット(ケースに敷く木のチップや土)の交換やケースの掃除はしていない」「コバエだらけ」「生体にカビが生えた」「売れなくてほとんど死んだ」と、笑いながら話していました。他の社員も店長も、見て見ぬ振りだったようです。 死んだ個体の申告などはなく、イコールお咎めもなく、売れ残りは回収(回収後どう扱われるのかはわかりません…)、店舗には損害がないことも、生き物を扱う事への意識の低さを増長している印象でした。 そして今も、その雰囲気です。 昆虫たちの世話は、私が一人でしています。気まぐれに手伝うフリをしてみたり「ちゃんと世話してえらーい」などと声をかけてくる従業員はいますが、継続的に世話をしようとする姿勢の人間は一人もいません。 短い一生を、狭くて不衛生なケースの中で過ごさなければならなかった生き物たち。誰にも愛情をかけられず、無視され続けて死んだ生き物たち。 可哀想で胸が痛くなりました。 生き物が入荷した時点で、退職を申し出ようとしました。が、私が世話をしなければ、去年と同じ事が起きます。 結局、辞める事が出来ずに、2ヶ月が経ちました。 昆虫達の世話は好きです。 しかし、やはり生き物を売る仕事が嫌です。 また来年、昆虫達は入荷してきます。私が辞めてしまったら、誰が世話をするのでしょう…。 明日も仕事です。憂鬱で仕方ありません。退職をしても良いのか、そうでないのか、ご意見を頂きたく思います。

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子猫を見殺しにしてしまいました。

産まれたばかりの子猫を見捨ててしまいました。 20数年前、まだ自分が小学生だった頃、住んでいた団地の部屋の物置に野良猫がどこからか入り込んで二匹の子猫を産んでいました。発見した母親はすぐさま私と弟に捨てておいで!と命じ、私と弟は言われるがまま近所の植え込みにまだ産まれて間もない子猫を放置してしまいました。数日後、子猫を捨てた近くで友人と遊んでいると道端に一つだけ段ボールが置いてあり、もしやと思い中を覗くとあの時の子猫の一匹が中にいました。もう一匹は見当たりませんでした。誰かが私達が捨てたあと発見して入れたのだと思います。子猫は先日の雨で濡れてとても衰弱しており、友人の家に連れ帰って介抱していたのですが、私は子猫を連れ帰ってのがバレたら段ボールに入れた人に怒られるなどと思ってしまい、友人を促し遊んでいた場所に戻り介抱していた子猫をまた段ボールの中に戻してそのまま立ち去ってしまいました。私は自分が怒られたくないという理由で目も空かない産まれたばかりの子猫を二回見捨ててしまいました。子猫二匹がそのあとどうなったかは分かりません。おそらく助からなかったと思います。勝手な話、大人になってからこの事を思い返し、介抱し続けていればもしかしたら助かったかもしれない子猫に対して罪悪感を感じています。同時に自身の保身の為に子猫を見捨てた自分の卑怯さや半端な優しさを見せてしまった事を後悔し自己嫌悪しています。 せめてもの罪滅ぼしのつもりで動物愛護の団体に毎月寄付をしていますが、これをしても過去は変えられないしあの子猫二匹が助かるわけでもないと思ってしまいます。母猫にも悪いことをしてしまいました。私はどうすればよいでしょうか。 どうか意見をお聞かせください。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

犬の寿命

私は2005年に故母が大きなオスの白いペキニーズをブリーダーから飼って、翌年に奥さんとして小さなメスの白いペキニーズを新しいペットショップで飼いました。 白ペキの2人はもう14歳と13歳になりました。 色々ありました。母が入院の末に死に、私もヘルパーになるもリストカットして辞めて、ソーシャルゲームで散歩が遅れたり、急かしたり。 睡眠障害で寝れなくなったら、愛犬たちは体を押さえつけて寝かしつけたりしてくれたけど、夜中、無意識に食べてしまう病気で、起きて目にけがをさせてしまったり。 最近は、私に彼女ができて、私も働けるようになり2人と愛犬2人の4人で寝ています。しかし、お金がなくて歯石を病院で取ってあげれなくて歯がボロボロで、お腹も壊し気味です。 彼らは本当にかわいいです。犬種的にも呼んでもきませんし、芸も覚えませんが、吠える時は日本語の様に伝わってきます。 オスの顔は、私や亡くなった弟そっくりです。 私は本当に飼い主として失格です。でも、人並みに長生きしてほしいと感じています。50歳以上に…。 質問です。動物は自分たちが食べるだけで精いっぱいでアリとアブラムシの関係みたいな共存の関係じゃなければ助け合わないのに、何故、犬や猫って、子どもの様に愛される様になったのでしょうか? 何故、ペットは寿命が短いのでしょうか? ご教示を宜しくお願い申し上げますm(__)m

有り難し有り難し 3
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病気の愛犬

愛犬の病気が治りません。以前も大きな手術をしていて何回も入院してきました。毎日不安で不安でたまりません。治療もあまり経過がよくなく今日も愛犬は具合が悪そうです。 以前は、突然、具合が悪くなり夜間の救急にも何回も通いました。そこの医者の中に信じられないかもしれませんが、私に対して馬鹿にしてくるようなスタッフがいました。担当の先生は、診察の時は親切にしてくれましたが、一番近い救急がそこしかなく二次診療機関もまた必要ならそこに行かなくてはならないかと思うと憂鬱で仕方ありません。 そういうストレスもあり、愛犬の具合が悪いと私まで体調が悪くなるようになってしまいました。毎日つらいです。つらいのは愛犬のほうなんだから、私がまいっていてはいけないとは思うけど、正直つらくなります。 家族には、こんな時にグズグズしてないで愛犬の食事を作るなら早く作れ、などどやされたりそれなら自分が作ればいいだろ、などと思いながら昨日も過ごしました。 また、別にいる同居の家族は非常に無責任で雪の降る寒い日に体調の悪い愛犬を留守番させる際暖房を危ないからといって消して行って、帰ってきたら愛犬が呼吸も荒くてひどいことになっていました。それなのに、そんなの大丈夫だとか平気で言い放ち腹が立ちます。 ここのところ、正月も深夜も関係なく病院通いの毎日で、それで良くなるのならば苦ではないけれど、今は治療の見通しも立たないのでそれが不安でたまりません。 以前、危篤的な時には延命のお唱えを心の中でしてみましたが、神様に病気を治してください、とお願いするお唱えみたいなものはありますか? また、こんな時はどういう心構えでいたら良いでしょう。何かアドバイスあればお願いします。

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野良猫の死が辛くて抜け出せません

夕方、我が家の車の下に、か細い声で鳴く猫がいる事に気付きました。 見てみると、かなりの傷を負っていて、痩せ細り、衰弱していました。 近寄っても攻撃的ではなかったため、動物病院に連れて行こうかとも思いましたが、我が家には室内犬がおり飼うのは難しいし、ならば手を出さない方がいいのか等考えているうちに夜になりました。 夜、やはり気になり、外に確認に行こうとドアを開けたら、ドアの前に座っていて、家の中に入ってきました。 犬が居るので部屋に入れることはできませんでしたが、玄関に箱を置き、その中に毛布を入れてくるんで様子を見ていました。 そうしているうちに、一緒に暮らしたいという思いが湧いてきました。 ネットを見てみたら、犬と猫を飼っている人達の記事があったりして、なんとかなると思えてきました。 朝になったら動物病院に連れて行って、なんとか我が家の子にと考えていました。 そして朝、その子は亡くなりました。 あの時こうしていたら、救えていたのかもしれない…等考えて、頭から離れません。 涙が止まりません。 その時最善と思ってやっていても、それしか方法がなかったとしても、どんなやり方をしていても、命あるものが亡くなった後には、あの時こうしていたら違っていたかも等何かしらの後悔の念が出てくるというのは、母の死で経験しています。 仕方のないことと分かっていても、辛くて辛くて仕方ないのです。

有り難し有り難し 5
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