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今回は猫を保護しましたが・・・

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度々の質問、申し訳ありません・・・
3週間前に、屋根裏で野良猫が出産をしました。
4匹ぐらい生まれたみたいなのですが、母猫が独り立ちをさせています。
そのうちの一匹が、突然、私の寝室の窓を叩いていました。
ずっとノックするので手を伸ばすと自然に抱っこされました。
とりあえず食事をと思い、ミルクを与えてみましたが、まだ自力で排尿や、ミルクも飲めない状態でした。
一旦保護し、昨夜の3時ごろ、啼いて起こされましたが、ようやく少し自分でミルクをお皿から飲んだところです。
正直言って、途方にくれています。私は、最後まで猫のお世話をすることは恐らくできないと思います。
前回は保護せず後悔しましたが、保護をした今も、自分のしたことの重大さに、後悔しています。
この国は野良猫が多く、また多産です。
そして、生まれたばかりの猫が次々死んでいっています。。
恐らく、猫だけではなくて、人間もそうなのでしょう。
発展途上国とは、そのような場所なのだと思います。
私は、基本的には自然の生態系に関わらない方針です。食事もヴィーガンで、できるだけ、生命体の大切な場所(根菜)を避け、再生可能な実(果物など)を、非加熱で可能な限り少量だけ食べて暮らすようにしています。
それは、私の生命を維持するために、犠牲をできるだけ少なくしたいという気持ちからなのです。
猫を助けるということは、他の生物(魚)を消費させることです。どちらの命が尊いということはなく、私が関わるべき事ではないと思うのです。
私はどうしたらいいのでしょうか?
今後、どのように生きていったら良いのでしょうか・・・


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

同情だけでは生きていけません。

 ある水族館の経営に携わった方が「水族館は悪行である」といいまいした。これは海の生き物は生態系が明らかなものが少なく、水槽に放すといくら海に近づけても短命な生き物が多いそうです。
 あなたがこの猫たちを飼いたいというなら最後まで責任を持つというならいいかもしれません。しかし、野良犬、野良猫という概念は人間が作ったエゴではないでしょうか?ヘビやトカゲに野良は付けますか?犬や猫も人間に飼われるために生きているわけではありません。
 ワシはいわゆる田舎に住んでおりました。子供のころは朝になると靴の中には虫や陸蟹(雨の日)がおりました。小学生のころは野良犬に追いかけられ、草刈りするとヘビがいました。夜になると毒虫や害虫が家を這いずり回り、猫の鳴き声がうるさく夜も寝られないこともありました(そのお蔭か今ではちょっとした騒音ではびくともしません)。蜂の巣もどこかにありました。蜘蛛の巣にも良く引っかかりました。今では開発が進み、ほとんど見かけなくなりました。
 個人の見解になりますが、あなたのように自問自答するのは大切なことですので、このことに悩まないで下さい。もっと生命に関して悩み正解を求めないでその都度判断するのが良いと思います。ワシはどんな判断をしようが責めたりはしません。お釈迦様の教えを引用すれば「自も他も害さない。」判断が究極の判断ですので、そのことを踏まえて、ワシも状況が分からないとその時には判断できません。あなたの生き方は続けてもいいと思います。ただ、このようなこともあるとアドバイスをさせて抱きました。
 余談になりますが、日本では狂犬病、猫ひっかき病、オウム病はほぼ絶滅しており馴染みのない病気ですが海外では流行っております。うかつに可愛いからといって触りに行かない方がいいですよ。
 野良猫に餌を与えると飼っていることと同じと思われ、その猫が近所のお宅に侵入しものを倒して壊したりすると莫大な慰謝料をとられる場合がありますので、気を付けて下さい。日本やアメリカでは訴訟になっているそうです。

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ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
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いのちの願いに立ち返る

まりかさん

本当に深く深くいのちと向き合って
おられるという印象を持ちました。

いのちの尊さと向き合うということは

正しい答えを出すことではなく

命を尊ぶとは一体いかなることなのか

問を見出し、迷い悩みながら歩んでいく

分かったことにせず、私はどうすべきなのかと

いのちの願いに絶えず立ち返っていく姿勢に
あるのではないかと思います。

起きた事実と向き合い、歩んでいただければと思います。

まりかさんの生き方から
いのちへの問を見出す人が生まれるのでは
ないかと思います。

また恵心僧都という方の
お話を思い出したので紹介します。

昔恵心僧都、一日庭前に草を食する鹿を人をして打ちおはしむ。時に人有リ、問ウテ云ク、「師、慈悲なきに似たり。草を惜シンで畜生を悩マす。」僧都云ク、「我れ若シ是レを打タずんば、この鹿、人に馴れて悪人に近づかん時、必ず殺されん。この故に打つなり。」ト。鹿を打ツは慈悲なきに似タれども、内心の道理、慈悲余れる事是のごとし。 『正法眼蔵随聞記』

私訳
(昔恵心僧都が、庭で草を食べている鹿を叩いて追い払った
弟子「師匠、思いやりがないように見えますが?草を食べられるのを惜しんで鹿を叩くなんて」
恵心僧都「私が叩かなければ、この鹿は人になれて、誰とも構わず近づいて、結局殺されてしまうだろう。生きてほしいから叩いているのだ」
鹿を叩くことは思いやりがないように見える、ただその行動の真意は思いやりなのだ。)

正解を求めるのでなく
絶えずいのちの願いに立ち返って、
考えていただければと思います。

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質問者からのお礼

大鐵様

ご返答有難うございます。おっしゃるとおり、私も野良犬や野良猫などという呼び方は人間のエゴだとかんじていました。
コメント投稿後に知ったのですが、こちらでは猫の出産で、親猫が間引きをするのは普通のことなのだそうです。
生後三週間ではやはり独り立ちするのには不十分で、親猫は無理を承知で、しかし、全部の猫を生かし育てぬくことは無理だと判断して、三匹捨てました。
今、屋根には兄弟の猫が一匹だけ残り、親猫に大切に育てられています。それと同時に、屋根で、また生まれたばかりらしい猫の赤ちゃんの鳴き声が聞こえ始めました。

私は、積極的には自然の動物には関わりません。
自分自身が、「土」とか「空気」とか、そういう地球の一部として存在していたいのです。
ですから、自然の摂理を乱すような「思い」や「想念」による行動を起こしたくないのです。

動物を飼いたくはないのです。猫はやはり自然の中で生きるべきだという思いがあります。
しかし、確実に死んでいくであろう猫を見捨てられませんでした。

私の気持ちとしては、屋根の仔猫が親猫に保護されているのと同じ期間は保護してあげたいのです。
そして、巣立っていくのと同じ時期に、自然にかえしてあげたいのです。それは無責任なことですか?猫にとっては不幸なことなのでしょうか?

どうしたらいいのか、結局今もわからないのですけれど、「どんな判断をしようが責めたりはしません。」とおっしゃっていただいて、もう一度、思ったようにしてみる勇気が出てきました。
ありがとうございました。

中根信雄
ご返答有難うございます。恵心僧都のお話を読んで、改めて、自分の稚拙さを感じました。「情に流されず、冷静に判断する」ことをずっと意識していて、でも、8月に自分で出した「冷静な判断」の結果を受け入れられず、「諸行無常、今を生きよう」そう思いながらも、気がつけば罪の意識に心が囚われていました。
仏教の教えに沿っているかどうかは勉強不足でわからないのですが、私は意識は形として具象化するという実感を持っています。そしてまた、自分の周囲は、潜在下の自分を映し出す鏡のような気がしています。
なので、これではいけないと思い、頭の中を空っぽにしたくて真言を唱えたり、瞑想をしたりしていました。
しかし、神様に祈りを捧げていると、気がつくと8月に出会った猫に会いたい、という思いが沸いてきてしまいました。
今回の猫に会ったとき、本当に顔も模様も8月の猫にそっくりで、笑われるかもしれませんが、祈りが通じたと感じたのです。それで、転生させてしまった責任を取らなきゃ、と感じてしまいました。

行動してみて、浅はかだったと反省しています。放っておけば淘汰される命だったかもしれないけれど、それが神様の作られた法であるなら、従うべきだったのかもしれません。
助けたくて何か行動を起こすのですが、しかし、自分が助けることができる、という思いこそエゴなのだと思います。
失敗ばかりですが、「悩む」という経験を大切に積み上げていこうと思います。
ありがとうございました。

中根信雄様

すみません、お名前に「様」が消えてしまっていたことに気がつかず投稿してしまいました。コメントの文字数が多くなってしまい、文章を削除しているときに、うっかり消してしまいました。大変失礼いたしました。

「動物・ペットについて」問答一覧

昔出会った子猫のこと

5年以上前の話なのですが、田舎で一人暮らしをしていた頃、仕事帰りの道端で子猫に出会いました。 子猫が突然私の原付バイクの前に飛び出してきたので思わずとまると、原付バイクの下に潜り込みました。 捕まえて顔を見てみると、とてもとても可愛らしい小さな子猫でした。今でも鮮明に覚えているくらい愛らしかった… しばらく辺りを探しましたが親猫は見当たらず、連れて帰ろうかどうしようかしばらく悩みましたがいるかもしれない親猫と離れ離れにしてしまうのは悪いと思い、 元いた草むらの道路から離れた場所まで連れて行きました。 何度かついてこようとしていましたが、振り切って帰ってしまいました。 現在私は地元に戻り、家庭を持ち母親になっています。 随分昔の出来事ですがいまだにふと思い出すのです。 あんな小さな子猫を放って帰ってしまった事、 親猫は見当たらなかったのだから保護してあげるべきだったんじゃないか、 運命のような出会い方をしたのに、救ってあげる運命だったかもしれないのに救えなかった事、 あんな可愛い子猫は見た事がなかった。 無事に生き延びただろうか ふと思い出して悲しくなり、自分を責めてしまいます。 その頃は自分がとても辛い時期であり、救ってほしいと毎日思っていたのにその子猫に対しては救う事をしなかった自分が嫌だなと思います。 子猫に当時の自分を投影しているから今でも救ってあげたいと思うのでしょうか。 しょうがなかったと思うようにしても忘れられません。 ただただ元気に生きていて欲しいです。 ごめんなさい。

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ペットを虐待していたことを後悔しています

初めまして。 早速本題に入りますが、私はペットのうさぎ(便宜上、以降は"うさこ"と表記します)を虐待していました。 うさこが我が家に来た当時、私は学校で嫌がらせを受けていました。 悪口や陰口、ばい菌扱いなど、他愛ないものでしたが、その当時は深く傷ついていました。 そのときの状態を、私の親は「精神的におかしかった」と話しています。 そのときの私にとって、うさこは数少ない私の友人であり、家族といっても過言ではありません。 しかし、そんな支えになってくれるうさこを、衝動的に虐めてしまったのです。 うさこと一緒に遊んでしばらくすると、頭がボーっとして、気づいたら他人がうさこを虐めているのを画面越しに見ているような感覚になっていました。 ここでは詳細は省かせていただきますが、すごく酷いことをしてしまいました。 うさこは今では8歳のおばあちゃんになり、幸い大きな怪我はなく、元気に過ごしております。 今も指をなめたり、頭を撫でてとおねだりしたり、ご飯の時間には私や家族の後ろをとことこついてきます。 人なつこく育ってくれてほっとしたと同時に、このままうさこの近くにいてお世話をしていいのか分からなくなります。 私は今でこそ通院して、大分落ち着いたとは思いますが、行動の節々にまだ残虐性と衝動性が残っていると感じることがあります。 時にはそのときの光景や、その行為でうさこが死んでしまったり、怪我をしていたらという光景をフラッシュバックして、その度に自分を殺したくなります。 そんな人間が、うさこや周りの人間と一緒に生活していいのか、そもそも自分のことを人間であると自覚していいのかと考えてしまいます。 気心の知れた友人には既にこのことを話していますが、「うさこは近くに寄ってきてくれるんでしょ?じゃあ許してくれてるよ、一緒にいてあげなよ」と話してくれます。 ですが、私はもう自分が許せません。 どうしても、うさこは本当は苦しい思いを我慢していて、無理して私の元へやってきてくれるのではないかと考えてしまいます。 精神的にももう限界に近いので、誰かに吐き出して懺悔したくなったのでここに書き込みました。 厳しいお言葉も受けるのは覚悟しております。私はどうすればいいのでしょうか。 長文かつ駄文、失礼致しました。

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野良猫について

近所に怪我をしている野良猫がいました。 保護しようと餌をあげて少しずつ慣れてきてはいましたが、やはり野良なので警戒はしている様でした。 しかし日に日に怪我が膿んで酷くなっていくので早く保護しようと抱っこして連れて行こうとしてしまったんです。 驚かせてしまって私の腕から飛び出してしまったんです。 その時、車がきてしまい猫が車に飛び出す形になり、後ろ足あたりがぶつかったというか、はねられた様になってしまいました。そのまま草むらに走って逃げてしまい、探しましたが見つかりません。 元々怪我が酷かったのに私のせいで車にぶつかるという新たな怪我をさせてしまいました。あの猫はこのまま亡くなってしまうかもしれない。私が殺してしまった様なものです。しばらくは猫を探してみます。 私の早く助けたいという身勝手な気持ちで、あの猫を余計に傷つけてしまいました。 後悔の念が溢れて止まらないのです。 何故もう少し信頼してもらえるまで待てなかったのかと。 あの猫を探すこと、それ以外に私には何かできることはあるでしょうか? あのこがもし見つからずひっそりと亡くなってしまっていたら、私はあのこに何ができるでしょうか?怖がらせてしまい謝りたいです。

有り難し有り難し 13
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老猫の看取りについて

以前、相談をしてお答えを貰った者です、あれから色々ありまして、毎日今この時を大切に共に生きようと楽しく生きてきました。今回は前に相談した家の老猫の話です。 前回、居なくなるのが不安で仕方ないと言っていましたが、あの時はまだ老化が出てきたばかりでジャンプをしたりご飯を食べたりと今思えばまだ元気でした。 先月辺りから食欲もなくなり元気もなくなり眠ってばかりで、病院に連れていき検査をしてもらいました。 膵炎と診断され、高齢猫、16歳なのでいつ最期がくるかはわからない覚悟をしていて下さいと言われました。 膵炎の薬は無いとの事で、対処療法として皮下点滴をしに病院に通っています。 次の血液検査で数値が下がっていればいいのですが、そうでなければ治療が長引きます。 高齢猫にとって病院に行くストレスも物凄いものだと思います。 膵炎は痛みが出ると先生が仰っていました。 猫本人は皮下点滴をすることで少しは痛みも楽になっているみたいで、今はゆっくりゴロゴロしています。 私はこの子と出会って沢山の事を教わりました。 だから最良の選択をしてあげたい。 本音を言えばもっともっと一緒に暮らしたい。 でもここまで一生懸命生きて今苦しんでいるこの子にまだまだ頑張って生きろとはさすがに言えないと思いました。 お坊さんに質問です。 人間でも自然死が尊重されつつあります。動物もそうだと思います。 同じ死を迎えるにあたって、私は自然死が良いと思います、何もせずゆっくりと死に向う方が穏やかな死に方になると聞いたことがあります。 ですが、痛みだけは取ってあげたいと思っています。 でもそれは病院で点滴をしなければなりません。 私が愛猫にしている行為はただのエゴでしょうか。 この子を苦しめているのは病気だけではなく私自身なのではないかと思ってしまい、悩んでいます。 私がしている行為、お坊さん方はどう思われますか? お答えを頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。

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不安で押しつぶされそうです。

以前別のことで相談した時にとても心に響くお言葉を頂いたのでまた相談させて頂きます。 わたしの家は家庭環境が子どもの頃からあまり良くなくて、そんな理由もあり中学の時に不登校になってしまいました。その時に母がわたしの為に犬を飼ってくれました。辛いときも嬉しい時もその子が側にいてくれてわたしの中では家族より大事な存在になっています。そんな子も、もう老犬になり去年心臓病と診断されてしまいました。 まだすぐにどうこうなるという訳ではありませんが毎日毎日、その子がいなくなったらわたしはどうなるんだろう。 お願いだからわたしより先に死なないでほしい、この子より先に亡くなりたい、わたしの寿命を全部あげても良いから先に死なないでって思ってしまいます。裏庭にお稲荷様の祠があってそこで毎日祈っています。 そのぐらい毎日この子がいなくなってしまうことへの不安に押しつぶされそうになっています。 家族にも友達にも職場の人にも誰ひとり心を開くことが出来ないわたしですがその子だけには心が全部開けます。 大事な存在の為に自分の寿命を捧げたいって思う心はいけないことなのか。 お忙しいところ申し訳ありません。良ければ回答お願いします。

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