子ども、子宝?について
夫以外に誰にも相談できない重たい相談です…。
第一子が二年前に産まれ、すぐに皮膚の難病だとわかりました。遺伝病です。
ただ、私や主人の家系には誰一人としてその病気の人はいません。
たまたま、私と主人の遺伝子の悪い物同士が引っ付きあってできてしまったのが第一子です。
運がいいことにこの子は訪問看護の力を借りながらも健常者と同じ生活が送れています。
ただ、これは兄弟(性別かかわらず)でも症状は違うらしく、一生車イス、一生流動食等、生まれてみて育たないことにはわかりません。
そして、遺伝病の為1/4の確率でこの病気になり3/4はこの病気にはならないそうです。
どうしても兄弟をつくってあげたい、やっぱり子どもが好き等で、第二子を望みました。
結果すぐに妊娠しましたが、羊水検査でこの病気、まさかのまた1/4に入ってしまいました…。
この病気だとわかって産む勇気がなく、中絶の道を選びました…。
こんなことはしたくなかったので、子どもを作る前に遺伝子専門の病院に行き、体外受精、着床前診断で判断できないのかと訪ねたところ…倫理的問題が発生するのでできないとのことでした。おかしなことに妊娠→羊水検査→中絶ならばできると…。
3/4にかけましたが、ダメでした…。
せっかく授かった命だったのに…。
こんなことを思いながらも、どうしても兄弟を諦められず、しかしまた1/4に入ってしまったら…。
ほとんどの人が健康な子ども(途中病気や障害、事故らは除いて)を授かるのになんで我が家だけなんで…。
次こそは…。そう考えてしまいます。
体力的、精神的、金銭的に今度の子作りが最後…。
子どもは欲しいけれど、この遺伝病だったら育てられない…作りたいけどまた中絶…。どうしたらいいのかわかりません…。
何度考えても、病気が判明したら育て上げる自信はありません、産めません…。しかし、自分の子どもがもう一人欲しい(もともた、第一子が産まれる前から夫婦とも二人の子どもを希望していました)。わがままなんでしょうか?主人も同じ気持ちです。
悩み事を簡潔に書けなくてすみません…。
お忙しい中読んでいただきありがとうございました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生まれ来たる命に親の善悪のラベルはついていない
禅宗の祖師の一人、達磨大師から3番目の鑑智僧璨カンチ・ソウサンという和尚は重い皮膚病を患っておられました。その事が本人にとっても大問題でしたが、それがきっかけで悟りを開きました。
親にとって、本人にとって、不幸だ不運だと騒ぎを起こすことでも、それがまるで問題とならなくなるということや悟りすら得られるきっかけとなることが実証されているという訳です。
生まれてくる命に親の評価はついていませんよ。(^<^)
倫理上の問題というのはまさに、このことです。
可哀想だ、生まれてくるべきではなかった、一生苦労するであろうから、というのは子供の心の声ではなく親の心の声、厳密にはあなたの声です。
仮に私が難病で生まれてきたにせよ、母親がこんな子に産んでしまってごめんね、あんた不憫な子や、かわいそうに、なんて言われ続けていたら逆にそれこそ苦しみのタネ、親を恨みますね。
そういう親の評価事こそ、子供をいかに苦しめているかを見つめるべきです。
親のネガティブな評価がどれほど子供を苦しめる事か。
私も妻も子供も100%健康優良児というほどではありませんがピンピンしてます。
体の悪い一つのところにスポットライトを当てて、ああ、これがダメだ、ダメだ、といえばただ単にそこが浮かび上がって問題にされる、ということはいくらでもあります。
「人間が問題にする問題というものは、本人が心に問題を起こした時にだけ、問題となり、その問題が忘れ去られている時には問題であっても、心には問題とならない」
※7回 声に出して 意味を熟考しながら 読んでみてください。
ホモ・サピエンスの生存戦略
えりぃ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
まず下記問いの拙回答をご参照下さいませ。
問い「子供の産めない女性」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002973768.html
病気や障がいの有無に拘らず、私たちは本当に儚く弱い存在でございます。でも、私たち人間は、互いに支え合い、助け合い、分かち合うことにより、「種」の保存に成功して参りました。
そこで、最近注目のYahoo!知恵袋の問答をご紹介させて頂きます。是非、ご参考にして下さい。
「弱者を抹殺する。 不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思い...」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463546664
ベストアンサーから抜粋・・
『・・「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ。あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です。遺伝子によって発現されるどういう"形質"が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です。例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれません。だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです。・・中略・・アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね。ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです。その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです。だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです。「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです。我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです。・・』
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
子ども?子宝で質問した者です。
仏の世界にも重たい病気を持っておられた方がいらっしゃったなんて、驚きました。
確かに第一子は、病気だと知らずに生んでいるので特にラベルをはったりだとかはありません。可愛そうなことをした、可愛そう。と思ったことはありません。
嫌な目に合ったり、なんで自分だけ?と思ったりすることは生きていく中であるだろうけれど、そんなことで心折れるな!頑張れ!と思ってました。
しかし、二人目が産む前から病気だとわかり…第一子とは違う感情が沸きました。
それが、前回投稿したものです。
そのラベル貼ってたんですね。可愛そうウンヌン…。
第一子と同じ気持ちでいたのなら良かったですよね…。
もっと早くにこのサイトを見つけていたのなら…。
悔やみきれません…。悔やんだところであの子が帰ってくるわけはないのですが…。本当に申し訳ないことをしてしまいました。
最後のお言葉心に響きました。本当にその通りですよね。
心にしみました。心の支えの言葉として今後も残しておきたいお言葉です。