お節介で嫌われる自分に嫌気がさして、生きるのが苦しいです。
両親、きょうだい、大叔母、今までお節介をやいては嫌われて、恩着せがましいだとか、お前の世話になんかなった覚えなどないだとか、色々辛く当たられ、もう自分に嫌気がさしています。
こんなにも皆に嫌われるなら、誰にも知られないような土地にでも住んで1人で生きていけば良かったと思っています。
毎日が虚しいです。
苦しいです。
惨めで悔しいです。
毎朝散歩をしていると、このまま遠くに行かなくてはと考えます。
前向きな気持ちになるにはどのような心構えに努めたら良いのでしょうか。
ご教授ください。
お節介ばかりやいてしまい、嫌がられ疎まれてしまう。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お節介。どうせ焼くなら自分に
お節介…意識してお節介されていたのですか?
お節介を辞書で引くと『出しゃばって世話を焼くこと。不必要に人の事にたちいること』
うぅむ、確かに肩が凝ってない人に肩もみしてあげても喜ばれません。
凝っている人が「揉んでくれ」と言って揉んであげると喜ばれます。
なら、他人に対しては頼られるまでアクションしないようにしたほうが懸命ですね。
性格的にお節介焼きならば、自分にお節介を焼いてみてはどうですか?
お釈迦さま的には前向きな気持ちになるには「八正道」です。
八正道的な自分へのお節介…
正見・ほら、ちゃんと見て。その見方であってる?他の見方ない?
正思・そんな考え方してていいの?不幸にならない?
正語・相手の気持ち考えてしゃべってる?
正業・その行動は本当に自分がしたかったこと?
正命・それ、相手のためになってる?自己満足じゃない?
正精進・そうすることによって得るものあった?
正念・いま自分がどう思っているか、ちゃんと考えて!
正定・落ち着いてできてる?パニックになってない?
まぁ私なりのか~なりな意訳です。
「正」は「一度止まる」と書きます。
自分へのお節介とは、何かをする前に一度止まってから考えようということです。
遠くに逃げるより、嫌われる自分を変えるほうが近道かもしれませんよ?
質問者からのお礼
はじめまして。
私がまだ寝ているような時間帯に、このような有難い教えを戴けて、本当に感謝しています。
確かに、頼んでもいないのに肩を揉まれても、嬉しく感じません。
私のやっていたことは、当にその通りだったと思います。
目が覚めました。
八正道をここまで分かりやすく示して戴けて、有難うございます。
相談して良かったです。
これからも仏の教えに沿うような生き方をしていきたいと思います。
本当に有難うございました。