他の宗派が羨ましいと思ったことありますか?
ぶっちゃけ寺というテレビ番組に5人のお坊さんが出てて、他の宗派が羨ましいと思ったことありますか?という質問があってお坊さん全員があると答えてて面白かったのですが、やっぱり羨ましいと思うときありますか?
気合がはいらない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そこをいきる
最近感じる事ですが、他の宗派の教えを学んでいたとしても、きっとその中でも自分が納得する心の在り方を学んでいたのではないかと思います。
その気持ち、底抜けな菩提心がありさえすれば、宗派とわず、自分の心を最高に安心させて幸せに導く原動力になるからです。菩提心が先であって、宗派云々はあとからのような気がいたします。(^<^)
ちなみに曹洞宗僧侶はぶっちゃけあまり宗派意識が無い宗派と言えます。
道元禅師が❝曹洞❞とか❝禅宗❞などと宗派めいたことをも標榜するべきではない、と示されているくらいですし、本山に行った時も、一体どこに曹洞宗の中核、中心があるのかと探しましたが、私は見つけられませんでした。(笑) それで良かった、それが良かったのであろうと思います。
今日本の仏教もみなそういう精神があるから、このhasunohaのように和合、融合できているのであると感じます。
誰それの教えが最高で、それ以外はまがいもんである、みたいな姿勢だと宗派と宗派で争いになっちゃいますによって、難しく考えることを止めて宗派の違いをラーメンの違いみたく考えれば問題なく互いに尊重できます。
おまけ
「当方、魚介系つけめん宗、平打ち太麺派でござる。」
「当方、とんこつ宗、極細ストレート麺派にござる。尊侯の宗派では最近スープがよく絡む太麺で縮れ麺派も出てきましたそうですな。」
「イヤイヤ、アレは邪道です。あっという間にスープが無くなってしまうので開祖様は禁じています。」
「何を言うか、そもそもつけ麺自体が邪道でござろう!通常ラーメンであれば一食150gの麺で済むところを、200g、400gとは!さらには特盛で大般若経600巻もびっくりの600gとは笑止!この寒い時期にはスープが冷めてしまうではないかっ!」
「何を言うかっ!替え玉とてそれは同じでござろう!10玉もお代わりをすればスープがそこを尽きてしまうではないか!」
「無論上客へのスープのお代りはサービスでござる!」
「それはこちらとて同じこと!当方、さらにはスープ割りもお出ししてござる!」
「なにをいうか!」
のように争わずラーメンはどれであっても❝美味い❞が一番。
宗派も❝いいねぇ❞が一番。どこに所属していても❝いいねぇ❞は作れるし、互いに❝いいねぇ❞とリスペクトしあえる関係がベストです。
ぶっちゃけ、あります。
でも、それは「隣の芝生が青く見える」類なのだろうと思います。大抵は自分の宗門のやり方に対す不満であったりして、他の教義の方が良いとは思いません。本当に他の宗旨宗派が良いと思えば、改宗せずにはいられないでしょう。
私は寺の生まれ育ちではなく、御縁あって今のお寺に入りましたが、この宗派で良かったと心底思っています。
国籍と同じ感覚
私は生まれ育ちも寺だったので、主体的に選択して宗派を選んだわけではないですが、尊敬しても羨むことはあまりないです。
感覚は国籍と一緒で、日本人として生まれたことに誇りを持ち、他国の文化や意思を尊重しながら生きているイメージです。
もちろん、アメリカに行けば格好いいなぁ、すごいなぁ、と思うこともありますが、だからと言って日本ダメだ!
とはなりません。
他国に行けば日本の素晴らしさも悪いところも見えます。
勿論、他国に魅了されて国籍を変える方もいらっしゃいますし、それはそれで良いと思います。
僧侶としても、宗派としても、自分がそこに生まれたことに縁起と使命を感じ誇りを持ちながら全うしたいと思っています。