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大切な命を失いました。

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わたしは今年の3月死産を経験しました。7ヶ月に入ったばかりで男の子でした。とても二人目が欲しくて欲しくてやっとできた子でした。

しかしあるとき息子は生きるのをやめました。毎日が真っ暗で生きるのがやっとです。自死も考えました。

時がたち、仕事を始めました。主人と娘に支えられなんとか過ごしてます。

一番苦しいのはほかの妊婦をみるのが辛く憎しみまで湧いてきます。みんな死産すればいい、不幸になれ!って思うのです。なんで他の人はちゃんと産めてわたしは死産したの?なぜ息子はしんでしまったの?と毎日思い、答えが見つかりません。

いつまで暗闇の地面を這いつくばり、他人を憎み、他人の不幸をほくそ笑む私でいるのでしょうか。
家族以外の人を信用できないし、関わりたくないです。
けど、わたしはこんな自分が本当に嫌いです。本当のわたしとは違う。

毎日毎日涙を流し息子のことを考えます。

わたしはこれからどう生きていけばいいのでしょうか。

わかり辛い文ですみません。ご回答をお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

光り輝く七ヶ月!

しょうゆママさん、はじめまして。

とてもつらい思いをなさっているとの事、何かお力になれればと思います。

命は思い通りに成らないものだということは、誰でも知っている事ですが、死が親しい人、お腹の中の我が子に訪れたとき、大きなショックを受けることは当然でしょう。
親しい人の死は、心を形作っていたダムが決壊した様なものなので、心に大きな混乱をもたらし、苦しんでいる自分と他人とを比べて、人を憎んだり、それがかえって自分を憎んだり、場合によっては亡くなった方を憎んだりする事は、良くあることです。しょうゆママさんだけではないので、この事で自分を悪く思う事はありません。

問題は、七ヶ月の息子さんの死を、しょうゆママさんが、どう受け止めるかです。死をどう受け止めるかは、イコール、命そのものをどう受け止めるかといこ事でもあります。

息子さんの七ヶ月の命、しょうゆママさんはどの様に受け止めますか?悲しい七ヶ月ですか?素晴らしい七ヶ月ですか?息子さんにとって、しょうゆママさんだけがこの世で対話した方なので、是非、息子さんの七ヶ月を豊かに受け止めてあげて下さい。

「私はこんな自分が本当に嫌いです。」という言葉は、息子さんとしょうゆママさんとの対話の結果だと思います。息子さんと七ヶ月という時間を共にしたから、自分の心の不確かさに気付かれました。そして、その心を解決しようと、hasunohaに相談なさいました。大きな一歩踏み出されたと思います。
しょうゆママさんが、息子さんとの七ヶ月を通して、気づきを深め、より豊かな人生を送ることで、息子さんの命も死も、素晴らしい意味を持つこととなります。

阿弥陀如来は、一切の者を等しく救う仏様です。100歳で大往生した人の死も、七ヶ月の子の死も、阿弥陀様にとっては、等しい死で、仏様に成るという尊い死です。そのことはイコール、この上なく尊い七ヶ月を生き抜かれたという事です。阿弥陀様やご先祖様は、息子さんの人生を、光輝く尊い七ヶ月と見て、そのことをしょうゆママさんに伝えようとなさっています。仏様が金ぴかなのは、そういう意味があるのです。

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45歳 独身 銭湯通い 浄土真宗の僧侶だけど、「中観派です」って言って...
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水子供養

しょうゆママ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度は、誠につらく苦しい心の内を正直に明かして頂きまして、誠にありがとうございます。

人間、不幸に陥りますと、全てが不幸になれば良いのにと思ってしまうものでもございます。お恥ずかしいことながら、正直、拙生もそう思ってしまう時期がございました。

しかし、それは逆も言えるのではないかとは存じます。幸せに満ちると、皆もどうか幸せになれますようにと思えることになるのではないかと存じております。

もちろん、仏教が目指すのは後者となりますが、その幸せも世俗的な幸せではなくて、真理の悟りによる幸せとなります。

「こんな自分が本当に嫌い、本当のわたしとはちがう」とおっしゃられておりますように、醜い自分に対して自己嫌悪に陥られて、そのことに慚愧なされておられます。まず、それが変わるための大切な第一歩となります。息子さんのことを御供養して頂きながら、あれこれと後ろばかりを振り返らずに、少しずつでも前を向いて頂けましたら有り難くに存じております

水子供養につきましては、これまでにも下記の各問いにてお答えさせて頂いております。是非、御供養のご参照にして下さいませ。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_323269.html

『・・この世は縁によりて成り立っている縁起なる世界・・縁が調わなければ難しいことはいくらでもございます・・その子は僅か数日の命だったかもしれませんが、確かに二人の子どもとしてこの世に現れてくれたことは紛れもない事実です。それは何か大切なことを気づかせに来てくれたのだとお考え下さいませ。もちろんまだまだ難しいことかもしれませんが、拙生はやがてそのように思うことができ、有り難くに感謝致して、水子ご供養を申し上げて、乗り越えていくことができました。その気づきはもちろんそれぞれで異なるでしょうが、真摯に「いのち」と向き合うことによって得るものは、それぞれ大きいのではないかと存じております。・・』

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。

わたしは息子がお腹にきてからずっと不安な毎日でした。
ちゃんと産まれるだろうかと心配な7ヶ月でした。そんななか、男の子とわかった日はとっても幸せだったことは覚えてます。

しかし、ある日、ふとこの子を産んではいけないのではないか。という思いが生じました。結果こうなることをどこかで予測していたのかもしれません。
不安すぎて、お腹の子に話しかけたりなでたりしたらいなくなってしまうような気がして、話しかけたりなでたりしませんでした。今となっては後悔しかありません。果たして息子はこんな母を嫌になったのでは?だから生きるのをやめたのでは。と思います。
息子の死は到底受け入れることはできません。しかし、息子は確かにわたしの中にいました。
まだまだ心が混乱しているので息子の7ヶ月をどう受けとめるべきかわかりません。今は息子の幸せだけを祈る毎日です。

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