この状況を変えたい。
私は現在、何かを楽しんだり、心から笑ったりできません。常に悲しい顔をしている様な気がします。
そうなったきっかけは、結婚を約束していた彼氏に裏切られ、しかもその後すぐ仕事は人事異動があって、自分に合わない部署に行きました。ダブルで環境が変わったのです。もう数年前のことですが...
合わない部署では、鬱のようになってしまい、結局元の部署に戻してもらいました。
元の部署に戻ってからは、自分が廃人になっている事に気付き、メイクはしっかりやろうと思うようになりましたが、それ以外何も興味が湧かないのです。以前好きだったもの(趣味とか)にも手を出さなくなりました。
何も話してはいませんが、上司やお局様は私のことをよく見ていて、よく心配されます。
こんな自分の人生がつまらなくて、存在自体消えてしまいたいと思ったりします。
長くなりましたが、この状況から抜け出したいです。でも、どうしたら良いか分からないのです。何かアドレスを頂けたら嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
四諦:苦集滅道
瑠璃様はじめまして、ご相談拝見しました。
四諦:お釈迦様が明らかにされた四つの真理があります。
苦諦:人生は苦であり思い通りにならない。
集諦:苦には原因があり、その原因の根本は無明である。苦の原因を集めているのは誰か。
滅諦:苦は滅することができる。
道諦:苦を滅するための道がある。
瑠璃様の苦しみの原因は何でしょうか。大切な方とのお別れでしょうか?合わない部署での就労でしょうか?どちらも大変お辛いことと存じます。特に大切な方とのお別れは心中お察しするに余りあります。
しかしお釈迦さまは苦の原因は無明であると説きます。無明とは真理に暗いこと。真理とは諸行無常、この世の中に永久に変わらないものは何もないということです。この事実に目覚めていない状態を無明であると言います。
人は縁によってくっついたり離れたりします。この人と一緒にいたいという思いも無常です。たとえ生涯連れ添ってもやがてはいのち尽きます。
では縁によって結果が決まってしまうなら何をしても無駄でしょうか?
そうではありません。そもそも原因がないと結果は生まれません。縁によって結果は変わりますが、思いを叶えるために原因を作り出そうと努めることはできます。
この思いを叶えたいという歩みは希望であり、生きがいとなります。結果はお陰様の世界、つまり縁次第で如何とも変わりますが、その尊い歩みの中ではもはや結果はさほど問われません。
歩みの一瞬一瞬のいまが尊く輝くのです。
今、瑠璃様は現在の苦しみをどうにかしたいと道を求められました。その一歩は大きな一歩であり、瑠璃様の人生を意味で満たすための尊い歩みとなるでしょう。
お釈迦さまは苦を滅するための道を八正道として説かれました。正しい見方、考え、行動、生活、努力…等です。
瑠璃様の苦しみの原因は何か、それは思い通りになるものなのか、ならないならどうすべきか、自分はどうしたいのか。自分で自分を苦しめていないか。既に消えた苦しみを自分でいまだに作り出していないか。
日々の生活を大切にしながら見つめていただければと存じます。ささいなことを楽しめたり、心から笑える日々が戻ることを念じております。
質問者からのお礼
このような相談にも、回答していただきありがとうございます。
確かに、自分で自分を苦しめるようなことをしていたかもしれません。
少し自分を見つめ直してみたいと思います。