兄が亡くなりました。
2月に兄が意識を取り戻す事なく急死しました。脳卒中で身体の不自由な母を残して、母は、兄と暮らした自宅に帰りたくないとホームにいます。幸い心優しい孫達が母を元気付けてくれてます。
只、父も50代で亡くした私達にとってはなんと無情なんだろうと思えなりません。
私達兄弟は、各自に病気に気がついてあげることが出来なかった事に後悔しています。
母の介護費用も出してくれていた兄が亡くなりこの世の神も仏もいないと思えてなりません。
また離婚している私達親子にとっては一番頼りになる存在でした。意識が戻る事なく亡くなった兄は今どこにいるのでしょうか?会いたいです。長文また支離滅裂ですいません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
無量寿
お兄様への御敬弔と御家族みなさまのお悔やみを申し上げます。
わたしたちは、明日がどのようになるかを知る事はできません。
明日どころか、この一呼吸を終えたあとに、突然に死を迎えることも
ある。
明日とは、「死の世界」です。
おにいさまのみならず、すべてのひとたちが行く世界です。
わたしたちも同じです。
どこに行ったのかと問われれば、わたしは「明日の世界」だと答えます。
わたしたちは願います。
「明日は晴れてほしい」「いい日であります様に」「すてきな明日になるように」
と。
この祈りはだからこそ「明日がいい一日であるために今日を懸命にいきる」
「素敵な明日になるために、今日できることをする」
という道を開いていくことでもあります。
お兄様はわたしたちもいずれ行く「明日の世界」に行きました。
そこは、多くのひとたちの「願い・祈り」によって、輝いている世界です。
仏教ではその世界を「無量寿」と言っています。
「無量」は限りないこと。「寿」は、いのちながしと言います。
いのちの長きことは、幸いであるという
古来の人々の願いからうまれた言葉です。
つまり、「限りない、いのちの幸いを願う世界」だということです。
そこは、古来の人々の祈りの世界であり、そこに行ったものたちが
いまを生きているものたちに「さちあれ。さちあれ」と、限りなく願う
世界です。
お兄様は、その無量寿の世界にいます。
あなた方に「さちあれ。さちあれ」と限りない願いを祈り続ける世界です。
あなたもまたお兄様に「やすらかであれ」と願ったはずです。
ならばお兄様は間違いなく、「無量寿」にいるのです。
そしてそこは、いずれみな行く世界です。いつか必ず、逢えると信じ、
いまを懸命に歩む先に、お兄様はおられます。
そのためには、いまを生きているすべてのいのちの「幸い」を祈り、
そしていつか、再び出会う事を信じて、「今日」を生きていくことです。
あなた様や御家族皆様が、お兄様のいのりにつつまれ、やすらかで
ありますことを、祈ります。
さちあれ。さちあれ。合掌
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。兄は、独身で甥や姪達を、とても可愛がってくれました。
明日の世界で私達家族を見守ってくれているのですね。私達も明日の世界に行く日まで、母を大事にし、また今日を大事して明日の日を迎えられる人生を送りたいと思います。
心優しいお言葉ありがとうございます。