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どうしようもないクズな自分を殺したい

回答数回答 2
有り難し有り難し 153

よろしくお願い致します。

わたしは社会的能力的には下の方の人間です。
なのにプライドがすごく高いです。
子供の頃から物凄い負けず嫌いだったらしく、そのためちょっとした対人ゲーム(オセロなど)すら避ける子供だったそうです。

高校の頃、何となく個人競技の運動部に入りました。
苦手でした。同級生と同じ練習をしても1人だけ上手になれず、だからと言って居残って練習などといった努力もしませんでした。
結果「才能無いけど気にしてないキャラ」
上達も試合での勝利も目指さず、ダラダラと部活をしていました。引退試合までそんな感じでした。
真剣にやっても出来ないという悔しさが怖かったんだと思います。無能を思い知りたくなかったんです。

頑張っても届かないぶどうを、心のどこかで「本気で頑張ったら取れるんじゃないか」と希望を捨てきれずに、口では「酸っぱいぶどうに違いない」と言いながら、本気を出して取ろうとしませんでした。
「酸っぱいぶどうに違いない」と言い続けて、周囲にそんなポーズを取り続けてるうちに、本当にそう思ってしまう様になりました。
もう自分が何を好きなのか、何を欲してるのかわからないです。
何か欲しても次の瞬間にもう欲しくなくなってしまうのです。

自分は見下されて当然の癖して、他人から少しでも見下されたり、嘲笑されたり、利用されるのが堪らないんだと思います。
最近それが私の行動原理になってきてしまっています。

自意識過剰で保身主義、弱い癖に見栄っ張りで人の気持ちを思いやれません。何かを望む癖に頑張れません。
オンリーワンに憧れる癖に、主流から外れるのを避けます。流れから外れて1人になれば、意志の弱さに挫折して、二度と起き上がれなくなると思うんです。

これを書いてる今でも、どこまでが本心でどこからが自分を良く見せる言葉なのか解らないのです。

どうしたら変われますか?
どうしたら本当の自分と向き合えるんでしょうか?

いつも誰かに殺してほしいと願っています。
大袈裟に書きましたが肉体的でなく精神的な死です。
私はとてもしぶといのです。
前記の通り、失敗や自己否定をしても、瞬時に心の中で都合のいい様に言い訳を作ったり、又は自虐のポーズをとって同情を求めたりしてしまうのです。

今まで何度も生まれ変わろうと思ってきました。
それでも気付いたら前と同じ様な考えをするのです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分を育て変えるという試み、やってみて。(字数ギリギリ)

 負けず嫌いの故に対人ゲームを避けたというのは、つまり負けることを恐れていたということです。勝ち負けにこだわっていたんですね。ゲームに勝つか負けるかで人の優劣はつかないと思いますよ。ゲームしながら、そのやり取りを楽しむという思考がいいのではないでしょうか。勝ち負けにこだわるのであれば、勝ちをとりに行くことだけを考え、負けても、勝ちを目指して勝負をし続けるといいと思います。勝つための思考を身につけることです。
 真剣にやっても出来ないのが悔しいというのは、多分、結果を拙速に求めているからなのでしょう。真剣にやり続けることが結果に繋がると思います。それには、根気、根性がいると思います。努力をしなければ報われないと思います。スポーツも勉強も積み重ねで身につくものです。
 私は、スポーツも勉強も役に立つように身につけるのが一番と思います。自分の身体能力向上のため、社会生活の情報ツールとしての勉強。これらは、自分の能力を魅せるためではなく、自分自身の生き方向上のために身に付けるものだと思っています。
 自意識過剰で保身主義〜何かを望む癖に頑張れません。 と、まとめて書いてられるのは、自分のことを客観視できているのだと思います。あとは、消去法でそれらの問題を解決もしくは、緩和していくだけでいいのではないでしょうか。その努力を惜しめば多分そのままですよ。気づいた今がチャンスです。
 努力をしましょう。継続しましょう。それらはあなたにいい結果を招きます。そして、なによりもあなたの「恐れ」をなくしてくれると思います。あなたの勘定は、得られないのであればやるだけ無駄だという、チャレンジのない損得勘定です。ものごとを生み出さない思考です。チャンスもつかめません。努力と、継続で引き寄せる力を育んでみてください。そして、あなた自身を信じることです。そうすることをお薦めします。あなたはあなたにとってのオンリーワンです。そして、そのしぶとさ、執着は、あなたを「恐れ」から解き放つ力をつけるために実行する努力と継続に適用してみてくださいよ。きっと、よくなります。生まれ変わるのではなく、自分自身を育て変えてください。甘いぶどうを期待をするのではなく、無心にやってみてください。駄目もとでやってみることです。酸っぱかったら、また別の甘いぶどうを求めるんです。そこがあなたのしぶとさの使い道です。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
相互礼拝 相互供養
対応できる時間帯は19時から22時です。資格は高野山真言宗阿闍梨(教師)、普通運転免許、防災管理者、英検準1級。

はなこさま

くずな自分、下の方の自分と書かれたところから、自分に価値を見いだせない、
それを認めるのがつらい、人に価値のない人と知られたくない、思われたく
ない、そんな気持ちがもとにあるのかなと感じました。
「どうしたら変われますか?
どうしたら本当の自分と向き合えるんでしょうか?」
自分の奥に在る気持ちを明確にし、受け止めること、
そして、ご自分に価値を見出すことだと思います。
たとえばオリンピックで金メダルをとったということ、素晴らしい事だと
思います。でもその名誉は属性です。地位も学歴も美しい容姿も、
知能、身体的能力も。みんな属性でそのひとそのものではありません。
属性の価値は価値として在ります。それがその人の価値と思うのは
もちろん構いません。
でももっと本質的な価値があると思います。「ただ在る」「ただ存在する」
それだけで価値そのもの。その人が何を持っていようが、いまいが、
その人自身に初めから備わっている価値に気づくこと、それが仏教と
わたしは思っています。尊さと言う事です。
意味づけ、価値の序列、これはこうであるという固定感念、決めつけなど
そうしたことを一切離れて、ただただ目の前のことを勤めきって行くこと、
そうしていくなかで自分の価値、自分の本当の姿、いのちの質を感じ
取って行くという道があります。
そうゆう方向があるということ、お伝えしたいとおもいました。

「どうすれば心からの反省ができるのでしょうか」
失敗を失敗と認められれば、失敗と自分の価値を結びつけなければ、
失敗によって自分の価値が損なわれるものではないとわかれば、
或いは、失敗しようがしまいが、自分に価値があると思えるようになれば。
ではないかと思います。
自分が尊いということがわかると一緒に、周りの他の人も同じように
尊いということがわかります。そうすると自然に反省したり、謝ったり
することができるのではないかと思います。

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有り難し
おきもち

地方の小さい町の小さいお寺の住職をしていました。

質問者からのお礼

お忙しい中、こんな愚痴まがいの質問に答えて下さりありがとうございます。
仰る通り、結果だけを求めて過程を蔑ろにしておりました。私はあんなに頑張ったのに駄目だった、元から意味なんてなかったという状況を心から恐れています。
これからは、今取り組むべきことに、粘り強く集中して努力し続けようと思います。
もっと頑張れよ!と言ってくださる方を求めておりました。本当に有難うございます。

更に図々しいお願いで申し訳無いのですが、以下、もしお目に止まって、お時間がございましたら教えてほしい事がございます。

子供の頃の負けず嫌いは、私が覚えてもいない様な幼少時からなのです。今は娯楽のゲームを避けるまでの事はしないものの、中身のないプライドや失敗を恐れる、という本質的にその傾向が残っているのではと思い、この例を挙げました。
母から話を聞いたときに、純粋であるべき幼児なのに、あまりの醜さに愕然としました。幼少時の性質というのは一生変えられないのでしょうか?

また、誤解を生む書き方をしてしまって申し訳ありません。「しぶとい」というのは、私の腐った中身の無いプライドが、しぶといのです。
私自身はこらえ性のない弱虫です。

プライドが高い人が失敗をすると、「プライドが傷付いた!」とショックを受けて、落ち込み、挽回しようとしますよね?
私の場合、失敗しても前記質問の通り、失敗を見て見ぬ振りしようとしてしまうのです。プライド、自分の傷つく事から守るために。
そしてそれはすべて無意識下で反射的にやってしまうのです。もう癖になっているんです。
どうすれば心からの反省ができるのでしょうか。

※前記お礼→卓阿様

法演様
お忙しい中、回答、またお礼コメントの方にまで目を通して下さり、有難うございます。

今まで、私の腐った自分や肥大したプライドは、誰かに罵って叱って破壊して頂くしかないと思っておりました。

「存在自体に価値がある」という言葉、法演様のくださった回答には強い衝撃を受けました。

「尊い」という概念を初めて知りました。
(確かに、私の周りの優しい人達を思い返してみると、彼等はこれを理解している様な言動をとっていた気がします。
皆んな自然にそう思えていくのでしょうか。)
この歳になってようやく気づかされ、また、私の長年の苦しみの原因をやっと垣間見る事が出来た気がします。

「何かにおいて周りより秀でた自分」という「属性」にしか自分の価値を認めず、相対的に周りに劣ることを価値の喪失と考えて恐れていたと同時に、
わたしは「何かにおいて自分より劣った他人」を見下していたんだと気付きました。
見返すと、質問の「私は…下の方の人間です。」からも、謙虚なフリをした、この醜い姿勢が表れていました。

私に指針を示してくださり、本当に有難うございます。
この言葉をいつも振り返り胸に留めながら、私の周りの全てに対して誠実に努力し勤めていきたいと思います。

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