高齢者の憂鬱
ケアハウスに住んでいる義母(97歳)は、耳が遠い、膝が少し痛い等はありますが要支援2で、食事以外の身の回りのことは全てやっています。
先日までは100歳までがんばる❗と言ってましたが、最近、早くお迎えに来て欲しいが身体がどこも悪いところがないと泣きながら訴えてきました。
自分と同じ年代の方が亡くなったり寝たきりで別の施設に移ったり等あり、話せる人がいなくなったようです。
身体は元気なのに生きる気力みたいなものが日に日に無くなっているようで、体調が悪くないのに食事も取らないことがあるようです。どう声かけしてよいか、わかりません。
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貴重なお話なのでしょうね。
こんにちは。お義母さんは「早くお迎えに来て欲しいが身体がどこも悪いところがない」、それが辛いのですね。恐らく直前までは「健康第一よね!」と仰っていただろうに。
拝読して、まことこの世は万事辛いのだ、万事思い通りにならないのだと思いましたね。
定期的に面会にいらしているのでしょうか?であれば、私からの提案は「自分史を語って頂く」のはどうかな、と思います。小学生からとしても約90年、まさに日本の歴史と共に生きてこられたのでしょう?戦争も体験されたはず。夢中で生きてきて、彼女なりの波瀾万丈あって、今に至る。プロフィールで拝見したようなご主人をお育てになった方であれば、きっと人生の先輩として聞くべき所はあるはずと思います。叶うことなら、貴女がそれを遺産として引き継いでいただく訳には参りませんか?
一つ付け足しですが、「お迎えに来て欲しい」、これを坊さんの前でなく、ご家族の前で仰るのですね。生きているよりも「お迎えに来て」。死ではないのですね、「お迎え」。その言葉を聞かせて戴き、ありがとうございます。
的外れかも知れませんが、拝読した限りで考えさせて戴きました。
質問者からのお礼
ありがたいお話ありがとうございます。
最近は、主人の還暦祝いにぜひ来てくださいとか、私の両親の分まで長生きして欲しいとか、これからのことばかり話していました。
今まで、激動の人生(ほんとにいろいろあったようです)を歩いてきたことは、主人から聞いていたので、本人ともぜひ話をして義母の歴史を振り返ってみたいと思います。