縁
何回も、投稿しています。
アドバイスをいただいています、ありがとうございます。
縁について。
私は性格上、老若男女問わず、初めての方とお話しすることにあまり抵抗がありません。
というのは、周りから言われることがこうなんです。
「いつも自然にいる感じ。すっと馴染んでいる」と。
だから、縁ができやすいんだと言われます。
自分自身が「一期一会で、二度と目の前の人と会えないかもしれない」と思い、その出会いを大切にする。その一期一会を大切にしています。
そのおかげで、古くからの友人・新しい人の出会い・hasunohaの出会いという縁に恵まれています。
普段から、それらの縁を大切にしていかないといけないと思いますが、どう心がけていますか?以前、相談したときに聞きましたが。
今回はもっと詳しくうかがいたいと思い、投稿しました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
尊いことだと思います
むつ様はじめまして。素敵な心がけですね。
『「一期一会で、二度と目の前の人と会えないかもしれない」と思い、その出会いを大切にする。その一期一会を大切にしています。』
中々できることではありません。
私はむつ様と違い、初めての方とお話しすることが苦手かもしれません。これはずっと自分がシャイだからだと思ってきたのですが、最近そうではないと思うことがありました。
話しかけることは苦手ですが、話していただいたり、なんらかのきっかけでこちらから話しかけることが出来た時に普通にお話しできている自分に気が付いたのです。
つまり、話そうと思ったら話せるのに話そうとしていない、私は自分以外の他人に興味をもっていないのだなと気づいたのです。
話しかけずに外から様子をみて勝手にこの人はこんな人だな、と決めつける。まあ話すまでもないかと見下している自分がいることが恥ずかしくなりました。
実際はそうではないですね。話してみないと、交わってみないとその人のことなどわかりません。自分が決めつけていたものを打ち破る大きな世界が関係をもつ中にあるのだと思います。
ご縁を大切にしないといけないとか、大切にした方がよりいいとか、そう断言するようなことではないのですが、むつ様が現に今そうできていることは大変尊い事かと存じます。
見習いたいものです。
さらにもう一歩踏み込むなら、本当に全てのご縁を大切にしているのか。分別で選択してはいないか(選択がダメというわけではありません。)考えてみる。
大切にしているようで、大切にできていない自分もいるのでは?ということに目覚めさせていただくことも尊いことかもしれません。
質問者からのお礼
吉武文法様
回答をいただき、ありがとうございました。
「大切にしているようで、大切にできていない自分に目覚めてさせていただくのも尊いことかもしれません」の一言に、今までの自分・今の自分がどうだったか?振り返ろうと思います
実は、私も初めて話す人には「こういう人なんや」と決めつけてしまいます。だから吉武様のご回答を読んで、考えたいです