うつ病再発しそうです。
夫婦で自営業を営んでおります。
主人は経営者なので忙しい時は仕事をしますが、ほとんど携帯いじりしたり、「店に居ると働かなくちゃ行けないから」と、釣りに出かけてお店は私や従業員に丸投げ状態です。
それなのに、私のお給料は従業員の方々の半分しかもらえず、それには理解できずに主人に説明を求めましたが、「給料の他に支払いとか、色々かかるんだから、経営者の嫁には我慢してもらわないと」と言われました。
まだ小さい子供がおります。無理矢理幼稚園に預けて私は働いています。休みも就業時間も従業員と同じです。主人より働いて主人の取り分の3分の1以下、従業員の半分以下、アルバイト位のお給料しかもらえません。
子供に無理矢理幼稚園に行かせてこの給料、
こんなに働いてこの給料、
主人は働かないのに私の3倍以上の給料…
納得がいかず、仕事する気も、無理矢理嫌がる幼稚園に毎朝送り出すのも、なんだか主人が得する為に利用されてるだけに感じ毎日が砂のように感じ、やる気がなくなりつつあります。
話し合いましたが、通じず、終いには子供に、「ママはカネカネって嫌だねぇ」と子供に言わせる主人…。
経営者の嫁だからと一生このお給料しか貰えないなら他で働きたいと言いましたが許されません。
私がいやらしいのが苦しみですか?私に経営者の嫁としての弁えが足りないのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
引きずらない。
まずはひとつひとつ、わたしが気になったところを。
「無理やり幼稚園に」
お子さんへのご対応が、すべてこの「無理やり」に
なってはいませんか。
「無理やりごはん」「無理やりトイレ」「無理やり外遊び」
「無理やりごっこ遊び」
だれに対しての無理やりかを思うと、
子どもが、ではなく、あなたが「無理やり」お子さんに
付き合っているように思えるのです。
恐れながらわたしも幼稚園のご縁があってよくうかがいます。
泣きながら幼稚園へくる子が、親御さんとはなれて着替えを
すますとすぐに泣き止み、園庭へ駆け出す姿がどの子にも
見えます。
引きずらないんですね。
この「引きずらない」ことは、とっても大事な事です。
きっと、あなたのお子さんも、時折そのような姿をあなたに
お見せしていると思います。
いつまでも幼稚園のなかで子どもが泣いていると思っているのは
「あなたのこころ」のなかだけなのです。
ずっとずっと園室でも泣いているのですか?
きっとそんなお子さんではないと思います。
わたしはすべて「引きずるか、引きずらないか」がキーワードに
なっているのではないだろうかと思います。
旦那様のことも、給料だけが認知の度合いにしておられる事と
思います。増やす増やさないは、ここで語るものではありませんし、
ふやすべきだという安易な同意はかえってあなたを傷つけるものです。
苦しい所というものを引きずっていきたいか、
前に進みたいかはあなた次第と思いますが、
前に進むのであれば、給料のことや旦那様そのものを引きずらず、
いま目の前の務め、例えば接客などがあれば、目の前のお客様に
向かい合って、そこに一心になることが大事ではないかと思います。
「つとめ励み続けるものは、こころに苦しみの生まれる土台もない」
上は法句経にあるお釈迦様の言葉を、わたしなりに要約した言葉です。
見えない給料の増額にこころを傷つけるよりも、いま目の前の事に
こころを傾け、そのなかで得られるお客さんからの「ありがとう」の
言葉の嬉しさ、よろこびを噛みしめていくことの方が、
わたしは素敵ではないかなと思うのです。
あなたにさちあれ。あなたの御家族、従業員の皆様にさちあれ。
質問者からのお礼
善應寺/星大晃様
お忙しい中、ご回答有り難うございます。
主人に対する軽蔑、不信感を抱くと共に自らの汚さも痛感いたしました。
私も主人も幼稚ですね。
「ひきずらない」それが大事と気づかせていただき有り難うございます。
本日も仕事で、多忙。なのに主人は昼寝に帰って閉店まで戻ってこない。悶々としている中、星様のご回答を読みスッとしました。
子供が「ひきずらない」事を出来ているのに私はいつまでも考えては悶々としておりました。
それよりも今自分が出来るお勤めに精進して参ります。
有り難うございました。