マイナスなことを言ってしまった罪悪感
いつからかはわからないのですが、マイナスなことを言うことに罪悪感を覚えるようになりました。自分に起こった嫌なことを誰かに話したときに、なんだか罪悪感を覚えました。他の人だって、誰かの嫌なことを言ったりしているのに、自分が言うのは違和感を覚えてしまいます。このような感情はどう処理したらよいでしょうか。
罪悪感から、心配事を抱え込んで、誰かに相談することができず、困ってます。回答のほどよろしくお願いします。
嫉妬が強いです。あと、罪悪感もよく抱きます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その罪悪感こそがマイナスじゃ
マイナスを言ってしまった+自己嫌悪やら罪悪感。
ダブルパンチをご自身でなさっておられるのですね。
罪悪感って、何でしょうか?向き合ってみてください。
「ああ、あんなことを言わなければ…」と、過去を振りかえって、今を観ていない姿でしょう?
思いの中で自分が自分で自分を苦しめている姿でしょう?
自分を責めて何になりますか?それよりも、次回そうしないようにと心を動かすことにエネルギーを使ってください。
あなたの罪悪感はすぐに消せます。
それは自分で自分をイジメている、苦しめている姿であることを知るべきなのです。
心の動かし方が後ろ向き、ネガティブ、ちょー否定的、悪玉菌たっぷりなのです。
そんなことをしたって一文の得にもなりゃしませんわ。ぶっちゃけ、厳しく申せば自己満足なのです。
自分が、自分を責める事を選択しているのです。そうした方が心地いいから、自分を責めている部分が、あるのです。何でそこまで言うのかって、私がそうだったから(笑)
ですから、洗濯器を二つに分けましょう。どっちを選択しますか?
Aの洗濯機は中が泥だらけなので、洗うと泥まみれになります。
Bの洗濯器は洗えば、身も心もきれいになります。
通常、Bの方が良いですよね。
実はCの洗濯機もあります。
Cの洗濯機は、そういう考え事を「一切しない」という心の洗濯機です。
考え事を止めるということです。
アナタが大事に重宝しているその考えもすべて全部捨ててしまいましょう。
考えの世界を選択しないという生き方が仏道です。
責める必要も、悔やむ必要もありません。そのままの事実を自分の考えを加えずに生きるのです。
仮に失敗発言をしたとしても、誰もいつまでもあなたのことなんざ思っていません。
クヨクヨ、ドンヨリ、ネガティブな雲にとどまる事を止めましょう。今すぐ出てきて下さい。
質問者からのお礼
わざわざ回答いただきありがとうございます