何かを亡くすことに対して
私は考えることがやめられません。ありもしない、まだ来るはずのない未来を思案して憂鬱になります。
例えば、今飼っている猫の死や友達との別れをよく考えます。
昔から死や別れなどに過剰に感情が反応してしまい、どこかおかしいのではないかと思ってしまいます。
その人やその動物の人生が終わったその後この世に何も残らない、動物や私よりも年の小さい子の死に対してなぜ救えなったのかなぜ自分じゃなかったのかとも考えます。おかしいですよね
昔母に誰かの不幸を自分に置き換えるなと言われました
自分でも関わりのないところまでなぜ思案して涙を流すのかわからないです。そして、苦しいです。
私の心が弱いだけなのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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杞人天憂、杞人の憂い
中国の故事です。昔、杞という国に住んでいた人が、天が落ちてくると心配していたこと。いま現実的にありえないことを心配してしまうことをいいます。杞人も、あなたも幸せですか?心が心配でいっぱいで幸せではありませんよね。逆に、何も考えずにノー天気に生きるのも、将来、とんでもない目に遭う可能性がありますよ。要は、将来に備えて年金に加入するとか、お金を貯めるとか、未来のためにしっかり備えるということですが、この根源にあるものは怖れですよ。怖れすぎるのもよくないですが、怖れすぎないのもよくないのです。お釈迦さまは、中道とおっしゃっています。琴の弦を締めつけ過ぎれば音がでない。逆に緩めると鈍い音になる。適度に調整することが大切だとおっしゃっていますよ。
あなたの思考を異常だとは思いませんが、辛くないですか?考え過ぎて。楽に行きましょうよ。マイナスな心配はあなたを幸せにしませんよ。幸せでいるためには努力がいるんです。ああ、どうしょう?と妄想が湧いてきたら、これ私の想念。絶対にそんなことはないと、打ち消して、大丈夫だと言い聞かせてくださいね。時間はかかりますが、必ずそういうらあなたになれます!どうかお幸せに!浄光寺
あなたは感受性が強いのです。大切な心です。
にゃんちゃーさん、こんにちは。
素晴らしい心ですね。あなたは感受性が強いのです。ですので人や命の苦しみに共感してしまうのです。
お釈迦さまがそうであったと仏伝には説かれています。だから修行して、命とは何か?悟りを開かれ、私たちに教えてくださっているのです。
あなたはお釈迦様と同じ心を持っているのです。その心を大切に育ててください。そして命の大切さを伝えられるような、人様のためになるような生き方を見つけてください。お坊さんでもいいですよ。その時はいつでもご連絡を(笑)。期待しています。
がんばって!合掌