写経の扱いについて
今年に入ってから、毎日、写経をています。もうすぐ一年分になりますが、どのように扱えばよいのかわかりません。
初詣の際に、お焚き上げをしても良いのでしょうか?
ご助言をお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
できたら納経を
初詣の際のお焚きあげでは、破魔矢や達磨、お札・御守、と一緒になってしまいますから、できれば、納経をされてください。大きなお寺や、札所になっているお寺に行くと、本堂前に写経を納める「納経箱(写経箱)」がございますのでそこに納めてください。365日いつでも大丈夫です。(本来、納経した証にいただくのが御朱印です。ですから御朱印を頂く場所を「納経所」といいます)
また普段から写経会などをしているお寺ならどこでも受け付けていただけると思います。
もし、近くにそういうお寺がなければ、一般の寺院にお願いして本尊さまの御宝前にお供えしていただきましょう。そのあとは各寺院でお焚きあげ、もしくは土中に埋めるなどの作法でパピルスさんの浄行を仏さまにお届けします。
なお、一部宗派では「祈願」や「供養」そのものを受けていないところもございますのでご注意ください。
さらには中身を
一般的には納経して納経料を納めて、満足。ホナさいならです。
当方の八角堂の二階は納経所があります。
ですが、納めるだけにするなら他のお寺に願いたい。
ただ、納経するだけであなたが本当に満足かどうか?
お経とはわかりやすくいえば楽譜、レシピです。
素晴らしい曲が書かれています。
素晴らしい調理法が記されています。
なのにそれを聞かないのか。それを味あわないのか?
お釈迦様の心のような素晴らしい「心になれる方法」が書かれているのですぞ?
通常、お経を写し終えたら今度は、実際に書かれている中身、演奏、調理に値する「真意」の探求をするべきでしょう。私も求めました。ちゃんと幸せになれました。
すると、お経は読む写すばかりではなく、行うものであることに気が付きます。
アナタが記したお経は何でしょうか?
とても良いことが書かれているはずに違いありません。
市販の書籍ではただ訳文が書かれているだけですから、息吹がありません。
そのお経という楽譜、レシピを読み取って、弾きこなし、調理を極めるがごとく息吹を吹き込める僧侶がこの世には大勢います。
そういう人との出会いを求め、文字の上ばかりではない、お経の真意を読み取ってください。
それが古代エジプトより伝えられたパピルスや中国の木簡などに記され歴史を超えて刻まれた大事な精神。パピルスさんの身心に記されるべきこと、肝に銘ずべきことでしょう?