自己肯定感の低さとコンプレックスについて
連日の相談、申し訳ありません。以前からどうしても伺いたいことがあって相談させていただきます。
学歴コンプレックスの強い両親に育てられ、親の顔色を伺う子供時代を過ごしました。
過ちを犯すと激しく叱られたり、人前にでると何もしていないのに親の見栄でたたかれたりしたので、過ちがばれないように誤魔化したり、何をしても認められないと思って育ちました。
コンプレックスが強かったので、友達にも自分からは遊ぼうといえず、前の空き地で野球をしている友達を見ながら家で本を読んでいました。
親の希望に沿う高校に進学してからは親は何も言わなくなり、自分の大学では通常は書類段階で落とされる地元でも人気の会社に入りました。
しかし会社に入って同期と仕事をしている内に、自分は要領が悪いのだなと感じました。
周りとコミュニケーションが上手く取れ、大きなミスもなく、趣味もプライベートも充実している同期や同僚を見ていると、メジャーリーガーの中に子供が入ってしまったような錯覚を覚えます。
すでに同期とは昇進で5年以上遅れてしまいました。
ストレスで体重が30kg以上増加し、時には心療内科に通うこともあります。いけないと思いますが、お酒も毎晩欠かせません。
今の仕事は好きですが、やっぱり要領が悪いので、周りやお客様に迷惑をかけてしまうのでは無いかと考えてしまいます。
今の気持ちをどうように捉え、生きていけば良いのでしょうか。今からでも自分のやりたいこともしくは身の丈に合った仕事をもう一度考えた方が良いのでしょうか。
とりとめのない相談で申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の歩幅で
初めまして。拝見致しました。
「メジャーリーガーの中に子どもが入ったような…」の件りでは、昔の経験を思い出し、思わず苦笑してしまいました。
私事で恐縮ですが、ご参考までにお話し致します。私が40歳を過ぎて大阪のお寺に戻った時、暫くは檀家さんとの間に何となく溝みたいなものを感じていました。寺を師父に任せ切りにして、故郷を遠ざけて、30年近くも関東にいたのですから当然の成り行き。何となく居心地の悪さを感じながら、家族と共に住み始めた故郷でしたが、案の定とても健全とは思えない思考ばかりが働きました。
また、「(リハビリの)先生」とか「事務長」などと呼ばれていい気になっていたのが、今や周囲を見渡せば年が一回り以上違っても皆私の大先輩。お寺さんの集まりでは、何もかもが初めてのことで、「機転が利かない」「機敏じゃない」「気後れする」の3K全開でした(笑)
覚悟を決めて戻ったはずなのに、いざ生活が始まるとジタバタ、ジタバタしていました。当然、居心地を悪くしていたのは周りの環境ではなくて、昔の体質が抜け切らない自分自身の心の問題に他ならなかったのですが…
その時に学んだのは、謙虚になること。ただ謙虚な姿勢を振舞って見せるのではなくて、例えば相手の秀でているところを徹底的に分析して、自然と敬まえるまでに相手を知ろうと努力しました。何年かしてそれが身につき始めた時、それまでのコンプレックスは消え去り共に精進出来る悦びと変わりました。
要領の良い同期に恵まれて結構じゃないですか。5年先を行く同期を敬い、「自分の歩幅」でコツコツと精進し、心豊かに生きましょう。
YUTAさま
ご返信、ありがとうございます。
ご自分の歩幅で、心を自由にして歩いてみて下さい。応援しております!
誰しも最初からではありません
拝読させて頂きました。あなたのお悩みのお気持ちを受け取らせて頂きました。
あなたの心に響くかはわかりませんが、どんな人もそれほどうまくいっているわけではありません、要領よく見えて皆かげながら努力もしています。誰しも最初からスーパーマンでもなければメジャーリーガーでもありません。
お釈迦様でも大変苦しみの中で人生を歩んでいらしたのです。
どうぞ自分を卑下せずにあせらずに自分なりに積み重ねて頂きたいと思います。
あなたのこれからの未来が日々学びご成長あることを心からお祈り申し上げます。
質問者からのお礼
謙虚な心と、自分を卑下しない心・・・。
いつも嫉妬や境遇のせいにしていました。
個人の能力に差はありますが、他人のいいところを吸収し、
頑張っていこうと思います。
有難うございました。