夫婦関係と営みについて
夫婦関係といいますか
夫婦生活の営みについてなのですが
これは自分の考え方なのですが
最近、妻が閉経を迎えてそれ以来
妻の方が性欲が全くなくなったと言うか
その気になれず、その行為をしても
感じなくなり、その行為そのものが苦痛に
なってきたらしく夫婦の営みが出来なくなりました。
それ以来、私の性欲は自ずと外に向くようになりました。
これはあくまで個人的な思考なのですが
性欲は人間の一種の本能みたいなもんで
それをパートナーと満たせない場合は
他で満たすのは悪い事ではないと思うのですが。
いわゆるセフレさんと言った関係は
必要なのではないかと思うのです。
それで夫婦関係がうまく行くなら
これは、浮気や裏切りとは違う気がするのですが、御仏の教えではやはり許されることではないのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
欲望を野放しにすれば、失う物も大きい
「悪を軽んずるな。たとえ小さな水漏れであっても やがて大きな濁流となる」
こうれは私の寺の先住様が生前最後に伝道掲示板に書かれた言葉です。
これくらいいいだろう、これくらいのこと構わないだろう。自分で自分を甘やかした結果、欲望欲求を肥大化させ、人生を踏み外したり、家族を不幸にしたりする愚かな人間は少なからず居ります。その結果、家族が崩壊した。麻薬中毒薬物中毒アルコール中毒になった。刑事事件を犯して刑務所に入った。そういう人生を選択していきます。今、あなたはその入り口に居るようですね。
このサイトの回答者は私の知る限り、質問者の悩み苦しみに寄り添い、真摯に答えを考えております。
人間は生きていく限り、欲望があります。性欲もあります。しかし、「セフレを作っても、バレなきゃ、いいでしょ。」なんてレベルの質問には、本来無視しても構わないと思っております。但し、先日、「昨年の秋に自分を変えたくお遍路さんを体験してきました。そこで見ず知らずの私に、いろいろな人から接待などお世話していただき励まされ元気をもらいました。」という感想を述べていましたね。その時の質問へ回答した者の一人として言わせていただきます。
「お遍路さんに行った成果が、こんなものかい。お大師さんに失礼だろ。あんたに布施した方々を踏みにじる言動だ。恥を知れ。」
以前、不倫をしようとしている旨の方への回答したことがあります。下記のアドレスの回答も参考にしてください。http://hasunoha.jp/questions/541
お大師さまは人を試されますよ、ご用心!
夫婦とは何でしょうか?
人生を共に歩むたった一人のパートナーなはずです。
今のあなたがおられるのは奥様のおかげによる所が大きいのではないですか?
真言宗では欲望を否定はしません。
しかし!誤解をしてはいけません!!!
欲望を欲望のままにしておくのではなく、
欲望の次元を清い所まで高めよと言っているのです。
奥様を裏切って不倫をしてもいいよと言う事では決して無いと思います。
本能を本能のままで野放しにするのは動物と一緒です。
それをお大師さまのご縁と言ってはいけません。(質問者からの御礼の欄でお大師さまの引き合わせ うんぬんと仰っておられますが…)
こんな事は申し上げたくはありませんが、罰が当たりますよ。
お大師さまは大変面倒見がよく、常に正しい方へ人を導きます。
間違った事をしたら大きく叱ります。
それは厳しく叱られる事になります。
まさかと思うかもしれませんが、本当なのです。
そこが密教の不思議な所だと思います。
実際にいくつもそういった状況を見て来ました。
もし、あなたの仰るようにされたいのであれば、
奥様に離婚を申し入れ、奥様に一生生活に困らぬよう多額の慰謝料をお支払いになり離婚をなさってからになさいませ。
おそれながら。
夫婦とは性欲のはけぐちの一端ではなく、共に前を向き
共に歩みゆくための同行二人です。
お遍路さんに行かれたということですが、
その際にはお大師様がその同行の方でしたが、
常の歩みは奥様になる。いわば奥様こそがお大師様といえます。
性欲を外に向けるのがどこが悪いということですが、
仏の教え、ウダーナヴァルガという経典には、
「愚人は快楽を求めて返って傷つく。
しかしこの世で自己を求める人は傷つくことはない。
快楽をひたすらに追い求めるが故に愚者は他人をも自分をも損なう」
とあります。
欲のはけ口として外にむかってそれを求めることは自然です。
動物ですから。
しかし人間は社会をつくりその中で生きて、いや生かされている。
知らず知らず欲のはけ口を外に求めれば、
それは誰かを、更には自分をも傷つける事に成ると、
実に当たり前の事をお釈迦様という方は教えられたのです。
さらにおそれながら。外に求める、ということは、
水の中にいてもなお「喉が渇いた」と言っているようなもの。
あなたがであったというセフレという方にもいずれ飽きがくる。
あなたが欲っするものが常に外にある限り渇くわけですから。
それでまた更にセフレを求める。求める。
もうあとは新聞やネットのニュースに既になっているような
結果になるのは自明の理です。
あなたが本当に欲しいのは、「あなた御自身」です。
他人が満たせるはずがないのです。
放てば手に満てり。
すべて手放したところにあなたの本当に欲しいものがあります。
あなたと、奥様、
あなたが出会った方々が安らかでありますように。
さちあれさちあれ。合掌。
それは十悪の一つ「邪淫」です。
お釈迦様が「やめなさい」とお説きくださっております。
生活を円滑にできるからといってやっていいものではありません。
これぐらいはいいだろうと考えるのは、私の勝手でありますが、仏様はダメだとおっしゃいます。
欲との混同。
フククル様。
道徳的には駄目そうだけど、善悪だけで自分の心は納得できない。
そんな印象をうけました。
文面には、お遍路のときに受けたはずの「他者へのいたわり」よりも自身の欲が強く出ていませんか。
欲は諍いの種になります。
仏教は欲の強化ではなく、欲や執着を手放す教えです。
なぜ性欲を自分は求めるのか。
性欲を求めることで自分は何を満たされたいのか。
自分にとっての性欲にあたるものは奥様は何で満たしているのだろう。
そこのところはご自身がしっかり答えを持たなければいけません。
性欲のはけ口のためだけに夫婦関係を続けているという印象を持たれてはフククル様の今までの人生の尊さを否定しかねない事態になります。
恋愛にも小学生の恋愛、中学生の恋愛、高校生の恋愛、それぞれ許される範囲があると思います。
どこまでが浮気で、どこまでが本気なのか。
どこまでが仏法とともに喜びあえる仲間という扱いで周囲から認識され、どこまでが奥様にとっての許容範囲を超えたり、周囲からただの出会い系コミュニケーションに仏法を利用したのか。
以前にもお伝えしましたが、心は慈しみや優しさだけでなく、自分本位で後先の責任を考えなく、感情的な一面もあります。
奥様や子どもさん、相手の方に敬意を持ったうえで、ご自身の性欲と何を天秤ばかりの上に乗せるのかを十分考えてからでもアタックは遅くないと思います。
互いの思いやりの上に欲のコントロールが成り立つことを願います。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
洞林寺住職様へ
ちなみにその女性とは、お遍路さんを通じて知り合った同郷の女性です。
これもお大師さんの引き合わせかと思います。
人生に無駄なことはありませんから、
これも何かの縁と思います。
ご回答下さった住職さんにはお礼申し上げます。
しかし、残念ながら今回私の主旨とするところが伝わらなかったかと感じております。
これも未熟な私どもの言葉が足りなかったからだと思います。
やはり、人の心ほど難しいものはないと
痛感いたしました。
またひとつ勉強になりました。