亡き祖父の苦労と自分の情けなさ
六年前に祖父を亡くしました。昔は当たり前の事かもしれませんが、祖父は幼いころから奉公にだされ戦争も経験し、今の時代を生きる私にとっては考えられない程の苦労をしてきたと思います。それでも、辛い事を口にも出さず自分の事は後回しで生活していました。私には母がおらず、父も子育てをする方ではなかったので、祖父が色々と面倒をみてくれていました。それなのに、祖父の最期に祖母の面倒をみていた私は最後だけ一目みたいとわがままを言って叔母(祖父の実の娘)を怒らせてしまい、貴方のせいで最後みとれないと言われ怒った叔母はそのまま祖父の所に行く事もなく、数日ご亡くなりました。あんなに苦労した祖父の最後を私のわがままで台無しにしてしまいました。この六年間祖父のいままでの苦労を考えてきました。祖父はこれだけの苦労をして幸せだったのかと…そして最後まで。考えれば考えるほど、自分の後悔ばかりが襲ってきます。この六年で、子供も2人出来、きちんと家族の道を歩まなきゃなとも思っています。祖父の七回忌もすぎ、きちんとけじめをつけたいとも思っています。今の自分に出来る事、これからの自分に出来ることは他にも何かあるのではないかとご意見頂きたいと思っています。今の自分には祖父に謝ることと、想うことしかできません。
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供養とは亡き人が、喜ぶことをすることです。
もうさん、はじめまして井上広法と申します。
お祖父様への想いが、とても伝わってきます。
お祖父様の最期の一件でこころ悩まされてしまっているご様子ですが
そんなに自分を責めなくても大丈夫ですよ。
供養というのは、たしかに御経を唱えたりお供物をおそなえしたりいろいろとありますが、大切なのはその亡き人が、喜ぶことをすることです。
いまもうさんには、後悔の念もあれば、感謝の念もあると思うのです。
「ありがとう」と「ごめんなさい」が入り混じっているのかもしれませんね。
それは、仕方ないことです。
人間ですからね。
もうさんのお子さん、お祖父様からしたら、ひ孫さんたちですよね。
そのひ孫さんたちが元気で明るく、健やかにのびのびと育つことほど、お祖父様がお喜びになることはないと思います。
ですから、お二人のお子さんをきちんと育てることが、一番のご供養になるとぼくは思いますよ。
合掌
質問者からのお礼
広法様ありがとうございます。ずっと、ひ孫を楽しみにしていた祖父ならきっと元気に明るく育っていたら喜ぶと思います。ずっと幸せになっては祖父に顔向け出来ないと思っていましたので、心が少し楽になりました。これからはきちんと子供と一緒に成長したいと思います。ありがとうございます。