孤独です
子供の頃から現在まで友達が一人もいません。皆離れて行きます。
習い事さえスタッフにひどく冷たくされたり、私だけ忘年会に呼ばれなかったりします。職場でも普段は仲良くしてても私だけ結婚式に呼ばれませんでした。デイケアに数年参加していても表面的な会話する関係にしかなりません。
私は両親から虐待されたため自己評価が非常に低く、常に強い怒りが消えないのを感じます。親が私を粗末に扱った様に私自身もそうしてしまい、周囲もそうするのではと思います。また、「基本的な何かが欠落している」と言われた事もあるように、何か普通の人が「この人は変な人だ」と感じさせるのではと予想します。
でも自分では一体どういう部分がそうなのか全くわかりません。(わかったら直してます)。誰か常に私と一緒に私の言動をチェックしていて
その都度指摘してくれない限りわからないと思います。
精神科、各種療法、話し方教室他出来る事は取り組みましたが、結局本気で私の事を考えてくれる人は自分以外にいないし、効果は無いと悟りました。
フリーランスでしたが取引した殆どの会社から仕事を干され、現在無職です。新しく働きたいですがまた同じ事の繰り返し(これまでと何も変わってない、結局自分では自分の何が悪いのかわからない)かと思うと怒りと恐怖を感じます。
勿論結婚も出来ず現在非常に孤独です。元の職で仕事もらえないかと訊いて回った時に受けた数々の屈辱的な対応が強い怒りとなって残っています。(普通の人間関係力があればそんな営業回りなんかしなくても実績でおのずと会社との繋がりも太くなり、安定的に仕事を回してもらえるものです。私以外の多くのフリーはそうです)
人から嫌われる、軽く扱われるというのは社会生活をする上で致命的な欠点だと思います。この欠点は自力では治らないなと最近悟りました。身体障碍と同様に障害なのだと思います。
これまでの人生で人間を憎む気持ちも大きくて、普段隠していてもやはりそういう匂いが出てしまってうまく行かないのではと思います。
既婚者に対して妬みがひどいと同時に未婚独身で有る事がすごく恥ずかしいです。人からも何も言って無いのに独身扱いされる事に傷つきます。
心の中から毒親(他界済・私が孤独で不幸な人生を歩むことが両親の望みでした。)の呪いを消す方法を教えて下さい。
既婚者に激しい妬みを感じる
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分を解き放つのは自分です…いつか、きっと出来ますよ。
お辛いですね…ご両親からの虐待の中 必死に生き抜いてみえた上で、今の御自身の状況は到底認められないことと思います。
ただ、既にご両親は他界なされておられるとのこと、怒りをご両親に向けられることには得るものはなく、さらに心身の疲労を増すことになってしまうのではないでしょうか。
ご両親の呪縛から逃れる…その方法は、御自身がご両親の呪縛を断ち切る以外にないと思います。
「誰も見ていなくとも、仏様は見てるよ」こんな言葉をご存じでしょうか…子供だまし だとお感じですか?
この言葉の本当に意味合いは「他の誰も見ていなくても、その行為を行ったあなた自身はそれを見ている。そして、その行為と 行為の結果が、あなたを作り上げてきたのであり、これからもあなたを作り上げていくんだよ」ということです。
あなたの人生を作り上げるのは、やはりあなた自身の他に誰も居ません。あなたがあなたの人生を生きて良いのです。あなたが『あなたの人生』という舞台の主人公なのです。
もちろん人生はとてつもなく辛くて、悲しくて、面倒なものです。
そんな人生とても一人では生きていけません。頼れる方はありますか。
頼れる方無くとも、大丈夫です。どうか仏様を頼って下さいませ。
あなたを支え、あなたを心配し続ける仏様との出遇いがあなたにとって本当に大切だと思います。
くだらない…と切り捨てず、どうか仏とは何か、求め、探して下さい。きっと出遇うことが出来ますよ。仏様に、そして又 本当のあなた自身に…。
にょきさま
強固に焼き付いている、自分や周りに対する否定的な見方、考え方を
手放す方法というのは、仏教の修行の方法と同じだと思います。
煩悩の大元は、本来空性なのに自分というものがあると認めてしまう
所にあります。「何かがある」という見方を手放すために修行します。
私たちはものごと、出来事に意味づけ価値づけをどんどんしていきます。
一度ある見方をしてしまうと自動的に、無意識のうちに同じ見方を
繰り返していきます。ちょうど色のついたメガネをかけていれば、
いつでも世界はその色がついて見えるようにです。
ですのでそのメガネをはずすこと、見方、考え方を止めることが
必要です。思考を止めるための方法の一つが坐禅です。
坐禅の工夫には、いーち、にー、と数を数えたり、「むー」と
言い続けたり、呼吸に集中したりするものがあります。
要は意識を何かに向け続け、思考を止めればいいわけです。
思考を止めるとどうなるか?イメージで感じてください。
人の中心に意識、こころがあります。そこは純粋な状態で
自然に気づき、感じ取れる働きです。
そのまわりを思考が覆っています。それがこころの本来の
働きを抑制しています。
思考を止めるというのは、この覆いに隙間をつくるという感じです。
その隙間からこころ本来の働きが顔を出し、新たに世界を感じ取って
行くという感じです。見方、考え方に主導権を握られていたのを
気づきによって解除すると言う事です。
手放したくても手放せなかった見方、考え方を消すには、
自分の中に在る、心本来の力に頼るしかないと思います。
具体的にどうするかということですが、座禅会にいってもいいと
思いますが、時間がかかると思いますので、普段の生活でひたすら
何か唱え続けるといいと思います。座禅中数を数えるようにです。
ありがとうでも、仏様の名前でも、自分の好きな言葉でもなんでも
いいです。
唱え続けると、ネガティブな内容の心のおしゃべりも減り、
こころもからだも軽くなると思います。本気で切実な思いで行うと
気づきも早いと思います。
字数に制限があり説明不十分かもしれませんが、とにかくお伝えしたいと
思いました。
見方を変えるのは難しい事ではありません。
難しいと思うと難しいものになってしまうと思います。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。「呪いを消す」とは「低すぎる自己評価」「自分を嫌う」「人間を憎む」親の考え方を私の中から消す方法という意味です。この40年以上精神科始めあらゆる事を試しましたが物心つくのと同時に浴びせられ続けたため精神科や本にあるような方法では歯が立ちませんでした。専門家が本気で協力してくれない限り自力では無理だと悟りました。家族に恵まれ愛のある生活をしている人が多い(そういう人に屈辱的な目に合わせられました)のに自分を生んだ親に一生人生を台無しにされ続ける自分は何なのでしょうか?
質問に書いたとおり友人すら一人もいないのです。頼れる人などいません。居なくても誰一人困らない価値の無い命です。