2022/06/21どこまでが直すべき自我なのか
以前から様々な方の悩み相談を拝見しており、参考にさせて頂いております、ありがとうございます。
はじめての質問をさせて頂きます。私はある大切な人との出会いをきっかけに、仏縁が出来、無神論者で虚無主義者だったところを、かなり改善することができました。
もともと私は自分勝手な人間でした。正義感はあったのですが我が強いために、独裁者に立ち向かうなどの良い行いに活かせたことも稀にあったのですが、それ以外のほとんどの面ではただの我儘な人間でした。さらに中途半端に哲学などの知識をつけてしまったせいで、反出生主義などの極端な思想に走り、その思想を家族にぶつけて困らせてしまったことも何度もありました。
好きなものへの執着心もひどかったです。自分だけがその存在を知り愛していればよいと思う一方で、それを好きにならない人間は悪趣味だとも思っていました。
つまり、私は(一般的に見て)悪人というほどではなかったものの、自分が好きな食べ物ほど他人に食べてほしいと思えるような成熟した人間では決してなかったのです。
しかし、仏教を学び始め、苦しみはまさにそのような自身のエゴが作り出していることを痛感しました。与えられるのを待つより与えるほうがずっと幸せになるということもよくわかりました。
問題は、そのことが分かった上で、仏教が理想的とする人物像に達するために、日常をどのように生きればよいのかわからなくなってしまったということです。
仏教を知らない人でもわかるような善行ならできます。でも、心の状態まで管理するとなると、例えば私は劣等感を克服して自分の容姿を肯定的に捉えられるようになり、それを活かすためにメイクするのが好きなのですが、このことはエゴへの執着となってしまうのですか?可愛い服を着た自分を可愛いと感じて自信をつけることは?
食べ物1つとっても、心が沈んでいるのをなんとかするために、好きなものを食べようとするのはいけないことなのか?と考えてしまいます。
作品はどんなものを観ればよいのか?私は児童文学が好きなのでまだいいと思うのですが、教訓のない物語を読むのは心に良くないからだめなのですか?
無学な私にどうか智慧をお授けください。お願いいたします。

有り難し 24

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