思いやりの心とは、乱れない心と生き方とは
長文ですが、よろしくお願いします。
私の理想の人間像は「自分や他人の負の感情に対し乱れない心と姿勢」「思いやりのある言動ができる」です。
もう少し具体的に言うなら、ここでご相談に乗ってくださるお坊様方のような人間になりたいのです。
小さい頃は仏教幼稚園に通っていました。
毎朝阿弥陀様に手を合わせて、園長先生であるご住職のお教を聞いて育ちました。
卒園後はボーイスカウトに所属し、お寺を拠点に(月に数回借りて)活動していました。
他の方に比べれば、私はほんの少しだけお寺さんやお坊様は身近に感じます。
ですからきっと余計に、お坊様──仏の教えに基づく考え方や姿勢──に憧れがあるのだと思います。
実は最近、私個人の思いやりのなさや気配りが不足していたことにより、複数名の方々に不快な思いをさせてしまいました。
趣味が共通して集まったグループ内でのことですので、もうそこへ戻ることは出来ないでしょう。謝罪もしておりますがお許しが出るとも思っておらず、これで縁が切れるものと覚悟しております。
今後はこのようなことがないように、しっかり自戒の気持ちでもって過ごそう、と思うのですが。
そもそも、思いやり、とはなんでしょう?
「情けは人の為ならず」と聞きます。しかし立場が違えば善悪の見方も変わってきます。「ありがた迷惑」になる場合もあります。最悪「押し付け」「自己満足」と言われてしまいます。
私はこれから何をもってしての思いやりの心や情けを持ち、生きていけばいいのでしょうか。
このままでは人見知りと自己否定が加速してしまいます…。
また、こういった自分自身が抱える不満、不安、苛立ち、周囲から発せられる負の感情──これらに振り回されない心と考え、身体を持ちたいのです。
他人の愚痴から苛立ちが伝染してきます。その気持ちを自覚した瞬間に、自己嫌悪に陥るのです。とても疲れてしまいます。
楽しいこと喜ばしいことなら構いませんが、哀しいこと怒りを覚えることで乱される自分が嫌なのです。
そのためには、まずどんなことをすればいいのでしょうか。
どうか、教えて頂けませんでしょうか。
有り難し 8
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