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「今を生きる・自分の生き方」問答(Q&A)一覧

生き方

自分を大切にする。 これがわかりません。 私は基本、どんな事も乗り越えてきてしまいました。 何故か乗り越えられてしまう。 普通なら倒れてるレベルだよ?とか 普通なら乗り越えられないよ?とか言われます。 熱が39度でも笑顔で働けてしまいます。 吐くほど辛くても人前では普通にできます。 輸血ギリギリまでの手術をしても 次の日歩いて過ごせてしまう。 人前に立つと笑顔で相手が私を心配しないように しなくちゃならない。私は大丈夫!って 思ってしまう事 やめれません。 あなたは、なんでも大丈夫な人で 強いよね!!ってよく言われます。。 そんな事ないよ!と言っても 私なら無理だわー。あなただから出来るんだよね! って言われてしまいます。 ちゃんと嫌な事は嫌と言ってますが。 何故か乗り越えられてしまいます。 身体がちゃんと動いて解決してくれます。 尊敬されたいわけではなくて 、私強いわけじゃないんです、 母親に、産んで後悔してる。と言われました 父親に お前の存在が俺を不幸にする。と言われました 居場所を作る為には、どんな状況でも頑張らなきゃならない。人並み以上に。認めてもらえるように。 頑張らなきゃならない。 両親の不倫と離婚の関係で親権が父親にいき 父親には愛人がいた為 部屋を借りてくれて 中1で一人暮らしをしていました。 とにかく昔から居場所を見つける事に 全力を注いできて。褒められる為に頑張ってきて。 大人になったら、変わると思った気持ちや行動も やっぱり どこか引きずってしまっている 今を変えたい。と本心思ってます。 ただ、どうしたらいいのかわかりません。 一種の薬みたい 中毒みたいに抜け出せません。 全ては自分次第なのに。両親のせいとか出なく 自分で変えていけるはずなのに、、 私変わりたいです。 結婚し嫁ぎましたが やっぱ引きずってます。 お言葉を頂きたいです。 よろしくお願いします。

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本当の自分で生きるとは何ですか?

初めまして。 将来を目前にして自分がこれからどう歩んで行けば良いのか分からなくなりした。 私は現在大学四年になりました。私も含め周りは皆就活と卒業のために奔走しています。 いきなりですが、私の家庭は父の12年間の不倫が発覚し母が病んでしまい、私を含め兄妹は巻き込まれた形で今現在は家族の振りをして過ごしているようなものです。親は離婚する予定でありますがまだ当分先のようです。 父の不倫を母に教えられたのが二年も前になります。私は帰省する度に母を支えてきました。正直のところ幼い頃の母の仕打ちに母を恨んでいた気持ちがあったのに、本当の原因は尊敬していた父親だったのだと知ってしまい親とは心から話が出来ず距離を取っています。 父とはお金だけの繋がりのように感じます。もともと仕事かできる人で尊敬はしていましたが、たまに言動などで威圧を感じていたので苦手でした。 こんな話を出来るのは似たような境遇の親友一人だけです。友達が出来てもどこまで話して良いのかわかりません。変に気を遣われるのもつらいです。怖いです。 もうすでに将来に向け選択しなければならないこと、成し遂げねばならない課題が多いです。しかしやりたいことも自信が持てず人を疑ってしまい、先行きが不安でしかありません。 大学での勉強は興味のある分野でしたので知ることは楽しかったです。でもそれだけでした。 他の人のようにもっと自分のやりたいことを突き進めて頑張っている姿を見ると自分は何もしていないようで耐え難く、学校は授業を受けるだけになり、極力避けるようになりました。 人から否定されること、こんな頑張っていない私と言う存在を知られることがとても怖いです。つらいと思われることがつらいし、なりより自分に自信がありません。働きたいのに社会に出られるのか心配です。 でも安心して過ごしたい。悩みを誰かに言いたい。カウンセリングでも受けようかと思いましたがやめました。 最近は進学したことすら後悔しています。 悩みを打ち明けられたら楽になるんでしょうか。本当の自分とは何なのでしょうか。 ここまで悩んでいるのに自分がわかりません。 纏まりのない内容と長文失礼しました。

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おおらかに生きる

法は法でも世俗の法を学んでいる者です。 しなやかに生きる心構えについてお聞きしたく存じます。 つい先日、法話をうかがう機会がありました。 その和尚さんは「大いなる哉心や」を引いた上で、心に限界を設け縛りつけているのは自分自身だとおっしゃっていました。 法律を学ぶ学生の世界はなかなかにストレスフルです。 学ぶこと、学び続けること自体には不安や不満を感じてはいませんが、誰かと比べられ、数字をつけられ、それをまた比べられ……というプレッシャーに重装備した心で立ち向かい、空回りする日々が続きました。「なるようになればいい」と思っていた頃もあったはずなのに、過去の失敗や将来への不安に囚われ、肝心な時に限って上手くいかないこともありました。何のために法を学んでいるのか、目の前で困っている人に手を差し伸べるためではなかったのかというもっとも根本的なさえ、卒業を前にした今まで忘れかけているような有様でした。 なるほど、私を囚えたのは私自身だったのか。法話に膝を打ってはみたものの、それでは時間をかけてガチガチになってしまった心をどうほぐしたものかと思いあぐねています。いびつな形でありながらも平和に共存している二つの民族が、血で血を洗う戦乱を繰り広げ憎みあった記憶を取り戻すことの意味を問うた小説を読んだことがあります。私もまた心を塗り固めて抑え込むことでやっと踏ん張ってこられたのではないのかという恐れを感じているのです。 巧みなる画師であるところの心にのびやかに過ごしてもらうためには、日々どのように考え過ごせばよいでしょうか。アドバイスをいただけますと幸いです。

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