14歳になる犬をその子が赤ちゃんの頃から飼っていました。 2年前お腹に大きな腫瘍がみつかりましたが、治療はせずに家族の時間を大切にすることを選びました。 ご飯も食べず水も飲まず、息苦しそうにして動かなくなり、ついにこの時が来たのかとその日はずっとそばについていましたが、 息苦しそうなので酸素缶を買ってきて吸わせてあげると、注射器からお水を飲んでくれるようになりました。 たくさん飲んでくれるのが嬉しくて、どんどん水を与えました。 すると嘔吐してしまい、敷いていたペットシーツが汚れたので取り替えようと犬の体を起こすと、嘔吐物で喉を詰まらせて窒息してしまい、そのまま亡くなってしまいました。 家族は苦しい時間を長引かせずに済んで、これで良かったんだよと言ってくれますが、 私は苦しくて悲しくて悔しくてどうしようもありません。 どうしてたくさん水を飲ませてしまったのか、どうして吐いた直後に体を起こしてしまったのか、どうして上手に吐かせてあげる体位を知らなかったのか。 懸命にない知識で吐かせてあげようと、背中を叩き、指を喉の奥に突っ込みましたが、私の指がパックリ切れるくらい噛んで、そのまま死んでしまいました。 私を恨んでいるでしょうか。 きっと苦しくてたまらなかったはずです。 苦しかったよね、ごめんね、ごめんねと頭に何度も浮かんできます。 もうすぐ死んでしまう命だったとしても、私が殺してしまったことに変わりはありません。 私はあの子が大好きです。 何度も私を慰めてくれた優しい子です。 家族もあの子も、きっと私が私を責めることを望んではいないとわかっているのですが、どうにも前に進めません。
飼って2年のデグーを殺してしまったかもしれません。デグーはチンチラの仲間でネズミのような見た目をしています。 どうやってデグーへの罪を償えるでしょうか。また罪悪感と共に寂しさに耐えきれません。新しい子を迎えてもよいのでしょうか。 . . 年末の帰省で一緒に実家に帰るため、 プラスチックのケージとそれを包んでいた毛布にカイロを貼り、それをリュックに入れて寒くないように移動しました。 実家に到着した頃にはデグーの体は熱くなっており亡くなっていました。 . 以下3点が自分の間違いでした 1.以前バスの中でケージを開けて脱走しかけてしまったことからケージは開けず窓から確認することに徹底。横になっているのを見て温かくて寝ているのかと勘違いしてしまったこと。普段は移動中寝ることなどないのに。 2.年末の自分勝手な用事で夜遅くの移動になりカイロをたくさん貼ってしまったこと。 3.大晦日の夜に帰省したため、病院がやっておらず先生にみせてあげられなかったこと。日を改めていれば、日中に移動していればと後悔が止まりません。 亡くなったことは動物病院の看護師をしている友人に来てもらい判断してもらいました。 . . . 2年ともにしたデグーは毎晩一緒に寝たり名前を呼べば来たり、自分が朝寝坊したときには起こしてくれるような賢い子でした。寿命も5年から8年と聞いており、2年という短さでそんないい子を自分が、と思うと悔しくて堪りません。 また帰省先で亡くなったことに気づいたため、デグーのいない一人暮らし先に帰ることがとても恐ろしいです。 会社で辛いこともありデグーに励まされてなんとかやっているため1人で帰りたくない気持ちでいっぱいです。 . 自己中心的な行動からデグーを亡くしてしまったのにまた新しい子をお迎えするのは先代のデグーに対して失礼なのではないかという気持ちと、 それでも寂しさに耐えきれない自分の弱さで気持ちに折り合いがつきません。 . 罪の償い方と新しい子を迎えてもよいのでしょうか、ご教示ください。
数ヶ月前から異変に気づいていたのに、病気が発覚する怖さに囚われて病院に行きませんでした。 3ヶ月前病院に連れていき、もう長くないだろうと。それでも、死んでしまうなんて思っていませんでした。 ほんとに、もっともっと生きると思ってました。 シリンジでお水を飲むのが好きな子でしたがまんどくさがってあんまりシリンジから水をあげませんでした。 寝ているときお腹に乗ってきたり、スマホを触っていると構ってほしいとやってきて、でも鬱陶しいとあまり構ってあげませんでした。 もともと人好きな子で、慣れてしまっていました。仲もよく、あの子も愛情を分かってくれていたと思いますが、なぜもっと構ってやれなかったのか悔やんでいます。 最期の数週間、具合が悪いのに気づいていましたが、死を受け入れられずに現実逃避していました。 甘えてきても、いつも通り、そんなに特別構うわけでもなく、スマホを触ったり絵を描いてばかりでした。 死ぬことなんて認められなかったんです。まだまだ生きる、わざわざ撫でたりかまったりなんてしない、そしたらこの子が死ぬことを容認して諦めてしまうような気がしていました。そんな感情が、死と向き合うことが、正直とっても面倒くさく避けたかったです。 ほんとに、見てみぬふりをしていました。 なくなる2日前頃から死に直面しだして、必死に撫でたりしました。 反応は芳しくなかったですが、それでも力を振り絞って私のいるベットに来たりしてくれました。 でも、最後の最後まで死に向き合えなかった私は、また現実逃避して、絵をずっと描いていました。まだ、生きると、あと一日は生きる、だから、もう少し目を逸らして、いよいよ最後になったら撫でてそばにいて見送ろうと思ってたんです。 そしたら、絵を描いている間に、静かに一人で死んでしまいました。とても安らかに。 生きているうちに、あの子と一緒にいるチャンスを、現実から目をそらしたせいで失いました。 目を逸らしていたときは楽でした。でも、あの子が死んでしまってから、死ぬほど辛いです。 なんであの時、向き合えなかったんだろう。 後悔ばかりです。なぜ私は、いつも現実から逃げてしまうのか。自分が憎くて仕方がありません。 辛いです、だめな自分に、勝手ですが、少しでも楽になる言葉を頂けませんか。 あの子は私を恨んでなんかないとしっています。
突然の出来事と後悔で整理がつきません。 3日前に飼い猫を外に出し、いつもなら2時間くらいで帰ってくるのに帰ってこず、一昨日市役所にて引き取られていました。無傷でしたが、おそらく事故死だと思われます。 日常的には庭で紐を繋いで遊ばせていました。たまに玄関が空いた隙に出てしまうことがあり、それでもわりとすぐに帰ってきていました。 13年一緒に過ごしてきましたが、同じ布団で寝てずっと一緒に過ごしてた母が今年の8月に他界し、その後父も施設に入所することになり、猫にとっては毎日いたはずの2人が突然いなくなってしまいストレスが溜まってるのではないかと思い、たまに夜少し紐に繋がず外に出してあげるようになりました。 いつもすぐ帰ってくるし、団地で車通りも少ないから大丈夫だろう、という安易な気持ちでした。 まさかこういうことが本当に起こるとは思っておらず、自分の浅はかさに後悔しています。その出した日の夜、ちょっとだけ猫の鳴き声がしました。今にして思うと、ぶつかったときの飼い猫の鳴き声だったのかもしれません。他の猫と威嚇しあってるのかなと、性格的にわりとすぐ逃げる猫だったのですぐ帰ってくるだろうと思ってました。そんな近くにいたのにもし探しに行ってたら救えた命かもしれません。飼い主の責任として命を守ってあげらることもできませんでした。 最近ようやく、淋しいのか私の部屋で過ごすことも増えた矢先の出来事でした。悲しくて悔しくて、まだ数年は一緒に過ごせた未来があったのかと思うと申し訳なくて涙が止まりません。痛かっただろうか怖かっただろうか、寒いところで一晩も過ごさせてしまいどう償ったらいいのかもわかりません。今は天国で母と過ごしてることを祈るばかりです。
2年前、2匹飼っていたフェレットの1匹の粗相が治らず、 「こんなに可愛がっているのにどうして思いが通じないんだ」 と身勝手な心情で憤り、粗相する度に躾を超えた折檻が激しくなっていきました。 元気に遊んでくれて一緒にお昼寝をして、 「仲良くなれた、絆が深まった」と思うと粗相をするので「心の距離が縮まったと思ったのに裏切られた!」とお門違いな受け取り方をして憤りました。 昔の躾でしばらく納戸に閉じ込めるようなつもりで発泡スチロールに入れたところ、 密閉されていたことに気づかず、窒息して殺してしまいました。 大人しくなったため出そうと箱を開けたら、 おしっこをした上に仰向けに寝たまま亡くなっており、 動揺した私達夫婦は泣いて謝りながらも火葬もせず、後ろめたさからそのまま近くの畑にタオルにくるんで埋めてしまいました。 常に罪悪感はありましたが、2匹飼っていたうちの1匹がとても寂しがり無気力になり、 殺してしまった半年後に心を入れ替えて飼おうともう一匹をお迎えしました。 新たに迎えて2年飼った先日、二歳半でガンになり2ヵ月ガンと闘い抜いて亡くなりました。 週2回ペースの緊急受診や泣きながら獣医さんの説明を聞いたこと、 酸素室から私達の顔を見た瞬間必死に顔を上げてくれたこと、 シリンジで朝晩ご飯をあげたり、「おしっこが出せたね」と泣いて喜んだり、 決して良い飼い主ではないのに私達の治療方針に文句も言わずガンと闘い抜いてくれたことに感謝しかありません。 最後に看取れなかったことが未だに申し訳無く「この家には骨だけ置いていってくれたら良いから、早く魂は生まれ変わって、家族と仲間と幸せに生きてね」と語りかける日々です。 こんな日々を過ごす現在、2年半前に私達が殺してしまったぽんちゃんへ、 改めてなんて愚かなことをしてしまったんだ、 本当の母親から引き離されて売られたこの子の親になると購入したのに 殺しておいて何が親だという罪悪感が押し寄せ、 せめてお骨さえあればお水とご飯を供えられた、 好きなおもちゃを供えることができたと悔やんでおります。 骨壺を買ってぽんちゃんの写真を燃やした灰を入れようか、 お寺のペット供養をお願いしようか、 など話しております。 どれも自己満足に思えて、今更取り戻せないのですがどうにかぽんちゃんのために何ができるかをお教え頂ければ幸いです。
5ヶ月と一日前にペットのハムスターを殺しました 可哀想な方法で 寒くて苦しくて辛い冷たい方法で殺してしまいました 水で濡れて世話をしていなくお腹も空いていただろうに世話を見ず殺しました どうすればその子のためになるのでしょうか まだ一年は生きたのに殺してから火葬をしてから毎日水を変えてます どうすればいいのでしょうか ごめんなさい
1年前、四年飼っていたねこを突然死で亡くしました。 仕事から帰ると息絶えていました。 朝までは元気だったのに。 未だに亡くなったことを受け入れられません。 一人で逝かせてしまったこと、 異変に気づけなかったこと、まだまだ若いのに助けてあげられなかったことなど、後悔しかないです。 どんな気持ちで受け止めたらいいか、アドバイスを頂けないでしょうか。
家族みんなで可愛がっていたハムスターが亡くなりました。かなりの高齢で、家族みんなに見守られながらの大往生でした。 最期まで、家族みんなで介護をさせて頂けたので悔いはありません。 小学生の子どもも、「たくさん幸せにしてくれてありがとう」と語りかけていました。 しかし、亡くなったその日に 「ハムスターって死んだら天国に行けるんだよね?」 「ひいおばあちゃんとかみたいに、見守ってくれてるのかな?」 と、子どもに質問されました。 私は咄嗟に 「ちゃんと天国に行けるよ。見守ってくれると思うよ。」 と答えてしまいましたが、よくよく調べたら、動物は畜生道に行くとのことで、どのように子どもに話したら良いか分からなくなってしまいました。 (極楽浄土と天国がほぼ同義になってしまっている点も、私の認識不足と子どもへの伝え方が悪く、申し訳ございません。) 子ども自身の精神的ダメージも大きく、子どもにも分かりやすく、かつ柔らかい言い回しがないか模索しておりますが、なかなか思いつかず苦慮しております。 同時に、悔いがないとはいえ、ハムスターがちゃんと安らかなところで眠れているのか心配です。 まだ日が浅く、取り留めのない文章になってしまい申し訳ございません。 どのように捉え、どのように子どもに説明すべきなのでしょうか。 よろしくお願いいたします。
お世話になります。 今年の1月に16歳の犬が亡くなり、4月には18歳の猫、10月には15歳の猫が亡くなりました。 2匹が相次いで亡くなった時はとてもショックだったのですが、今年はもうこんな悲しいことは無いだろうと思っていました。 所が15歳の猫を先月病院に連れて行ったのですが、1月もしないで亡くなってしまいました。 3匹共高齢なので覚悟はしていたのですが、こう続くと毎日が不安でたまりませんせん。 こんな悲しい現実がある事が信じられない思いでいます。 こういう時は、どの様な思いで乗り越えればいいのか教えて頂きたく、宜しくお願いします。
去年亡くなった愛犬と仲良しだった愛猫が後を追うように病気で亡くなりました。 愛猫は愛犬に会えたでしょうか? 今はもう苦しんでいないでしょうか? そんなことは誰にも分からないことは 理解しているのですが、 心配でしょうがなく、 とても苦しいのです。 この苦しみはどうしたら 和らげることができますか? また、私は学生時代から 自殺願望があり、一時期自殺未遂で 入院したりしていましたが、 現在は立ち直り、一点を除けば まあ普通に楽しく生活しています。 私は飼っている動物たちを みんな看取ったら 死のうと思っています。 そのことについて自分的には 悲しいことだとは 思っていないのですが、 周りの人には理解されません。 もっとも愛する両親を遺して逝くのは あまりに酷い仕打ちだとは思いますが、 両親が天寿を全うするまで この世に留まるのは 私にとってとても苦痛です。 その理由が先ほど述べた 「ある一点」なのですが、 自分の死は怖くないけれど、 愛する人たちの死が本当に恐ろしく 毎日怯えてしまうのです。 例えば家族が出かける前に 「気をつけてね」と言わないと 事故に遭うんじゃないかと 帰ってくるまで不安で ソワソワしてしまいます。 まるで自分で自分に 呪いをかけているようで、 解き方がわかりません。 精神薬や精神科医では 解けませんでした。 そういうことの繰り返しに 疲れてしまいました。 なので、愛するペットたちをみんな 看取ったらもう終わりにしたいのです。 自分の死に時を自分で決めることはそんなに悪いことなのでしょうか。
最近、8年連れ添ってきた愛犬を亡くしました。大学に出かける前日に愛犬が体調を崩しており、次の朝も息が苦しそうだったので不安を拭えませんでした。それでも大学に行こうとしました。 亡くなる2週間前に愛犬を病院に連れて行き、持病の心臓病も悪化しておらず良い兆候だとお医者さんも笑顔でした。そのこともあり大丈夫だろうとたかを括っていました。 大学は休もうと思えば連絡をして休むこともできました。自分はその選択をしようとしたのに、親からお金も出してもらってることもあるし、親にも行ったほうがいいという言葉をもらいました。自分は意志が弱いからその時に行かないという選択ができませんでした。行く前に愛犬の頭、顔を撫でて大学に行こうとしたのですが頭の中に「その選択は後悔するぞ、ちゃんと考えろ」と声が聞こえてきてきました。なのに撫でるや否や愚痴をこぼしつつも大学に行こうとして振り向けば愛犬がこちらをずっと見つめていたのです。本当は行きたくないと思いつつ大学に向かった結果、授業が始まる前に息を引き取ったと連絡が入ったのです。 授業中はもうぼろぼろでした。最初から休むという選択をしていれば親と妹と共に愛犬を看取ることができたのに、自分の意思が弱いからと己を責めてばかりです。いつも私の部屋で眠り、いつだって身を寄せてくれていたとても可愛いもう1人の妹みたいな存在でした。そんな愛犬は優しいからそんな自分を絶対に責めないだろうと分かってはいます。ですが、私は己自身の意志の弱さに怒りを感じます。本当は最後は絶対に看取りたかったという思いがあったのに、意志の弱さからその選択をしなかった自分が許せません。大事な家族の命と大学を中途半端な意志で決めてしまったことに怒りと悲しみ恥ずかしさしか感じることができません。自分の意志をこれを機に固めようと思いつつも愛犬の死とあの時の中途半端な選択が頭を回りなかなか前へ進めません。何かアドバイスをいただければと思います。
昨年、飼っていた猫が亡くなりました。 まだ1歳でした。 今思えば、避妊手術をしたあとくらいから、性格が大人しくなり、食欲にも波があるようでした。 もう1匹の猫と元気に戯れたりもしていたし、ワクチン接種などで、病院には行っていました。 ある日、後ろ足がふらっとしていました。 その日は日曜日で、かかりつけの病院はお休みでした。でも、他の病院はやっているところもありました。 ですが去年もコロナが流行っていて、猫もコロナにかかる、という話を聞いていたため、病院も日曜は混んでいると思い、翌日の朝、病院へ行くことにしました。 翌朝、病院へ連れて行くと、「貧血だね」と言われました。 「吐いたり下痢したりはしてない?」と聞かれ、それはなかったので、「はい」と答えました。 点滴とステロイド注射をしてもらい、液体のご飯を食べさせてもらい、様子を見るように言われました。 帰宅し、ずっと猫と2人で横になっていました。 午後、猫が何度か鳴き、具合が悪そうに見えたので、朝とは別の、家の近くの病院へ行きました。 その病院では、「再生不良性貧血の可能性が高い。生きられても、明日、明後日まで」と言われました。 もう少し早く病院に行っていれば、助かったのかどうか聞きました。すると「それは分からない。だけど再生不良性貧血の場合は、助かっても定期的な輸血が必要で、体が弱い子だと輸血中に亡くなってしまうこともある。」と言われました。 その日も輸血することで、延命できることもあると言われたので、輸血のできる病院を探しました。なかなか見つからず、県外の病院にも電話しましたが、電話をしているうちに、猫は私の腕の中で亡くなってしまいました。 まさか、そんなに悪い病気だとは知らず、日曜日で病院も混んでると思って、翌朝に病院へ行くことを決めた自分が憎たらしくて、仕方ありません。 家には、犬と猫が他にもいます。本当はもう動物を飼う資格なんてありません。 猫が亡くなって1年経ちますが、母が、飼ってくれる人が他に見つからなかった、と言い、知り合いの人が保護した猫を連れてきました。 もちろん、大事に飼っていますが、本当は私は動物達と暮らす資格なんてないんです。 あの時すぐに病院へ行けば、もしかしたら再生不良性貧血とは別の病気で、助かっていたかもしれない。。 悔やんでも悔やみきれません。 私は最低です。
10月14日、2歳8ヶ月、人間の歳でいうとおよそ90代のハムスターが亡くなってしまいました。 木曜日だったということで、高校2年生の私は学校から帰宅してから母に亡くなったことを告げられました。 死に目に会えませんでした。 亡くなったことを聞いた瞬間は (昨日まで元気だったのになぜ·····) という思いが強かったのですが、 少し時間が経ってから考えてみると 私のせいで、生きられたはずの今日という日を潰してしまったのかなと思います。 考えられる理由としては餓死です。 2019年の3月末、当時小学5年生の弟が飼いたいと言い始めて我が家にお迎えしたのですが、 弟が積極的にお世話をする様子が無かったので私が中心にお世話をするようになりました。 そのことで両親が何度か弟に対し ハムスターはおもちゃではないので可愛がるだけではダメなこと、 私たちと同じくちゃんと命があるということ、 飼いたいと言った以上責任をもって最期まで育てなければならないことなどを伝えていました。 ですが弟が改善する様子は最期までほぼ無く····· けれど私も私です。 亡くなる2~3ヶ月ほど前から、 飼っていた子がご飯が無くなったのでほしいとおねだりしてきた時、私が気づいてあげなければならなかったにも関わらず (1日くらい大丈夫·····) とそのまま本当に1日ご飯を与えない日が何度かありました。 それまではきちんとあげられていたのに、 自分でもなぜ最後の最後でこんなに怠惰になってしまったのか分かりません····· 一生動物を飼う資格が無いのは認識しているつもりです。 もっと私が弟の分も補ってきちんとしていれば····· 未だに悔やんでも悔やみきれません。 もし餓死だとしたら私は犯罪者です。 一生懸命生きてくれた子の命を、最後の最後で潰してしまいました。 これから私はどう罪を償っていけば良いでしょうか? ちなみに亡くなった日は布団に入れて一晩そっと寝かせてあげていました。 その日の夜と、次の日の朝に父がお経を唱えてくれて、(父は仏教系の学校に通っていました) 昨日、その子を布団に入れてあげて、いつも食べていたご飯と大好きだったおやつと一緒に土葬しました。 せめてもの供養になればと、アルバムを作り毎朝線香を立てて合掌することにしました。
動物が好きで、ハムスターを数匹飼っており、最近保護猫を1匹引き取りました。 ハムスターが猫に襲われることがないように対策をし注意して暮らしていましたが、昨日1匹のハムスターが脱走してしまい、猫に咥えられるような形で襲われてしまいました。 同居人が音ですぐに気がつき助け出しましたが、平気そうに動いたあとに結局息を引き取ってしまいました。(おそらくショック死) 対策はしていたものの完全に油断してしまい、とてもかわいがっていたハムスターが自分たちのせいで死んでしまったことが本当につらくて仕方ありません。後悔も悔しさも申し訳なさもいっぱいで、気持ちが整理できず、仕事も生活もぼんやりしてしまいます。 今は猫のいる部屋を制限したり、ケージの扉を二重にロックしたり、今生きている子たちを危険に晒さないようにしています。でも、それをしても死なせてしまった子は戻ってこないし、後悔してもし足りません。 お叱りでも構いません、気持ちを整理するため、なにかお言葉をいただけたらと思います。よろしくお願いします。
4日前に1歳5ヶ月のゴールデンハムスターが突然死しました。 最近寝ている時間が長かったぐらいで、特に変わりはなく、まさかの突然死でした。前日夜まで普通に遊んでいたのに、朝起きると、ケージで涙目のまま横たわり冷たくなっていました。 秋分の日で、仕事がお休みであったのは幸い、泣く泣くお庭に埋葬しました。 今日は花も綺麗に植えました。 1年半前に、息子が急に買ってきたハムスターでしたが、私が世話をするようになり、毎日、水換え、餌やり、掃除、夜は活動的な時間なので、思い切り安全なお部屋で遊ばせてあげる。 大切な温度管理は、常にエアコンをつけっぱなし。電気代を惜しむなんて事すらありませんでした。 とにかく大切な大切な家族の一員で、我が家のアイドルみたいな存在でした。 仕事が残業になると、そろそろハムちゃんが起きる時間だから早く帰らなきゃ…こんな風に考える生活が私の中で当たり前の日常となっていました。 朝、行く前にいってきます。夜、帰ってきたら、新鮮な生野菜を切ってケージの中に運び、ハムちゃんが嬉しそうに食べ尽くすのを見ているのがとても幸せでした。 まるで、いてくれた事が毎日奇跡だったのかと思います。 最期は、苦しい思いをせず、急なお別れだったのかも知れません。 いつものように、朝お水を飲んでいた時に倒れたような姿でした。この子の朝の日課が水飲みと砂場でトイレだったので。見なくとも何となく最期が想像出来ました。 この子の代わりにはならないので、新しいハムスターを飼う事はありません。 また、突然の死が怖くて仕方ありません。 ただ言い切りたいのは、毎日精一杯お世話する事が出来たこと。 名一杯愛する事が出来たという事。 我が家に来てくれたからには、世界一幸せなハムスターでいて欲しかったから、持ち合わせる私の愛情を注いできました。 急にいなくなって、寂しくて寂しくて、本当に寂しくて仕方がありません。 事実を受け止めなければならない事も、私は大人だから、寂しさを我慢しなければならない事も分かっています。 気丈に毎日を振舞ってはいますが、本当にハムちゃんがいない生活が耐え難い寂しさになってしまっています。 長文すみません。 こんな私に何かアドバイスをいただきたく思います。
まだ2ヶ月と少しの可愛い子犬でした。家に来たばかりですぐに体調を崩し、入院。そのまま亡くなってしまいました。 獣医の話によるとブリーダーさんの所で既に感染していたウイルスによる感染症とのことでした。 私がもう少し大きくなってから引取っていれば免疫が出来ていて死ななかったのではないだろうか。 体調を崩す前に健康診断に連れて行っていれば早期治療が出来たのではないだろうか。 色々な後悔ばかりが頭を巡ります。 ブリーダーさんからは補償として代犬をと言われましたが、あの子の代わりなんてどこにもいません。あの子だから家族にしたいと迎えたんです。 周りからは「新しい犬を迎えたら前向きになれるんじゃないか?」「新しい犬に励まされるだろう」と言われましたが、新しい子を迎えることであの子のことを忘れてしまうのがとても怖いです。 次にお迎えする子を考えることはあの子に対する裏切りになったりはしないかとずっと考えています。 一緒に過ごす時間が少なかったあの子を置いて、別の子と人生を一緒にする私は薄情じゃないでしょか?
ハムスター2匹を殺してしまいました。 突然飼いたくなって2匹をお迎えしましたが、懐かないことに腹が立ってその日のうちに熱湯をかけたり、怪我をさせて殺してしまいました。 1匹は殺した後に公園に放置し、もう一匹は生きていましたが、遺棄しました。 後になって「なんて惨いことをしたんだ」と思い、死んだ子には花を供えて線香をあげて謝りました。 生きていたけど遺棄した子はせめて捕まえて病院へ連れて行こうと思い、捕獲機を仕掛けましたが、捕まりませんでした。 こともあろうにその数日後にまたハムスターを3匹迎えていますが、その子たちのことはとても可愛がっています。 懐いたから可愛いという訳でなく、懐かない迎えたての時間も見守って過ごしました。 手に乗っておやつをねだるまでに懐いてくれました。 ただ、今の子達は可愛がっているのに、その数日前に迎えた子を殺してしまった自分自身が怖くなります。 数日しか変わらないのになぜこんなにも態度を変えられてしまうのだろうと。 また、何より今の子達を可愛いと思えば思うほど、殺してしまった子たちへの申し訳なさでいっぱいになります。 今の子達は3匹とも性格が異なりますが、殺した子たちは性格も分からないまま殺してしまいました。 今いる白いハムちゃんは殺してしまった子と同じ品種ですが、毛が薄くバサバサしています。 病院に連れて行きましたが、異常はありませんでした。 きっと殺したあの子が恨んでいるんだと思います。 どうすれば償いができるでしょうか? お花、お線香、毎日思い出して反省・謝罪、飼っている子達を誠心誠意可愛がるという内容は実践しています。 当たり前ですが死んだ子は二度と生き返らないことを改めて思い知って、時間を巻き戻したいという馬鹿な妄想すらしてしまいます。 こんな情けない質問でごめんなさい。
愛犬が今朝亡くなりました。いつもは玄関で寝ているのですが、最期は、私が寝ている横にお尻を向けて横になり眠るように亡くなっていました。お花と食べ物を置きました。明日、火葬します。私にとっては、最愛の9歳の息子でした。ありがとう。今後は、どこかのお寺に通えばよいのでしょうか。どういう気持ちで向き合って生きていけばよいでしょうか。
3日前に愛犬のゆきが亡くなりました。14歳でした。認知症がかなり進んでいて、最後は自分の足を鎖と間違えて噛みちぎり病院に運ばれて、安楽死で死んでしまいました。先生が「このまま生きてても今夜が山。手術はできんこともないけど足を切断して義足にするからかなり痛いし疼いてずっと苦しむことになる」と言われ、私と祖母で話し合った結果、そうすることになりました。 ゆきが亡くなった後、本当に私たちの決断がゆきの望むことだったのか、勝手に人間のエゴで決めて私たちが殺したようなものなんじゃないかと自分を責めてしまいます。周りに「あまり悲しむと成仏できないから考えるな」「畜生は参りに行くと良くない。いいとこに行けないから」と言われるのですが、本当にそうなのでしょうか。思うことすら良くないことなのでしょうか。 前日までは元気だったのに、1日で冷たくなってしまうなんてあまりにもあっけなくていまだに信じられず、受け入れられずにいます。毎日考えてはいけないと思いながらもゆきのことを思ってしまい、一緒に撮った写真や動画を見てしまって泣いてしまいます。どうすれば受け入れて乗り越えることができるのでしょうか。 文章がぐちゃぐちゃですみません。よろしくお願い致します。
昨日飼っていた犬が急に亡くなりました。 最期は痙攣して何時間も苦しみながら亡くなりました。母が仕事から帰ってきたら車で病院に連れて行くはずだったのですが間に合いませんでした。 息を引き取った際側にいたのは私だけだったのに、痙攣しているとき苦しんでいる犬を見るのが怖くて耳を塞いで側から離れて逃げてしまいました。 母は亡くなった犬に、私が側にいたから寂しくなかったねと声をかけていましたが、違います。私は苦しむ犬を見るのが怖くて逃げてしまい、まともに目もみてあげられませんでした。寂しい思いをして痛くて苦しくて辛かったと思います。何時間も鳴いていたあの苦しそうな声が頭から離れません。 最低な飼い主だったと思います。もっとたくさん遊んであげてたらストレスもなく長生きできたかなとかあのとき怒りすぎたかなとか、本当に後悔することしかないです。 8歳だったのですが、短命だったのは私のせいなのではないかと罪悪感を抱いています。大好きで大切だったのに、そこにいるのが当たり前みたいになっていて、ちゃんと愛を伝えられていなかったと思います。何時間も苦しめて最期亡くなるときもしっかり見てあげなくて、本当に酷いことをしてしまいました。 犬はうちに来て幸せじゃなかったかもしれません。犬のことを考えるのが怖いです。ごめんなさいと言いたいです。犬は私を恨んでいるでしょうか。許されないことをしてしまったと思います。自分を殺したいです。これからどんな気持ちで生きて行けば良いのでしょうか。